見出し画像

「きりんくん」 #2

前回のつづき。

「だってきりんくんは、今も指を使わないと計算できないし、ぼくよりも計算が遅いです。かけっこもぼくより遅いです。ぼくと同じ1年生なのに」

「同じ1年生でもこれだけ『差』があるということは、やっぱり頭がよい、よくないという違いはあると思います」

「だってお父さんも、よくテレビのクイズ番組を見ながら『この人は頭のよくない人だな。学校でちゃんと勉強したのかね』とか言っているし。。。」


「なるほど、らいおんくんはそう考えているのね」

「その考え方は、私とちょっと違うわね」

「私はね、らいおんくん。頭がよいとか、よくないとか、簡単に決めるべきではないと考えています」

「私たちは顔のかたちがそれぞれ違うように、成長のスピードも、興味があることも違います。だから、らいおんくんと、きりんくんも、成長のスピードが違うし、算数のちからの成長のスピードにも違いがあります」

「その違いによって確かに『差』が生まれています。でも、私はその『差』があるだけで、頭がよいとか、よくないとか簡単には決められないと思っています」

「私から言わせれば、らいおんくんは、きりんくんより算数の成長が早めというだけで、きりんくんもきりんくんにあった宿題を学習していけば、らいおんくんと同じようにスラスラと計算ができるようになりますよ」

「つまり、『差』は縮まってきます。らいおんくんが頭がよくないと思っているきりんくんが、どんどんらいおんくんに追いついていきますよ。これは本当の話です」

「でもね、今のままの宿題、今のままの授業のしかただと、その『差』はなかなか縮まらないの」

「だって今、学校ではきりんくんに合わないことをしているからね。もちろん、きりんくんだけじゃやない、ほかの子もおなじ。その『差』を縮めるには、その子ひとり一人に今必要な課題を学習していく必要があるの。その課題こそが、私が作る『自分のちから』なの」

「でも、学校ではなかなかそれができていないの。本当はその子に『あっていない』と薄々わかっていても、日々の仕事が忙しすぎて、そこまで手がまわっていないの」

「だから、その『差』が学校ではいつまでたっても縮まらない。そうして多くの子が『人間は生まれながらにして頭がよい子と、そうでない子がいる』と思いこんでしまうのね」

「『差』というものがなかなか縮まらずに固定化すると、それはあたかも事実のように見えてしまって、大人でも本質が見えなくなるのだから、子どもがそう思うのも無理はないわね」

「もしこれから半年後、きりんくんが指を使わずに計算できるようになっていて、くり上がりやくり下りの計算もスラスラとできるようになるだけでなく、小学2年生の先取りもできるようになったら、らいおんくんはきりんくんのことをどう思う?」

「今日と同じように『頭がよくない子』と思うのかしら?」

「きっと思わないわよね。だって、1年生のうちに2年生の先取りまでできるようになるのですからね。ということは、頭がよいとか、よくないとか、簡単には決められないと思うの。わかるかな、らいおんくん」

「人って愚かだから、今がダメだとずっとその子がダメな子なんだと錯覚してしまうのね。でも、人は必ずひとり一人のステップで成長していくの。ずっと変わらないということはないのよ。本当は必ずどの子もできるようになっていくのよ」

「でも先生、本当にきりんくんは半年後にそこまでできるようになりますか?」

「そうね、それにはきりんくんがしっかりと『自分のちから』の課題をしっかりコツコツと続ける必要があるわね」

「それと、もうひとつ大切なことがあります」

「それは、きりんくんにみんなでポジティブな意識を送ってあげること」

「きりんくんなら大丈夫。君は、君のステップで必ずできるようになっていくよ、というポジティブな意識を送ってあげること。これがとても大切なの」

「さっきまでのらいおんくんのように、『きりんくんは頭のよくない子だ。算数はできない子だ。かけっこも遅い子だ』と思っていると、言葉で言わなくでも、それは必ずきりんくんに伝わっていきます」

「そういうネガティヴな意識を、らいおんくんだけでなく、他のクラスの子も、私も、そしてきりんくんのお母さんも送ったとしたら、どうなると思う?」

「きりんくんは、絶対自分のことを『頭がよくない、ダメな子だ』と思うようになっていきます。そう信じるようになってきます。そう信じてしまった子は、毎日学習なんてできないわよね。自分のことを頭が良くないと思っているのに、毎日努力できる子なんていないわよね。人は自分に自信がなかったり、自分のことをダメだと思ったら、物事を続けられないのです」

「私たち人間は、人を生き生きと前向きにすることもできるし、知らず知らずのうちに人の可能性を潰していることもあるのです。『自分のちから』という適切な課題を学習していけば、確実に算数のちからが伸びていくきりんくんを、私たちは知らず知らずのうちに『頭がよくない子』と信じこませて、毎日学習できないようにしていることがあるのです」

「残念ながら、こういうことを自覚していない大人、先生は多いです。だから今も、本当は勉強ができない子ではないのに、自分のことを頭がよくない子だと思い込んでしまっている子どもは、どんどん大量に生まれてきています」

「自分で自分のことをダメな子だと思い込んでいるから、やる気も起きず、ただ毎日ダラダラとスマホやゲームをするだけという子がどんどん増えています」

「『どうせやっても無駄。できるようにならないよ。だってぼく頭がよくないもん』と、諦めたような口調で言う子もどんどん増えています」

「『めんどくせー』、『うぜー』、『だりー』、『無理ー』とかいって、自分の自信のなさや劣等感をごまかさざるを得ない子どもも増えています」

「本当は学習障害ではないのに、『差』があることで学習障害と言われて、完全に自信をなくしている子もたくさんいいるのです」

「教育は、みんなの可能性をどんどん広げていくはずのものなのに、劣等感を植え付けていることのほうが多いというのは、とても残念なことです」

「子どもたちの生きる力や、主体的な学びを呼び起こそうとか言う前に、まず子どもたちが自己否定することのないような仕組みを考えることのほうが先なのです。これは、私たち大人の責任ね」

「だから私は、らいおんくんだけでなくクラスのみんなには、『私たちには差があって当たり前。その差は頭がよいとか、よくないとかを決めるものではない』ということを、まずは知っておいてほしいと思っています」

「今は、このことを知っておくだけでよいです。これから毎日、みんなが『自分のちから』を取り組んでいけば、必ず『先生が言っていたことは本当だ❗️』と思えるようになりますからね」


「。。。。。。」


れいこ先生のひとつ一つの言葉の背景にある強い信念のようなものに圧倒されて、きりんくんは何も言えません。

「れいこ先生の言っていることは、もしかして本当なのではないか」

「ぼくはまだ指を使わないと計算ができないけど、先生が準備してくれる『自分のちから』を学習すれば、何か変わるのではないだろうか」

これまで会ったことがないタイプの先生に、期待もあれば、まだ不安もちょっとある、そんな感じ。

「今日から早速『自分のちから』を取り組んでみよう。れいこ先生の言うとおりに学習していたら、ぼくもできるようになるかもしれない。きっと変わることができるかもしれない」

「よーし!やるぞー!今日はお家に帰ったら、ゲームもしない、動画も、図鑑も見ないぞ。まずは、れいこ先生が作ってくれた『自分のちから』を勉強するぞ」


こうして、きりんくんにとって生涯忘れられない日となった夏休み明け初日のれいこ先生のお話は終わりました。

次回につづく。


文:三澤 明雄
ヘッダーイラスト:小宮 想

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?