固定観を捨てて、素直な生き方を。#1

『だれにでもある固定観』

「固定観を持つな」とは、昔からよく言われることです。
しかし、私たちは日常自分が固定観を持って物事を判断していることすら意識せず生活しています。

そして、事態が進行し、問題がどうにもならないほど大きなものとなって私たちの前に現れたとき、私たちは初めて自分の固定観を直視せざるを得なくなります。

今回は、三沢先生がかつて私塾で学習指導をしていた頃の話をご紹介致します。彼がどのような固定観を持っていたのか、また、どのように対処したのか、ご覧ください。
(コラム担当:松本)
               ◇◇◇

彼はまだ東京にいた頃は新人でしたので、私といっしょに子どもたちの指導にあたっていました。

彼のクラスに節ちゃんという活発な女の子がおりましたが、彼女はもう2週間も、何の連絡もなしに授業を欠席していたのです。

しかし、ある日突然節ちゃんが教室に姿を見せたのです。
このような状況の中で次のような出来事が起こりました。


「こんにちは!」

「こんにちは!」


子どもたちの元気のよい声が教室に響きます。

子どもたちは手に「進度表」を持って、三沢先生に手渡しています。
この「進度表」というのは、子どもたちが自分で作成した学習計画が書かれたものです。教室に来ると、まずそれを先生に提出するのです。

ふと見ると、長い間無断欠席していた節ちゃんが、モジモジしながら後方に立っているではありませんか。
私は久しぶりに節ちゃんの顔を見て、うれしくなってしまいました。

しかし、彼女はなぜだか顔がこわばって緊張している様子です。
そして、彼女は三沢先生の前に来ると、突然机の上にポンとぶっきらぼうに「進度表」を投げて三沢先生に渡しました。

三沢先生はその態度に幾分カチンときた様子でしたが、黙って「進度表」を手にとりました。

私には、「何か起こるな」という予感がしましたが、三沢先生がどう対応するか見てみようとも思いました。



『やはり、目には見えない意識の喧嘩が始まった!』


みんな自分の席につき、いよいよ学習開始です。
学習が進むにつれて、子どもたちは三沢先生のところにきて、「チェック」を受けています。
この「チェック」とは、自分の学習の進め方、理解の深さ、物事を考える手段など、総合的な見直しを子どもと先生がする大切な作業なのです。

学習開始から30分程度経過した頃でしょうか、節ちゃんが「チェック」をうけるために、三沢先生のところにやっていました。
顔は相変わらずこわばっていて、面白くなさそうな様子で三沢先生の前に座りました。
三沢先生はいつものように。学習の内容について質問をし始めました。

ところが節ちゃんは不機嫌そうに一言ポツリと答えるだけです。
三沢先生は再び同じ質問をしますが、節ちゃんはやはり一言ポツリ、、、。

するとその態度を見た三沢先生は、本人のやる気のなさに頭にきた様子で、不愉快そうに別の質問をし始めました。

しかし今度は節ちゃんはその質問にすら答えようとせず、黙って座り込んでいます。

もうこうなると、まさに戦争です。

意識(心)というものが目に見えるものであるならば、2人はお互いに罵声を浴びせかけ、殴り合いの真っ最中なのです。
お互いに相手を拒否し、自分を押し通そうとしています。

2人を見ていると「悪いのはすべて相手」というように私には見えました。

険悪な雰囲気は頂点に達しています。気まずい雰囲気のままどれくらい時間が経ったでしょうか。
結局節ちゃんは三沢先生から席にもどるように言われ、その日の授業は終わりました。



『悪いのは、節ちゃん?!』


授業後のミーティングで、三沢先生は疲れた口調で、「節ちゃんは反抗的で学習をする意欲が全くありませんね」と授業の感想を述べました。

しかし、私に言わせればそれは全くの勘違いです。

そこで、三沢先生に次のように話しました。

「私も昔はこのような出来事に対してあなたと同じように受けとめ、その結果、失敗を何度となく繰り返してきました。私の失敗の原因は私の意識の持ち方にあったのです。決して生徒の態度にあったのではありません」

私は三沢先生とじっくり時間をかけて、彼の気持ちを聞いてみることにしました。彼の言い分は次のようなことでした。

・長い間無断欠席していたにもかかわらず、
 そのことに対する反省の気持ちがない。
・進度表を机の上にポンと投げる反抗的態度は、相手に対して失礼である。
・チェックをきちっと受けようとする気が全くない。
 これは許せない態度である。

以上の理由から、現在の節ちゃんは「反抗的で学習意欲が全くない」と自分は感じている、というのです。そして、そのように感じることは間違っているのかと私に問いかけてきました。

私は三沢先生に次のように尋ねてみました。

「三沢先生!今日のハプニングが起こる前の、節ちゃんに対する気持ちを聞かせてください。せつちゃんが無断欠席を1回、2回、3回と回を重ねるごとに、節ちゃんのことをどのように考えるようになりましたか?」

「最初はどうしたのか心配でしたが、彼女が無断欠席を重ねるごとに、コツコツと努力のできない、責任感のない子だなと思うようになりました。彼女は以前から好き嫌いが激しく、自分の意に沿わないことに対しては、反抗的なところがありました。私は彼女のこの点をあまり好きになれません。松本先生!私が彼女のことをこれぐらい真剣に気にかけているのに、彼女には私の思いが伝わらないのでしょうか」と彼は言いました。

この三沢先生の発言からもわかるように、彼は今回のハプニングが起こる前からすでに節ちゃんに対してある固定観を抱いていたのです。

つまり、三沢先生は今回の出来事以前から「節ちゃんは反抗的で、学習意欲のない子」という節ちゃん像を、心の奥底ですでに持っていたのです。

このような固定観を持っていたということは、彼は心の奥底で節ちゃんを「拒否」していたことになります。

ただ「拒否」していた自分に気づいていなかっただけなのです。

反抗的で学習意欲のない節ちゃんは、三沢先生にとって扱いにくい、好ましからざる人間なのです。
はっきり言って、彼はこのような節ちゃんを嫌っているのです。

にもかかわらず、「節ちゃんのことを真剣に気にかけているのに、彼女には自分の思いが伝わらない」と悩んでいるのでした。

確かに三沢先生は真剣に取り組んでいましたし、そのための努力もしていました。しかし、心の深層部分では節ちゃんを嫌っていたのです。彼女を「拒否」している三沢先生がいたのです。


次号へつづく。


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