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でき太くん三澤のひとりごと その139

◇ きたかぜとたいよう


先日、ベトナムダナン市にある幼稚園園長のフーン先生と、zoomを使ってミーティングをしました。

幼稚園ででき太くんを学習している園児さんの様子などを伺いながら、今後の学習の進め方などについて打ち合わせをしました。(フーン先生との対談動画がHPにアップされております)

その際、少し雑談をする時間がありました。

日本語で雑談もできるフーンさんの日本語能力の高さには、いつも本当に驚かされます。

その雑談の中で、一般的なベトナムの小学生の1日の流れについて伺うことができました。

ベトナムの小学校はだいたい8時くらいから授業が始まり、午前中のうちに4コマの授業を行います。

その後、昼食休みをとります。

昼食は、お家に帰ってとることも許されているようで、少し長めに設定されています。

12時から14時くらいまでのようです。

午後は1年生でも3コマあり、授業が終了するのは、16時30分すぎ。

このサイクルが月曜日から金曜日まで続きます。


ベトナムで小学生のお子さんがいるご家庭の多くは、ご両親がほとんど共働きのようで、多くのご家庭では16時30分に授業が終了したあとは、学校の先生が運営する塾に行き、18時近くまで塾で学習するとのことです。

ベトナムでは学校の先生が塾を運営することが許されていて、小学校のうちから塾に通うというのが一般的であるようです。

塾が終わるころ、親御さんが仕事帰りに子どもを迎えに行き、バイクで自宅に帰ります。

私がベトナムに行った際にも、夕方になると子どもをバイクに乗せて帰路を急ぐ親御さんの姿をよく見かけました。

その後、夕食をとったら、学校の宿題。

宿題が終わったら、シャワー浴びる。

そうこうしている間にあっという間に21時近くになってしまう。

そして、翌日は6時くらいに起きて学校に行く準備。

このようなサイクルで、月曜日から金曜日までは過ごすようです。


私がこの話を聞いて、ちょっと心配になったのは、朝から晩まで勉強ばかり。少し詰め込み過ぎているのではないかということです。

もし勉強に目的や目標があり、24時間の睡眠時間以外はすべて勉強したいというのであれば話は別です。

しかし小学校に入学したばかりの子どもが、自分の意思とは関係なく、朝から晩まで勉強ばかりとなると、一体どうなってしまうのか。素直で、とても真面目なお子さんでも、おそらく勉強にストレスを感じはじめてしまうのではないでしょうか。

学校ではおそらく体育などもあるでしょうから、ずっと勉強ばかりしているというわけではないと思います。

しかし、子どもには時間の制限などをせずに、興味、関心が赴くままに、思いっきり遊ぶ時間も必要なのではないでしょうか。

今回伺ったベトナムのスケジュールだと、そういう時間がとれるのはおそらく土日のみ。

子どもの立場からすれば、その時間は土日だけでは十分ではないでしょう。もっと自由に、思いっきり遊びたいはずです。

こういうスケジュールで日々過ごしていると、おそらく子どもたちの多くは勉強に対してマイナス的なイメージを抱くようになってくると思います。


勉強はイヤイヤシブシブやらされるもの。

つらく、大変なもの。

嫌でも辛くてもやらなければいけないもの。


こういう印象を持つようになってしまうでしょう。これがいわゆる詰め込み教育の弊害だと思います。

教育をする側は、子どもに良かれと思ってできる限り勉強する機会を与えている。

でもそれを享受する子ども側からすると、大人の「やらせよう」とする気持ちばかりが前面に出て、辛くなるばかり。

学校が終わっても遊べずに塾に通い、眠い目を擦って宿題をする日々に、いい加減うんざりしている。

「勉強」という言葉を聞くだけでもイヤ。

そんな感じになるのではないでしょうか。


このとき私はふと「きたかぜとたいよう」を思い出しました。

「きたかぜ」は、なんとか旅人の服をぬがそうとして、風をびゅうびゅうと吹くわけですが、「脱がそう、脱がそう」と働きかければ働きかけるほど、旅人は寒くなり服を脱がなくなる。「脱がそう」とすればするほど、旅人は頑なになっていく。

逆に、いつも当たり前のようにある「たいよう」のように、あせらず、じっくり日差しを注ぎ続ければ、旅人は暑くなり、自ら服を脱ぐようになる。そして、自分から水浴びさえしてしまう。

あせらずとも、相手が自分の意思で行動するように働きかけていけば、お互いにストレスなく自然に「結果」を得ることができる。

今、ベトナムで行っていることは(これはもちろん日本でもいえることですが)、「きたかぜ」と同じようなことをしている感じがします。


将来のために勉強をさせたい。

子どもが社会に出て困らないように勉強をさせたい。

しっかり自己実現できるように、勉強させたい。


こういう意識ばかりが先行して、子どもに勉強をさせよう、させようとする。

でもそれは「きたかぜ」と同じで、子どもは逆に勉強をしたくなくなる。

勉強が嫌いになっていく。つらくなっていく。

そのことに「きたかぜ」は気づかず、いつまでも風を吹き続ける。風を吹き続けることに疲れた「きたかぜ」は、しまいには服を脱がない旅人を責めたりする。


「なんで脱がない!これだけ風を吹いているのに!」


こんなイライラやストレスを抱えているいう親御さん、教育者は決して少なくないのではないでしょうか。

私はこれまでたくさん失敗も経験してきた人間ですから、「きたかぜ」のようなアプローチをしてきたことがあります。

私がちょっときつい口調で話をすれば、子どもはだまって勉強をするようにはなります。

でもこれは、結局「きたかぜ」と同じアプローチです。

話をした後、子どもはちょっと服を脱ぎかけることもあるかもしれません。

でも結局は脱がずに、また元通り服を着た旅人に戻ってしまう。

「きたかぜ」のアプローチは、結局このような循環の繰り返しなのかもしれません。そして子どもに自我が芽生え、語彙力も増えてくると、「きたかぜ」に反発してくるようになります。

大人が返答に困るような疑問を投げかけ、服を脱がない状態を維持しようとします。

「そもそもなんで勉強をしないといけないの?」

「学校で勉強していることは実際に使うようになるの?」

「因数分解なんか勉強して意味ある?何に使うの?そもそも役立つの?」


こうしてまた「きたかぜ」と旅人の攻防が始まるのです。


では、子どもと日々向きあう私たちは、一体どうしたらよいのでしょうか。わかっていることは、「きたかぜ」のようなアプローチではうまくいかないということ。

力で一方的に働きかけるだけでは、旅人は頑なになってしまう。
であるなら、私たちひとり一人に必要なことは、「たいよう」のようなアプローチを心がける存在となることではないでしょうか。


いつもあるのが自然な「たいよう」のように。

旅人が自然に服を脱ぎたくなるように。

そして、子どもが暑くて自ら服を脱いで水浴びまでしてしまうように。


これは言葉で言うのは簡単なことですが、私は今でも「たいよう」であり続けるのはむずかしいことだと感じます。

だから多くの大人は、「たいよう」のアプローチよりも簡単な「きたかぜ」のようなアプローチをしてしまうのだと思います。

今、ベトナムも日本も、「きたかぜ」がビュー、ビュー吹いています。

でき太くんに在籍されているお子さん、そして親御さんには、穏やかな「たいよう」の暖かさのもとで過ごしていける日々がくるようにサポートしていきたいと考えております。

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