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でき太くん三澤のひとりごと その138

◇ GTR


GTRと聞いて、すぐに「あ、日産のスポーツカーのことね」とすぐにわかるお母さまは少ないかもしれません。

私はこのGTRというスポーツカーには乗ったことはないのですが、個人的にはこの車がスポーツカーの中では最速の車なのではないかと思っています。(もちろん、異論のある方はいるかもしれませんが、、、)

かれこれ20年くらい前、私は日産の他のスポーツカーである「フェアレディZ」という車に乗っていました。

なぜGTRではなく、フェアレディZという車に乗っていたのかといえば、GTRという車は、とても高額な車で、その当時の私には到底買えるような値段ではなかったからです。

それとくらべると、「フェアレディZ」という車は比較的手に入りやすい価格帯でした。

「フェアレディZ」は、エンジンをかけただけで、近所の人に迷惑になるのではないかと心配になるような大きな音がしました。

地の底から響いてくるような低音の音。エンジンがまるで生き物であるかのような鼓動。そしてひとたびアクセルを踏むと、私とエンジンが一体化し、唸りをあげる。エンジンをかけただけで気持ちがいい車でした。(燃費は最悪です)

GTRも、私がフェアレディZに乗っていたころは、エンジンをかけアクセルを踏むと大きな音がしていたようですが、今は環境に配慮してあまり大きな音が出ないように調整されているようです。

さて、今回お話したいのはスポーツカーのことではなく、子どもの「内部エンジン」についてです。

私が今の仕事でいつも意識していることは、子どもの「内部エンジン」に火をつけるということです。「内部エンジン」とは、子どもの自主性のことです。

本当に勉強がよくできるお子さん、自己実現に向かって前向きに進んでいくことができるお子さんを育てていきたいと考えているなら、「内部エンジン」に火をつけることは、絶対に欠かせないことだと私は感じています。

私が中学生のときに通っていた塾に、Tさんというとても真面目で素直な女の子がいました。

先生が与えた課題は必ず消化し、重要だと言ったことは必ず覚えてくる。本当に真面目な子でした。指示されたことはそつなくこなす、いわゆる「できる子」です。

当然、成績は学校でも上位で、だれも勉強面で彼女に不安を感じる人はいません。

彼女の成績なら、だれもが志望する高校に合格できると考えておりました。

しかしそんな彼女に、中学3年生の夏休みごろから異変が起こりました。

彼女だったらあり得ないようなうっかりミスを連発する。
わかるはずの問題を落とす。
答えを書く欄をまちがえる。

Tさんにはあり得ないようなことが、次々と起こり、成績が落ち始めたのです。

これに不安を感じたのは、Tさん本人です。

10代の子の多くは、あまり人生経験がなく、精神的にもそれほど強くはありません。
こうなると一気に崩れていきます。

自分がそれまでの人生で見たこともないような点数を目の当たりにし、それまで築き上げてきた自信、得意意識は、まるで砂でできた器のように、あっという間に崩れてしまったのです。

そこからすべての歯車が狂い始め、成績を挽回しようとがんばればがんばるほど、ミスが増え、この悪循環から抜け出せなくなっていました。

はたから見ているこちらも辛くなってくるような状況でした。

そもそも、なぜこのような「異変」が起きたのか。

これがある時期までずっと私のテーマでした。

何も問題なく、あれほど真面目に課題を消化してきた子に、なぜこのような異変が起きたのか。

すぐに思いつくのは、高校受験という10代の子にとってはとても大きな人生の節目に不安を感じ、学習に集中できなくなるということです。しかし私には、どうしてもそれだけではないように思えてなりませんでした。

というのも、彼女が志望していた高校は、彼女の実力よりも1ランク下げた高校(それでも上位校です)で、高校に進学したあとも無理なく上位でいることを想定していた学校だからです。極端な話、それほど受験勉強に力を注がなくても彼女なら完全に受かる学校だったのです。ギリギリ受かるかどうかという瀬戸際で勉強をしている子たちよりは、気持ちの面では心には若干ゆとりがあったはずなのです。

では、本当の原因は何なのか。

私が辿り着いた答えは、彼女の「内部エンジン」には火がついていなかったということです。

Tさんにじっくりインタビューをしたわけではありませので、これは私の主観といってしまえばそれまでかもしれません。

しかし、自分が教育という仕事に携わる中で経験してきたことを踏まえてみると、「内部エンジン」に火がついていないことが原因ではないかと感じた私の感性はまちがってはいなかったのではないかと感じています。

Tさんは、真面目に、指示されたことをそつなくこなしていました。

宿題も忘れたことはありません。
毎日夜遅くまで勉強していました。

しかし、すべて「指示されたこと」をこなすだけだったのです。
少し厳しい言い方をすれば、そこに「自分」がないのです。

先生や大人に指示されたこと、重要だと言われたこと、そういったことを「自分」というフィルターを通さず、ただ取り組むだけだったのです。

志望した高校も、その当時の成績で状況を判断し決めた高校。
別に「自分」が行きたいと強く望んでいた高校ではありません。

塾選びについても、高校に行くためには近所で一番評判のいいところを親御さんに促されるまま選んだだけ。
別に「自分」で考えたわけではありません。

家庭学習も、先生から指示されたことを一生懸命に取り組んでいくことが中心です。
自分は今何をすべきかを考え、自分で自主的に課題を探し、自分の目標に向かって取り組んでいる勉強ではなかったのでしょう。

いつもだれかに与えられたものばかりで「自分」がない。

自分は何が好きで、自分は何がしたいのか。

そんなことを考えるよりも前に、まずは与えらたこと、指示されたことをそつなくこなすこと。そこに人生の多くの時間を使ってきた。

いつもまわりの人の評価、親や先生の顔色、世間体などを気にして生きてきたのでしょう。

そんな日々を疑いもなく過ごしてきたことで、Tさんの中にある自主性という「内部エンジン」に火はついていなかったのです。

自分のエンジンで自走できない、いつもまわりの大人や先生の指示という外からの力、惰性で動いている車は、高校受験という少し急な坂道に遭遇すれば、当然止まります。

そう考えると、Tさんに起きた「異変」は起きるべくして、起きたこと。至極当然のことだったのです。

本当に強く、自己実現に向かってしっかりと歩んでいける子を育てていくには、「内部エンジン」で唸りをあげ、どんどん自走できるような子どもへと導いていく必要があると私は思います。

結局Tさんは、冬までにはいつもの状態を何とか取り戻し、もともと志望していた高校に合格することはできました。それでもギリギリの状態だったように思います。

その後、Tさんが高校2年生のころだったでしょうか。
塾の同窓会で何気なく言ったひと言が、今でも記憶に残っています。

「私はただいい子を演じていただけかもしれない」

このときようやくTさんに「自分」という光がさしてきたように感じました。
ここから少しずつTさんの「内部エンジン」には火がつき、少しずつ回転数をあげていったように思います。

それ以来、Tさんにはお会いしていませんが、きっと大学は「自分」が行きたい学校を選び、「自分」の意思で目標に向かって勉強を進めていったことでしょう。

「でき太くん」という、先生や大人が教えなくても、子どもが「自分のちから」で読み、考え、問題解決していく学習材を開発したのは、その「内部エンジン」に火をともしたいと考えたからです。

「内部エンジン」に火がつき、エンジンが唸りをあげて、強く、速く自走する子どもたち。そういうお子さんをたくさん育てられたらと、いつも願っております。

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