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「きりんくん」 #1

『どうして大人はいつも「勉強しなさい」と言うのだろう。。。』

小学校に入学するまで、きりんくんは勉強が大好きでした。

はじめて見ること。
はじめてさわる鉛筆。
はじめて見る図鑑。

とくに図鑑は、きりんくんのお気に入りでした。

図鑑の中に登場する様々な昆虫。
様々な植物。

自分が知らないことばかり。

「知らないことを知る」ということがこんなに楽しいことなんて。
図鑑をずっと眺めていると、あっという間に時間が過ぎていきます。

これを「勉強」というのなら、これほど楽しいことはありません。
きっと毎日「勉強」をする学校というところは、楽しいことばかりのはずです。

お父さんが前に話をしていた中学校、高校、大学となれば、さらにその楽しさは増していくのだろうと、きりんくんは想像していました。


でも、学校というところは、どうやらみんなが楽しそうにしているわけではないようです。

「なんで楽しい勉強をするところなのに、楽しそうではないのだろう」

きりんくんは疑問に思っていました。

とくに大きいお兄ちゃん、お姉ちゃんとなるとイヤイヤ学校に行っている子が少なくないようです。


「なぜだろう。。。」


どうして楽しい勉強をする学校に行くのに、楽しそうではないのだろう。
これは小さなきりんくんにはわからないことでした。

その答えが、なんとなくわかるようになってきたのは、きりんくんが小学校に入学してからのことでした。

学校というところは、きりんくんの興味のあることや、やりたいこととは関係なく、朝から放課後まですべて時間割が決まっています。

月曜日の1時間目は国語と決まっていたら、みんなで国語の教科書を出して、先生の話を聞きます。

先生の言われた通りにできれば、「よくがんばったね、きりんくん!」と笑顔で褒められます。

ですが、みんなができている問題がなかなか正解できなかったり、みんながすでに覚えてしまったことを覚えられずにいると、「もうちょっとがんばろう、きりんくん。がんばればできるよ!」と先生は励ましてくれます。


楽しいはずの勉強をする学校が楽しくなくなってくるのは、もしかすると「他の子ができていて、自分だけできない」という経験をするからかもしれないと、きりんくんは思いました。


かけっこだって、鉄棒だって、木登りだって、きりんくんは大好きでした。


でも、小学校に入学すると、きりんくんよりかけっこや鉄棒、木登りが上手な子がたくさんいました。

「うわ!ぼくより高いところに登ることができるなんて。。。」

「ぼくより速く走ることができる子がいるなんて、すごいな。。。」

自分よりも上手にできる子がいることで、きりんくんは好きだったかけっこも、鉄棒も、木登りも、なんとなくキライになってきました。なんとなくダメな自分を見せつけられるような感じがするからです。


「キライ」という気持ちがあると、どうも前のように体が動かなくなってきます。


「キライ」という気持ちになってからは、かけっこも、どんどん遅くなり、鉄棒もやる気になれなくて、前はできていた逆上がりもできなくなりました。


「キライ」という気持ちは、楽しかったことをすべてダメにしてしまう。
とてもこわいものです。

「こういうことだ。大きいお兄ちゃんやお姉ちゃんが、楽しいはずの学校に楽しそうにかよっていないのはこんな気持ちを味わうからかもしれない」

もうすぐはじめての小学校での夏休みを迎えるころに、きりんくんは大きいお兄ちゃんや、お姉ちゃんの気持ちがよくわかるようになってきました。


夏休みが終わり、新学期が始まると、きりんくんのクラスの担任の先生が変わりました。
1学期まできりんくんのクラスの担任をしていた先生は、新しい命を授かり、産休をとることになりました。

新しいクラスの担任の先生は、きりんくんのお母さんよりもちょっと歳が上の女性でした。
名前はれいこ先生といいました。


先生は新学期の挨拶のときに、きりんくんが今でも忘れられない大切なお話をしてくれました。


「おはよう、みなさん。夏休みは楽しかったですか」

「きっと、どこかにお出かけしたり、野山でたくさん遊んだり、キャンプやプールに行ったり、みんな楽しい時間を過ごしたと思います」

「今日は夏休みの宿題を提出する日ですね。夏休みにみんなががんばって仕上げた宿題はしっかり見させていただきますね」

「でも、今後私のクラスでは宿題を出すつもりはありません」

「なんで宿題を出さないのかというとね、宿題があることで、みんなが楽しい勉強をキライになってしまうことがあるように思うからなの」

「きっとみんな最初のころは、宿題は楽しかったと思います」

「でも夏休みがはじまるころには、宿題ってイヤだなと感じている子が、増えていたのではないかな」

「なんでこんなことがわかるのかというとね、私がそうだったから」

「私も最初は学校に通うのが楽しくて、勉強をするのも楽しくて、学校ってすばらしいところだと思っていんたの」

「でも夏休みに入るころには、ちょっと学校に行くのが楽しくないな、と感じるようになったんだ。その理由のひとつが宿題」

「今でも覚えているけど、私、小学校1年生のとき、3たす2とか、4ひく1とか、指を使わないとできなかったの」

「だから、夏休みに出される宿題に、とても時間がかかったのね」

「たしざんやひきざんがスラスラできる子にとっては、5分もあれば終わるような宿題に、私は30分も40分もかかったの」

「私だってお友達とお外で遊びたいし、大好きだった本を読んだり、図鑑を見たい」

「でも宿題に時間がかかるから、そういうことがほとんどできなくなってしまったのね」

「そうなるとどんどん宿題がキライになっていく。算数もキライになっていく」

「みんながすぐにできる宿題がなかなか終わらない自分って、きっとバカなんだなと思い始めてくるの」

「みんなの中で、もう私と同じようなことを感じている子がいるんじゃないかな」


きりんくんは、先生のお話を聞いて、びっくりしました。
まるで自分のことを言われているような気がしたからです。

先生がきりんくんのおうちに隠しカメラを設置して、きりんくんが宿題をしている時の様子を全て見られていたのではないかと思うほどです。

きりんくんも、宿題にはとても時間がかかっていました。

先生がかつてそうだったように、きりんくんも指を使わないと計算ができません。
宿題に「たしざん、ひきざん」が50問も出ると、仕上げるまでにとても時間がかかりました。

お母さんに、「なんで指を使わないと計算できないの?みんなもう指など使わなくなっているでしょ?頭の中だけで計算できない?」

いつもとは違うちょっとこわいお母さんにそういうことを言われると、きりんくんは 自分がとても情けなくて、悲しくて、とてもつらい気持ちになりました。


こんなイヤな気持ちになる宿題なんか、なくなってしまえばいいのに!


きりんくんは宿題をするたびに思っていました。

そんなイヤな思いをする宿題が、今日からなくなる。
きりんくんにとって、こんなにうれしい話はありません。


きりんくんは、思わず「やった!」と声に出してしまいました。


そのとき、れいこ先生と目が合いました。

「きりんくんも、きっと私と同じように感じていたのね」

「だいじょうぶ。今日から宿題はないからね」


このとき、ひとりそっと手をあげる生徒がいました。

らいおんくんです。

「せんせい、今日から宿題がないというのは、ぼくは困ります」

「え、どうして?」と、きりんくんは、思いました。

宿題がなければ、学校から帰ってきてから思いっきり遊べるし、好きな図鑑や本をたくさん読める。
それに大好きなゲームだってたくさんできるんだ。こんなに楽しいことはない。
なんで、らいおんくんは困るんだろう。何も困ることはないじゃないか。

きっとらいおんくんは、そういう意見を言えば、先生に褒められるに違いない、そう思ってそんなことを言っているんだ。

しかし、らいおんくんはそうではなかったようです。


「せんせい、宿題がないとぼくは本当に困るんです。だって、宿題がないと、ぼくはお母さんに褒められないんだ」


宿題がないと褒められない?
一体何を言っているのだろう?

きりんくんは、らいおんくんの言っていることの意味が全くわかりませんでした。


「どうしてらいおんくんは、宿題がないとお母さんに褒められないの?」と、先生が問いかけました。

「あのね、せんせい。ぼくが宿題を一生懸命取り組んでいるとね、お母さんが『宿題をだれにも言われなくてもしっかりやっているあなたは本当にえらいね』といって褒めてくれるんだ」

『お父さんとお母さんは、らいおんくんにしっかり勉強してほしいから、一生懸命働いています。だから、らいおんくんのお仕事は勉強をすることなの。宿題はそのお仕事の大切なひとつ。そのお仕事がしっかりできているということは、らいおんくんは自分の義務をしっかりはたしているということになるわよね。だからお母さんは、あなたのことを心から褒めるのよ』

確かに、お母さんから褒められたらうれしい。
きりんくんはそこには共感できました。

きりんくんも、お母さんがほほえみながら、やさしい眼差しで褒めてくれると、天にも昇ってしまいそうなうれしい気持ちでいっぱいになります。宿題をするたびにそんな気持になれるなら、ぼくもきっと毎日宿題をするだろう。
そう思いました。

でも、遊ぶ時間がなくなって、図鑑や本を読む時間がなくなるのはイヤだ。
なんだか、自分の頭の中がこんがらがってきます。


「らいおんくん、安心して」

「今日から宿題はありませんが、私がみんなのために考えた『自分のちから』という課題を毎日出すつもりです」

「この自分のちからは、これまでの宿題とちがって、学校で買ったドリルや問題集は使いません。わたしがひとり1人の算数や国語の状況にあわせて作る手作りの課題です」

「この自分のちからを学習するのにそれほど時間はかからないと思います。だって、ひとり1人に合わせた内容の課題なのですからね」

「たし算に指を使っている子には、それに合わせた課題、たし算に指を使ってない子には、それに合わせた課題を私が作ります。たぶん、算数が10分くらい、国語も10分くらいで終わると思います」

「この短い時間の学習でも、コツコツと続けていくと、だれでもびっくりするほど算数も国語もできるようになりますよ」

「だれでも自分のスタートラインから学習していけば、必ずできる子になれるのです」

「えー、嘘だ。先生の言っていることは嘘に決まっている」


大人はたまにこういう見え見えのウソを言う。
子どもに勉強をさせようとして、こういうウソを言うんだ。

本当は、僕のことをちょっと頭が良くない子かもしれないと思っているくせに、「だれでも必ずできる子になる」なんてよく言えるものだ。

らいおんくんは僕と違って指を使わなくても、スラスラ計算できている。

らいおんくんは、僕よりずっと頭がいいんだ。

頭がいい子は、学習すればどんどんできるようになるかもしれないけど、僕のように今でも指を使わないと計算できないような子は、学習しても『びっくりするほど』できるようにはならないと思う。

だって僕は、お母さんに「なんで指を使わないと計算できないの?みんなもう指など使わなくなっているでしょ?頭の中だけで計算できない?」と言われているくらい、算数ができない子なのだから。


頭がよくないぼくにだって、もうなんとなくわかる。

人間は生まれたときから、頭がよい子とそうでない子が決まっていて、そうでない子はいくら学習しても頭がよい子にはかなわないんだ。きっと先生もそう思っているはずだ。

お母さんも「がんばれば、きりんくんもできるよ!」といって励ましてくれるけど、ずっと前に「みんなはもう指など使っていないでしょ?頭の中だけでできない?」と言ったことをぼくは忘れていない。

ぼくは大人になったら、絶対子どもに学習をさせるために「だれでも必ずできる子になる」なんてウソは言わない。

れいこ先生は、さらにこう言いました。

「『だれでも必ずできる子になる』というと、きっと『そんなのウソだ❗️』と思う子がいるかもしれません」

「このクラスでも、指を使わないと計算できない子もいれば、指を使わなくても計算がスラスラできて、小学2年生の内容も学習できるような子もいます」

「こういうことを毎日学校で見ていると、スラスラと何でもできてしまう子が頭のよい子で、スラスラとなかなかできない子が頭の良くない子と、普通は思ってしまうものです」

「でも、これって本当かしら?」

「じゃあ、私はどうなる?」

「私は小学1年生のときに指を使って計算していましたし、宿題にもすごく時間がかかっていました。これだと頭のよくない子ということになりますよね」

「でも、今私はこうして先生になって、みんなに国語や算数を教えられるようになっています」

「頭がよくない子が、先生になれるのかな?」


らいおんくんが手をあげて、こう発言しました。

「先生はきっと『かくれ頭の良い子』だったのだと思います。最初は頭がよくないように見えるけど、実は頭のよい子なので、宿題が大変でも続けていたら、次第にできるようになってきたのだと思います」


「ははははは!かくれ頭の良い子ね!これはおもしろい!」


「じゃあ、らいおんくんは、人間には頭が良い子と、そうでない子がいて、そうでない子はいくら学習してもそれほどできるようにはならないと思っているのかな?」

「そうですね。たぶんそうなんだと思います」


つづく。


文:三澤 明雄
ヘッダーイラスト:小宮 想

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