固定観を捨てて、素直な生き方を。#4


◇ 前回からの続きとなります。

それから数日、眠れない日が続きました。

「どう考えても私は悪くない。絶対に悪くない。悪いのは節ちゃんだ!」

そういう意識からなかなか抜け出せません。
とても自分の心(意識)など冷静に見つめる余裕すらありません。


しかし、そういう感情が何度も何度も心の中に出てくると、さすがに疲れてきます。

完全に疲れきったときからでしょうか。
ようやく自分の内面にある節ちゃんへの意識を見つめられるようになってきました。

そして、冷静になればなるほど、自分は節ちゃんに対して、何て酷いことをしていたのかという自責の念に襲われたのです。

もし私が誰かに、心の中で「扱いにくい子どもだ!ダメな子だ!」と思われながら、口では「がんばれ!君ならできるよ!」と言われたら、私はどういう態度をとるだろう?

きっと節ちゃんのように反抗的な態度をとると思います。

私だったら、「心の中では私のことを否定しているくせに、よく口ではそんなことが言えるな!この嘘つき!!!」と感じ、教室から出ていくかもしれないと思いました。

私はそれと全く同じようなことを節ちゃんにしていたのです。

節ちゃんの反抗的な態度、大人をバカにしたような態度は、私の心(意識)の声を聴いた彼女の素直な反応だったのです。

相手を否定した意識で接すれば、相手も私を否定した意識や態度で接してくる。
当然の反応なのです。

この当然の反応に対して、「節ちゃんが悪い!」と、私は責任を節ちゃんに押し付けていたのです。

このことに私が気づいたことで、その当時の節ちゃんとの関係は改善の方向に進んでいきました。

私が自分の心を見つめ、自分が心(意識)の中で節ちゃんにしてきたことを悔いたことで、節ちゃんを許せるようになってきていたのです。

不思議なことに、私の中で節ちゃんを許せるようになってくると、次第に節ちゃんが私に心を開いてくれるようになってきました。
許すことで、節ちゃんに対する否定的な感情が減り、節ちゃんを意識の面で受け入れられるようになったのだと思います。

心を開いてくると、節ちゃんにはそれまで私が気づかなかったような素直さや、すばらしい感性があったのです。

そういう節ちゃんの良い部分に気づいてくると、これまで以上に節ちゃんを受け入れられるようになってきます。すると、どんどん節ちゃんとの関係は好転していったのです。

節ちゃんを受け入れて、節ちゃんとの関係が好転してきた頃に、私はこれまで気になっていたことを素直に話をしてみました。

「塾を休んでばかりいて、たまに来たと思ったら、挨拶もしっかりしないなんて、可愛くないぞ。そういうときは、“ずっと休んでいてすみません”と言ったほうがいいと思うよ」


すると節ちゃんは・・・

「そうだよね。そのほうがいいよね。これからはそうする」

とのこと。

もし私が以前の節ちゃんを否定した意識のままで、心の中にあった私の本音を話していたら、きっと節ちゃんとの関係は断絶していたことでしょう。


「この大人とは、絶対に口をきかない!」という態度になったと思います。


心(意識)が違うだけで、同じ話でも結果が180度違うのです。


これまで以上にお互いが本音で会話ができるようになった頃、節ちゃんは中学卒業をむかえました。そのころには、私のことを「兄ちゃん」というくらいにまで心を開いてくれました。


私は、お釈迦さまやキリストではありませんから、今でも自分の心(意識)に否定的な感情や、相手を受け入れない意識が浮かんでくることがあります。

そのとき、必ず自分の心(意識)を素直に見つめ、なぜそういう感情が浮かんでくるのかを、考えるようにしています。

自分の心(意識)を見つめるというのは、とても辛いことがあります。
それでも見つめて、考えていくのです。

そうすると、自分の中にある様々な固定観に気づくことができます。
この固定観に気づき、それがどこから来ているものなのかまで遡って考えることができれば、私たちは次第に固定観から解放されていくようになります。

固定観から解放されればされるほど、私たちは多くの人の考え、存在を受け入れられるようになってきます。

固定観を捨てて、素直な生き方を。
多くの人がこの生き方が実践できるように願っています。

(終)


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