なぜ、私たちは学ぶのか?(2)

「なぜ、私たちは学ぶのか?」ついて、学校でも塾でも教えてくれません。だからこそ、このテーマについて考える必要があります。今回は、このテーマについてもう少し掘り下げてみたいと思います。

私たち人間の祖先は、最初は小さな小さな微生物様でした。
ミネラルがたっぷり溶け込んだ海というスープの中で、最初の生命が誕生しました。ここから進化のドラマが始まるわけです。私たち人間はこの小さな微生物から進化して、最後にこの世界に登場しました。

ここで問題です。

私たち人間は、進化の過程で最後に地球に誕生したのですが、これにはどのような意味があると思いますか?私は自分が人間としてこの世に生まれてきましたから、このことがずっと気にかかっていました。

「私たち人間は、なぜ地球に誕生したのでしょうか? 」
みなさんはこのことをどう思いますか?

私は、こんなふうに考えています。

「なぜ、自分が地球に生まれてきたのか?」というテーマは、一番おおもとのテーマです。誰の人生も自分がこの世に生まれてきたところからスタートするわけですから、これ以上根本的なテーマはないですね。

ところで、算数・数学は「もとにする量」を考えるところから始まる教科です。そう考えると、これは算数と同じだと思います。

算数・数学は体系的にできているため、「もとの量」が決まると、次の展開が決まってきます。

例えば、1㎏という重さの「もと」を決めます。これを「もと」にして、その1/1000が1gとなり、重さの単位の世界が展開していきます。

みなさんは1円玉が1gの重さで作られていたことを知っていましたか?1円玉は、1㎏という重さの「もと」を決めたことで作ることができたのです。

さらに1円玉の半径は1cmです。これも長さの「もと」を決めたからできたのですね。

また、「かけ算九九」がスラスラと言えるようになると、「2ケタ×1ケタ」も「3ケタ×1ケタ」のかけ算も自然に分かるようになります。

このように、根本的な「もと」が分かると、その根本的なことの上に積み上げられた次のテーマは自動的に分かって発展していくところが算数・数学の面白いところです。

そう考えると、「私たち人間は、なぜ地球に誕生したのか?」が分かれば、「なぜ、私たちは学ぶのか?」が自然に分かってくるのではないでしょうか!

それでは、この視点で話を進めてみたいと思います。

地球には、人間以外にたくさんの生物がいます。人間と他の生物の違いを考えると、人間の特徴がはっきりと分かってきます。人間の特徴がわかれば、「なぜ人間は地球に誕生したのか?」というテーマに近づくことができるかもしれません。

ここで、アフリカの草原で生活するシマウマについて考えてみたいと思います。シマウマは自分を食べる肉食獣が生息する草原で赤ちゃんを出産します。

ですから、生まれてくるシマウマの赤ちゃんは、誰に教えられるわけでもなく、短時間で自分の足で立つことができます。早く自分の足で立ち上がることできないと、ライオンに食べられてしまいます。

短時間といっても、わずか30分ぐらいです。生まれてからたった30分で立ち上がり、さらに数時間後には、親の後について行動することができます。

これは驚くべきことです。
人間にはとてもまねができないことですね。

人間の赤ちゃんは30分で立ち上がるというわけにはいきません。
自分の足で立つのには、1年もの時間が必要です。

さらに、日本の社会制度からすると、20歳で成人式を迎え、ここから初めて大人として扱われます。つまり、大人になるのに20年もの助走期間が必要です。

人間の赤ちゃんは未熟児として生まれてくるため一人前になるのには、かなりの時間とエネルギーがかかる“やっかいな生き物”なんですね。

シマウマの赤ちゃんは、生まれてすぐ自分の足で立ち、肉食獣に食べられないように親のシマウマの後について行動することができます。

つまり、シマウマの赤ちゃんは生まれる前から「一人前のシマウマになるように」本能的にセットされた状態で生まれてきます。ですから、産み落とされてから誰に教わることもなく、すでにセットされたプログラムに従ってグングン成長していきます。

しかし、人間の赤ちゃんは違います。

他の動物と比べると、人間の赤ちゃんは未熟児として生まれてきます。未熟児として生まれた人間の赤ちゃんは大人になるまでに長い時間を必要とします。

社会制度からすれば、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と20年もの時間をかけて学習しなければ社会人として生活していくことができません。どちらが早く大人になるかと競争すれば、人間はシマウマに完全に負けています。

シマウマと人間を比べてみてはっきりと分ることがあります。

シマウマは大人になるために学習しなくても、大人になるためのプログラムがすでに本能としてセットされているということです。

シマウマはすでにセットされたプログラムに従って成長すれば、自然に大人のシマウマになれるのです。すでにセットされているわけですから、シマウマの赤ちゃんはわざわざ大人になるために“学習”する必要などないのです。「なぜ、シマウマは学ぶのか?」などと、シマウマはこんな面倒なことを考える必要もないのですね。

しかし、人間は違います。

「人間になるため」の長い学習期間が必要です。
そうしないと人間の赤ちゃんは、言葉すら話すことができません。

ドイツで起きた「カスパーハウザー」の事件は有名です。ある事情で、幼い時から16年近く地下の牢獄に閉じ込められていたという事件がドイツで起きました。

食事以外は全く人間に接触しないで監禁されていたという特殊な事件です。彼はカスパーハウザーと名付けられましたが、保護されたときは言葉も話せませんでした。まったく言葉を話せませんので、保護された時には1・2歳レベルの知能で止まった状態でした。

牢獄という特殊な環境下でしたので、カスパーハウザーは人間になるための学習を全く受けていませんでした。ですから、この事件は「人間が人間になるための学習をしなければ、どのような状態になるのか?」を示す例として見ることができます。

また、社会人としての学習を受けることができなければ、人間は社会で生活を送ることが困難になります。


私は、親の事情で小学校のときから15歳まで子どもを学校に通わせず、家の中だけで育てたお子さんを知っています。私は縁あって14歳の時からこのお子さんの学習指導を担当しました。

そのお子さんは成人してから社会に出て大変に苦しみました。人と協調して物事を達成するという経験がないため、社会に入っても人とうまくやっていけないのです。職場の人から見ると、彼女の行動は常識を外れた行動に映って、徐々に彼女は仲間外れにされるようになりました。

そのため、彼女は社会に適合できず、精神的にうつ状態になって、長い間苦しい生活を送っています。彼女は現在もそのことで苦しんでいます。「私は何度も自殺を考えました」と彼女は涙ながらに私に話してくれました。

彼女は義務教育も受けさせないで自分を育てた親を、大きくなるにつれて憎むようになったそうです。そして、社会に適合できない自分は生きていても意味がない存在だという強烈な劣等感を抱くようになりました。

その劣等感は、自分を取り巻く社会全体に対して懐疑心となって向けられるようになりました。社会に対して信頼感を持てなければ、このようになるのも無理ありません。

このような話ばかりすると、憂鬱になってしまいますね。

しかし、人間が人間になるためには、いかに学習が必要かは分かっていただけたことと思います。学習というのは、決して机の上の勉強だけではりません。教科の勉強は学習の中のほんの一部でしかありません。 

自分で服を着たり、お箸を上手に使ってご飯を食べられるようになることも学習です。人と仲良く協調したり、人に対して愛情を持って接することの大切さを学ぶのも学習です。

人間が人間になるための学習は限りなくたくさんあります。自分で生活できるようになる自立の学習から始まって、人間としてどのように生きるべきかの哲学的な学習まで、私たち人間はたくさんのことを学ばなければ“まともな人間”にはなれないのです。

次回は、「なぜ、私たちは学ぶのか?」というテーマをにさらに深くていきたいと思います。

つづく。


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