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深夜梗塞 〜第一章〜


▪️1-01 / 前兆。


振り返れば、要因は蓄積され続けていた。

約2年前、俺は都心から2時間の地に中古の家を買い、郊外での一人暮らしを満喫していた。
また、転居からしばらくして転職し、品質管理業務のマネージャーとして充実した仕事を行ってきていた。

が、昨今のコロナ禍における様々なリズムが乱れていた。
様々な案件・組織・人材の管理育成に加えて、コロナにおけるリモート対応などの負荷と、世間の自粛等に伴う食生活や通勤のリズムも徐々に不安定なものとなっていた。

前年の健康診断の結果もボロボロだったし体重も増える一方だったが、だからと言ってどうすればいいのか、仕事に穴を開けないよう対応が出来るのか…と思いつつ、特に生活の乱れを是正・改善する事もなかった。

もうすぐ五十代を迎える身体にとって、悪条件が積み上がっていくことから目を背け、目先の業務や日々のタスクへ前のめりで取り組む日々は続いていた。


【BGM】今日も続いてゆく / イースタンユース
 https://youtu.be/4M6eOKY5QCY

▪️1-02 / 急変。

翌日からゴールデンウィーク、という日も終電での帰宅。
期末〜期初で組織の増強・新しい人員のアサインや目標管理等、やる事は山積している。

掃除してサッカーとプロレス見て、あとは軽く筋トレとジョギングでもしたら、それ以外は仕事かなぁ…と考えつつ、遅い夕食をコンビニ飯で済ませ、寝る前にいつもの一服。
床に入ったところで違和感に気づいた。

今までに経験した事がないほど身体が重い。
身体全体が泥になり、徐々に地面に沈んで行くような感覚。
意識も朦朧とし始めて手足の動きも鈍くなり始めてきた。

これは今まで生きてきて、経験したことのないヤバい事になってる、と感じた俺は119にかける事を決意した。
身体がどこかへ沈む中、必死で携帯の場所まで這っていき、震える手で初めてかける緊急の番号を叩く。
状況と住所を簡単に伝え、要請に応じて玄関の鍵を開けておく。

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だいぶ身体が動かなくなってきたな…と感じた頃、外からドドドっと走る複数の足音が。
ウチは階段200段あるのに申し訳ないな…となぜか考えていた。

すでに意識朦朧としながらストレッチャーに載せられ、長い階段を降りる振動を感じていた所、救急隊員の声が。

「血圧53!」

え?それ死ぬ奴じゃねーか…と思いつつ、俺の意識は途切れて行った。

【BGM】The Klock / AA=
 https://youtu.be/evy3CffyKJE

▪️1−03 / 生。

気付いたらベッドの上で、身体中に管が刺さっているのを感じた。
身動きは取れない。

意識が戻った事が伝わったのだろう。ほどなくして医師が枕元に来て、簡単に状況を説明してくれた。

俺が緊急搬送された事。
急性の心筋梗塞だった事。
途中で2分ほど心停止になった事。
電気ショック等で蘇生した事。
その後、3日ほど意識不明だった事。
現在は集中治療室(ICU)に入っている事。

話を聴きながらも、身体は動かない。
出来る事は、軽くかぶりを振る事と、涙を流す事くらいだった。

ただ、あぁ、生きのびたんだな…という実感だけしかなかった。

にしても、この状態。どこかで知っているような…とぼんやり考えていたが、思い出した。
『ジョニーは戦場へ行った』だ。
このまま復帰出来なかったら、頭でモールス信号叩く事になるのかな。
や、モールス信号知らんけど。

【BGM】深夜高速 / フラワーカンパニーズ
 https://youtu.be/uAXibMc74oY

▪️1−04 / 幻覚。

意識が戻っても、引き続き全身に管が刺さったままで身体も声帯も動かせず。目と耳だけが頼りだ。
一応、朝と思しきタイミングで、看護師さんが「今日は●月●日ですよ」と教えてくれるのだが、光が一定だし、何しろ寝たきりで周囲の状況もつかめない。
ずっと生きてるか死んでるか分からない気分。
ひたすら自問自答の思考。
本当に『ジョニーは戦場へ行った』みたいだな。

何も口に入れていない状態だったが、不思議と空腹を感じない。
どうやら点滴だけで生きているらしい。すげぇな点滴。

常時拘束された状態、かつ時間もよく分からない状態で過ごしていたからだろう、奇妙な体験もちょいちょいあった。

●天井から、仁王のような物がじっとこちらを眺めていた

●医師や看護師がドアを開けると、外は海だった

●アシッドテクノ風の
「静岡静岡静岡静岡静岡静岡静岡静岡…静岡!(ドン!)」
とサウンドが耳元で鳴り響き、こちらも相模湾を挟んでラップバトルならぬテクノバトルを仕掛けていた

退院後に調べたら、ICU症候群というものがあるようなので、恐らく幻覚を見ていたのだろう。
一般病棟に移る際にも確認したが、天井に仁王はいなかったし、ドアの向こうはただの通路だった。
静岡テクノだけは本当だったのかもしれん。


他にも奇妙な幻覚・幻聴があったように思うが、残念ながらあまり覚えていない。
十中八九、幻覚の類だろうし、あまり詳細に思い出してしまうと

うわあああああ/(^o^)\

となりそうで…ね。

【BGM】冬枯れ花火 / あぶらだこ
 https://youtu.be/z4HoWb2W19s

▪️1-05 / 発声。

入院して約一週間経過。
発声練習が出来る事になった。

まずは呼吸器の奥深くまで入っていた管が外され、久々に自分の喉だけで呼吸が出来る事に安堵。
その後、ゆっくりと声出し。言葉はうまく出せなかったが、声は問題なく出せているのが分かる。

『どろろ』で百鬼丸が声帯を取り戻した時、こんな気分だったのかな。

その後、しばらくの間、なんだかヘンテコなハミングを続けていたように思う。同室の方には迷惑だったと思う。でも、そのくらい嬉しかったんだ。

前後して、水分もわずかではあるが採れるようになった。アヒルのし瓶みたいな形状で、一日わずか数十CCの制限付きだったが、徐々に自分の意思で行える範囲が拡がる事に充実感を感じていたようにも思う。

その後、感謝の気持ちを込めて簡単な手紙を書いた。

なんとかここまで復調できました。ありがとう。がんばります。

程度のもの。それを看護師に手渡した。

翌日、近くにあるナースステーションから会話が聞こえてきた。

ああいう手紙を受け取ってはいけない、経験の浅い看護師が動揺して業務に影響が出てしまう、と。

確かに、プロとして特定の患者や業務に感情が入ってしまうと平常な判断が出来なくなってしまうのは分かる。
自分のわがままな行動で、あの看護師が叱られたりしているようだと、申し訳ない事をしてしまったな…と反省した。

【BGM】うたをうたおう / ディープ&バイツ
 https://youtu.be/J4thBNEwiyA

▪️1−06 / 粗相。


声も出せるようになり、管も少しずつ外されて身体の自由も多少効くようになった所で、ICUの端にある部屋に移った。
ここで食事等、一般病棟へ移る準備を進めていくとの事。

合わせて、看護師の顔ぶれも多少変化があった。ローテーションなのだろうか。

その中でも
「この管は●●を▪️▪️するためのもので、これを外すと▲▲に影響が出ます」
等、たくさんつながっている管の効果を逐一説明しながら、外すかの確認を取ってくれる看護師が非常にありがたかった。
こちらも自分の身体に何かされてる訳で、ちゃんと腹落ちさせてくれるのは、仕事出来る人だな、と好印象。

※海外某所でナースを務めた経験あり、と漏れ聞こえてきたので、俺は勝手に「デトロイトナース」と名づけていた

それまでは特に説明もなく「この薬を飲んでください」と強制的に対応していたが、こちらも話が通じたり何かを伝えられる状況でもなかったのでこれはこれで仕方ない事だけど。

スマホも手元に届けられた。意識が戻った後、妹が預けていてくれていたらしい。ゴールデンウィークも終わる時期、さっそく簡単に同僚に現況を伝えるとともに、GWが明けてもしばらくは出社出来ない旨をLINEで伝えた。

※なお、会社には倒れた当日に妹経由で関係者に通達が回っていた他、俺が送ったLINEの文章が支離滅裂だったため、同僚は
「これはもうだめかもわからんね」
状態だったと聞いた。改めて見直すと倒れた日付もズレてるし、我ながら酷いモンだ

徐々に立ち上がる・徒歩など簡単なリハビリを始めるとともに、食事も流動食から少しずつ慣らしていく。

上から入れると、必然的に下から出る。小便は痺れで対応、大便は近くなったら都度ナースコールで呼ぶ事になった。

食事を終えて数時間。時は来た。
さっそくナースコールを押す。
…が、2週間近く点滴だけで生きていた上に、採ったのは流動食。自分の予想より遥かに早く腹の中を駆け降りて来る。

40数年ぶりの粗相。

「早めにナースコールしてって言ったのに…」
愚痴をこぼしながら後始末を進める看護師を所在なく眺めつつ、復帰への道はなかなかに険しいな…と考えていた。

なお、10日間近い絶食→流動食ちょっと、を経て放たれた便は、なぜだか麦芽の香りだった。

【BGM】うんこ / 森山直太朗
 https://youtu.be/UCwasWrZuUg








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