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深夜梗塞 〜第二章〜

▪️2−01 / 暗転。


粗相等はあったものの、一般病棟へ移る計画も進み、徐々に薬を減らしていった。
が、意識が朦朧とし始めた。血圧が下がりすぎているという事で緊急手術を行う事に。
地下駐車場の隅っこにシートを貼って、その上で手術を受けているような幻覚を見ていたように思う。

その後、このままではリスクが高いため、ペースメーカーを入れるという判断に。一生物になってしまうが、それも自分の蒔いた種だ。素直に受け入れる事にした。
心臓部という事で、入念な説明と執刀に際しての誓約書を交わした上で手術。こちらは深夜に行われたように記憶している。

手術は無事に終わり、無事一般病棟へ移って経過観察を行う事となった。
約2週間強のICU生活も終わり、ようやく退院へ大きな一歩を踏み出したと感じつつ、車椅子で長い廊下を移動していく。久々に外の太陽の光が眩しい。

病室はナースステーションの隣だった。
まぁ…心臓が止まり・幻覚を見・挙げ句の果てに粗相もした身だ。我ながら要注意人物だよなあ。 
まあ、手術の経過がよければ6月には退院〜復職出来るだろう、と楽観視していた。

そんな中、主治医とリハビリ科の医師を交えて面談の場が持たれた。
その席上で言われた事。

実は脳梗塞も発症しており、視野障害(左同名半盲)と高次脳機能障害が出ている。
心停止〜蘇生の間に脳の損傷が発生したと考えられる。
※後に、傷病手当申請のため所見を依頼した所「右後頭葉出血性脳梗塞」との記載あり

このまま退院しても普通の生活に戻れない。
最低3ヶ月、専門病院に転院してリハビリが必要、場合によってはそれ以上かかる。
リハビリを行なってもどこまで戻るかは分からない。

さすがに荒れた。
こちらも生活がかかっている。早く社会復帰したいのだ。
例えば、復職して自宅で並行してのリハビリではダメなのか?などの提案も行ったが、それでは不十分だと一蹴された。

それでも納得しない俺に、リハビリ担当の医師が一言、
「現在の自分がどのような状態にあるか理解してもらいましょう。その上で考えてもらいましょう。」

リハビリ室へ移動し、まずは1桁の四則演算。
足し算。出来る。
引き算。出来る。
掛け算。…出来ない。
割り算。…出来ない。
答えが出てこないまま、数分考え込んでいた。

次に、画像を見て名前と用途を答える。
これは服を掛けるもの。
これは髪をとかすもの。
これは洗濯物をぶら下げるもの。
用途は全て分かる。だが名前が出てこない。こちらも数分考え込んでいた。

無言で待っていたリハビリ医が一言、
「自分の状況を理解出来ましたか?部屋に戻りましょう」

自室のベッドに座り込んで、ふと気づいた。
左目の視野が狭くなっている。左目を開けている時と、閉じている時で左側の視野が変わらない。
ICUにいた時はそこまで気を回す余裕がなかったし、意識して目を使う事もなかったので症状に気づいていなかった。

大きな絶望感、喪失感と今後への不安。
ベッドに突っ伏して静かに泣いた。

【BGM】無情のスキャット / 人間椅子
 https://youtu.be/CbI79e5iZKs

▪️2−02 / 訃報。

リハビリをどうしようか。
転院して集中的に行うか、退院して仕事と並行して出来るのか。
逡巡しながら、リハビリメニューにもあまり気が入らない状況で数日経過した頃。訃報が舞い込んできた。

『ベルセルク』作者・三浦健太郎氏、逝去。
享年54歳。

慌てて情報収集を行う。
死因は「急性大動脈解離」。動脈が裂ける病気らしい。
芸能人でも罹った人はいるとの事。存命の芸能人も多いので、三浦先生はよほど裂け所が悪かったのだろうか。

代表作『ベルセルク』の他、『王狼』『王狼伝』『ジャパン』『ギガントマキア』、全部読んできた。大好きな漫画家だった。
※『ドゥルアンキ』だけは触れていないが

何より、年齢が近い。長い事無理をしてきた事も記事で触れられている。

ネットで色々調べてみた。
海外のFF14プレイヤーが、三浦先生への哀悼の意を込め、黒騎士の姿で続々と集まっているのだという。

俺はどうすべきか。
偉大な漫画家の訃報を目の当たりにしてなお、逡巡は続いていた。


【BGM】BERSERK 〜Forces〜 / 平沢進
 https://youtu.be/n55QVlBoDxI

▪️2−03 / 天命。


最後に誕生日を祝ったのは、小学生だったろうか、それとも中学生だったか。
特にめでたい・嬉しいとも感じていなかったし、せいぜい免許証更新の目安だろう、程度に考えていた。

50歳。ベッドの上で、鬱々とした気分で迎えた。
俗に「天命を知る」と言われる年齢だ。

何かを吹っ切らないと、もう前に進まない。
誕生日を公開もしていないFacebookで、誕生日である事・現在病床にある事・ここまでの経緯を綴った。
FBでつながっているのは前職・前々職の同僚友人がほとんどだ。初耳という事で、驚きとともに多数の励ましのコメントが届いた。

また涙が出た。数日前とは異なる理由で。

【BGM】N.O. / 電気GROOVE
 https://youtu.be/375g4iFinRQ

▪️2−04 / 決断。

腹を括った。
漫画家の訃報や友人の励ましと向き合い、覚悟を決めた。
俺の判断を待ってくれていた病院、そして会社に連絡した。

休職し、リハビリ専門病院に転院します、と。
復職は早くて9月になります、と。

個人的な勝算もあった。
脳梗塞に罹ったのが倒れた4月末だとして、脳梗塞は
・急性期が2週間
・回復期が3ヶ月
という調べがついていた。
すでに回復期に入っている計算だ。8月下旬・遅くとも上期中となる9月までには復職できるのではないか、と目算していた。
あとは自分の頑張り次第だろう。

意思決定後の動きは早かった。
人事部の担当者も色々と心配しつつ、休職や保険周りの手続きを進めてくれた。
職場にも色々と今後の指示をメール・チャットしていたのだが、そのたびに上司・同僚・部下から
「休職するんだからいちいちチェックすんな!自分の事だけ考えとけ!」
とお叱りのレスが複数飛んでくる始末。みんなひどくない?
まぁ、愛の鞭だと受け取っておこう。

今後の方向性が定まった事で、リハビリにも熱が入る。
少し前まで出来なかった四則演算などの他、新聞記事の内容をWord・Excelに転記するといったリハビリメニューも、最初は操作を思い出せず固まっていたが、翌日にはふと思い出して当たり前のようにこなしていた。
高次脳機能障害は回復期に急速に戻るというネット記事も見たが、正直予想以上だ。脳って不思議。

身体機能も前がかりに復活させたく、時間がある時は一日5000歩を上限に病棟内の徒歩を許可してもらった。
最初はナースステーションに駐在している看護士に怪訝な顔をされたが、意図を説明して納得してもらった。

事故は一度だけ。右から来る車椅子を避けようとして、左側に置いてある配膳用のカートに激突した。全く見えていなかった。
視野が狭いとはこういう事か…と、改めて気を引き締め直した次第。


【BGM】生きのばし / Theピーズ
 https://youtu.be/-oH4gANyeBU

▪️2−05 / 問題児。

ナースステーションの隣に配置されたように、俺は自他共に問題児扱いなのだろうな…と思い、基本的には静かに過ごしていた。
時々トイレを勝手に使って「流す前に呼んでって言ったでしょ!」と怒られていたくらいか。

他方、同じくナースステーションの近くという事で、同室にも一癖ある人達が入っていた。

とにかく、お爺さんが時間帯関係なく叫ぶのだ。
「うおおー!チクショー!早くこいー!」等。ナースコールも押さず、とにかく叫ぶ。病棟内を散歩していても、反対側の廊下にまで声が届くくらい。

そして看護士が来ると途端に小声になり、
「私はいつ退院出来るんだ」
「私の妻から連絡は来ていないか」
といった要領を得ない質問を繰り返しては、看護士に怒られている。
ひどい時は寝静まった午前3時頃に始まる。おかげで、こちらは睡眠不足で体調が悪化しそうだ。

実験を思いついた。
「お爺さんが叫ぶのは、単に寂しいからでは?」
「自分の声が届かないと分かれば、お爺さんは静かにするのでは?」
との仮説に基づき、夕食後の何もする事がなくなった時間から、病室のドアを閉め切ってみる事にした。俺も問題児だ。今さら何かいらん事をするのに躊躇はない。

当然、リスクもある、病院側も万が一があれば責任問題だろう。
自分の面倒を見てくれている看護士に室外で相談。同時に、何かあれば俺がナースコールを対応する旨も伝えた。
皆さんお困りでしょう?の一言に、看護士は苦笑いしながら無言のサムアップで応じてくれた。
よし、決行だ。

夕食後、お爺さんが静かにしてる間にドアを閉め、病棟の散歩に向かう。一周回って自室に近づくと、声が漏れ聞こえてくるのが分かった。
ドアを開放している時の約1/5くらいか。防音効果は出ている。後は、声が届かないお爺さんがどのようなアクションを起こすかだ。

部屋に戻り、ドアを閉め切った事でさらに喧しさを増す室内で様子を伺う。
1度、2度、3度…
ひとしきり叫び声が室内に響き渡った後。寝息が聞こえた。誰も来ないと分かればあきらめる。仮説の通り、実験は成功だ。

その後も、何度かドアを閉め切っては落ち着くのを観察していた。
深夜の見回りでドアが開けられ、気づいたお爺さんがまた叫び始める事もしばしばだったが。 

なお、一度だけ別の患者さんが突然むせたような大声を出した時があった。俺は迷わずナースコールを押す。
事態を把握し駆けつける医師と看護士、俺はリハビリ室に一時退避。お爺さんはここぞとばかりに叫びまくっていたが、誰にも相手されていなかった。

しばらくして、看護士が説明に来た。飲み物の誤嚥で、肺に入っていたら危なかったという。
「ナースコールありがとう、助かりました」
の一声に報われた気がした。

【BGM】トラブルド・キッズ / ARB
 https://youtu.be/T0FHD0ewhsk

▪️2-06 / 律動。

俺はゲームが好きだ。
ここ数年はスマホのリズムゲームをよくプレイしている。

一般病棟に移り、心の余裕も多少出来たので、数週間ぶりにゲームを再開してみた。

…イントロが終わる辺りでゲームオーバーになる。

おかしい。そこまでうまい方ではないにせよ、難易度Masterくらいまではフルコンプも出来ていた。改めて、プレイ中の画面と手元をよく観察してみる。

左側のノーツに目が向いていない。目が向いていないから押し忘れが多発している。例としてはフリック(指定された方向に滑らせる)で

>>

のノーツが

 >

としか見えていない。フリックならまだ気づく余地もあるが、左端に通常のノーツが来たら、気付かず取りこぼしが多発するだろう。そりゃゲームオーバーになるはずだ。

左同名半盲の影響なのは間違いないだろう。脳梗塞の影響をこんな所で実感する事になるとは…と、愕然とした。

が、原因が分かれば対策も出来る。幸い
・「左」という方向を意識出来ている
・目を向ければ見れる
状態なので、『半側空間無視』ではないだろう、と自分では結論付けた。


原因が分かれば対策も打てる。
幸い、過去に放置していてもある程度プレイ出来る、いわゆる「無敵編成」を作ってあった。
これでプレイすれば、少なくともイベントを進めるくらいは出来るだろう。

それ以上に嬉しかったのが、ゲーム復帰後、フレンドから多くのコメントを頂いた事だった。
お互いに何者かも知らない、ゲーム上だけの付き合いでもこうやってメッセージを送ってもらえる。
ここにちゃんと「ソーシャル」は存在している。

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残念ながら、推しキャラの総選挙には間に合わなかったが、それはまた来年に期待しつつ、まずは「今までの当たり前」を一つ取り戻した事を喜ぼう。

【BGM】春恋フレーム / 上条春菜
 https://youtu.be/IjdOuHVw7E8

▪️2−07 / 転院。

入院から一ヶ月強。
いよいよ退院の日が来た。同時にリハビリ病院への転院でもある。
ちなみに、叫び続けていたお爺さんは、前日にニコニコ顔で退院していった。

まずは入院費の精算を済ませる。
請求書の金額を見て、思わず我が目を疑った。

合計額 約400万強
負担額 約30万弱


この歳になるまで、大病も入院もした事がなく、医療費なんてせいぜい歯医者くらいのものだった。
そんな中での緊急入院、数回の手術、そしてペースメーカー植込。高額になる事は覚悟していたが、保険による負担額軽減がここまでのものとは思ってもみなかった。
同時に、ああ、そりゃアメリカは医療費で破産もするだろうな.と。改めて、日本の保険体制に感謝した。

支払いの手続きを終え、前職の同僚であり友人と合流する。俺の転職後、直接顔も合わせていなかったが、わざわざ車を出してくれ本当にありがたい。

一ヶ月ぶりに外の空気を満喫しながら駐車場へ。まだ午前中だが、随分と暑くなっていた。エアコンと空気清浄機に囲まれた病院内では味わえなかった空気だ。
途中でコンビニに寄り、各種振込と必要最低限の現金引き出しを行い、転院先の病院へ向かう。
残念ながら自宅に寄る余裕はなかった。

移動の途中、実家に電話した。ちょうど農作業の真っ最中との事で、母親だけが電話に出た。
無事に退院したとの報告と、リハビリがんばります、とだけ短く伝えた。
「生きてて本当によかった。頑張りなさい」
母親の言葉も短いものだったが、それで十分だった。

電話を切り、しばし無言。
涙を流していた事は、隣で運転する友人にはバレていなかった、はずだ。

【BGM】がんばれがんばれ / SION
 https://youtu.be/FBMRt84o2Iw

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