深夜梗塞 〜第三章〜
▪️3-01 / ATTITUDE。
転院の手続きを終えた後、妹とともにリハビリ計画についての話を行う。
俺としては先の計画通り、9月の復職を目指したい旨を伝える。
主治医の返答は
「それは約束できません。8月かもしれないし、10月までかかるかもしれない」
こちらも復職、ひいては生活がかかっているのにこの曖昧な返答。
さすがにムッとしたが、よくよく思い直すと「結果」に対する考え方が、今までの自分の職種と根本的に異なるのだ。
長年、
・Quality(品質)
・Cost(コスト)
・Delivery(納期)
すなわちQCDのバランスをいかに取るか、で仕事をしてきた。プロジェクトによっては、多少品質に目をつぶってでもコストを抑える・納期を優先するケースも少なからずあった。
一方、人命を預かる医療ではQuality First、患者の健康という最重視すべき品質を維持する事はコスト・納期よりも遥かに優先事項である、という事なのだろう、と理解した。
ひとまず、リハビリ一月毎に状況を確認した上で退院時期を都度検討しましょう、を落とし所にして打ち合わせ終了。
妹は帰路につき、俺は転院後初の昼食へ。
チキン南蛮。
思わず我が目を疑った。
総合病院の食事は、恐らく多様な患者に対してのバランスを取るためだろう、煮物系が多く正直味気なかったのも事実だ。
一方、リハビリ病院はあくまでも社会復帰を目指す患者のみとなるので、食事についても、塩分などの制限はあるものの比較的自由という事なのだろう。
実際、入院中の食事はどれも美味しく、日々の楽しみであった。
ただ一度、
「塩味のしない海鮮タンメン」
が出てきた時はさすがに愕然としたものの、常食してきた麺類がいかに塩分が多く、病院食に向かないものであるかもわからされた気分だ。
食事を終えて部屋へ。
部屋は綺麗だしベッドも広いが、当然ながら窓は開かない。
今年は梅雨時もあまり雨は降らず、天候はいいようだ。外の空気を吸いたいし、長期間放置されたままの自宅の様子も気になる。
早く退院して外の空気を吸いたいな、と痛烈に感じた。
【BGM】RISING RIDER DRIVE / THE WILLARD
https://youtu.be/dXW4SipfKGo
▪️3-02 / OVERDRIVE。
回復期のリハビリは3種。
A)理学療法
B)作業療法
C)言語療法
いずれも、与えられたメニューを"こなす"だけでは、8月中の退院という目標に到達出来ないだろうと考えていた。
自分なりにブーストをかけて臨むしかないだろう。
A)理学療法
いわゆる基礎体力系のリハビリ。歩いたり探し物をしたりと、下半身を使ったメニューが中心となる。
ここでは、ランニングマシンで相当負荷をかけた。
角度は最大。
重さも最大。
さすがに速度は一般的に歩く速度に制限してもらったが、普通に山登りをするような設定だ。最初は渋っていたトレーナーに告げる。
「ウチ、帰るのに200段の階段を登らないといけないんで。」
また、リハビリメニューに屋外の散歩も含まれていた。夏場という事もあり気温による外出制限があったため、なかなか遠出はできなかったが、外の空気を吸えるだけでも十分満足だった。
ただ、もう少し体力をつけたいな…と考えていた所で、思い出した。
ラーメンズの「片桐教習所」でやってたネタ。
「揺れてー」
自室で、同室の方を極力刺激しないように、部屋で揺れてみる事にした。
かかる負荷は小さいだろうが、そこは物量でカバー。時々「文明開花!文明開花!」でアクセントもつける。
幸い、入院中はリハビリ以外は時間があり余っている。スマホいじりつつ、6時の起床から21時の就寝時間まで、暇さえあれば「揺れてー」を続けた。
その結果。平均2万強揺れ、一日の最大で4万揺れを達成。
残念ながらネタ元の小林賢太郎はよく分からない理由で東京オリンピックの演出担当を解任されていたようだが、俺の元では十分に助けてもらった。
これらのリハビリにより、体力を戻しつつ入院中にごっそり落ちた筋肉も幾分戻ってきたように思う。体重も10年前まで戻す事に成功したし、だいぶ絞れてきたんじゃないかな。
いや、それ入院する前にやっとけよ、て話ではあるんだけど。
B)作業療法
こちらではストレッチや筋トレ、瞬発系のメニュー等。より実生活に即した身体全般のリハビリかな。こちらも、元々武道系の部活に入っていた事もあり、ブランクはだいぶあってもやることは明確だ。
ここでは、実生活に戻った際、どのような生活・活動を行い、そのためにどのようなリハビリを行うべきかを話し合った。俺の生活で最も負荷がかかりそうなのは、
「リュックに5kgの買い物を詰めて、2駅分の距離を徒歩で往復したい。」
という事で、負荷のかかるリュックを背負った上で階段の昇降やストレッチをみっちり行う。その様子は
「リハビリ病院なのに、一人だけジムみたいなメニューしてる人がいる…」
とささやかれていたとかなんとか。
また、リハビリ以外の時間も自主トレのメニューを頂いて、暇を見てはトレーニングに励んでいた。
あまり負荷をかけ過ぎて怪我でもしたら病院の席になる。こちらの無茶な提案を快く受け入れてくれたトレーナーにも感謝。
退院が近くなると、外で庭の水撒きもなぜかメニューに加わった。短時間とはいえ、屋外の空気を吸いながら汗をかけるのはやはりいい気分転換になった。
C)言語療法
こちらはいわゆる脳トレ系のメニュー。
毎日同じようなメニューをこなすだけで、しかも毎回普通に解けている状況。
正直リハビリが進捗している実感がわかなかった。もっと負荷をかけてリハビリのペースを上げるようなメニューはないのか、との質問にも一切返答はなく、ストレスが溜まる状態だった。
転機は、ある日の宿題。
「数独をやってください」
数独?ああ、ナンプレの事か。名前は知っていたが、やった事はなかった。
メニューとして出て来たのは一度だけ、しかも紙だったが、個人的に負荷をかけられるとすればこれしかなさそう。何よりゲーマーの血が騒ぐしね。
さっそくスマホのナンプレアプリをインストールし、「揺れてー」しながらひたすらナンプレを解くという事に。たまたまやっていたイベントもフルコンプ出来たし、まぁまぁ成果は出たんじゃないかと自己満足している。
【BGM】MEGA OVER DRIVE / POLYSICS
https://youtu.be/dDJe18VY6Po
▪️3-03 / PATIENTS。
リハビリ病院なので、基本的にはみんな社会復帰を目指して頑張っているし、ほとんどが自分より年上なので落ち着いた方ばかりだ。
そんな中でも印象的な人はいた。3人ほど挙げてみよう。
●80代・男性
途中から同部屋になったお爺さん。なのだが、だいぶパワフルで明るい方だ。
そしてウンチク話が大好きなご様子。新しい看護士やトレーナーさんが来るたびに
「ねえねえ、乃木坂46っているでしょ?あの乃木坂って何の事だか知ってるー?あれはねぇ、日露戦争の時に乃木将軍という人がいてねー」
と、毎回同じ話をドヤ顔で語り始める。お爺さんの中ではすべらないネタ扱いなのだろう。
周りも慣れたもので「へー、そうなんですねー」と口調を合わせているのが、横で聴いていておかしくてしょうがない。
以来、俺の中ではお爺さんが話し始めるたびに
「お鍋の中からボワっと〜 ウンチクおじさん登場〜♪」
と歌が流れるまでになった。
俺が退院する日、お洒落な格好で
「これから外出のリハビリをしてくるよ!」
と元気に話していたお爺さん。俺もああいうパワフルさを持ち続けたいものだ。
●??代・女性
病院には年配の女性の方も多く、そちらはそちらでコミュニティが出来ているようだった。
その中で一人、目立つ人がいた。
見た目は初老くらいで物腰も丁寧な方。ただし、とにかく我儘で言う事を聞かない様子。
お嬢様タイプというか。
食事の時間に現れない他、夜になると誰彼構わず部屋を訪問し、
「●●さんのお部屋ではないかしら?」
と話しかけては看護士に連れ戻される、という行為を繰り返していた。
一度、自分の部屋にも入ってきて驚いた事がある。その際は適当に会話を合わせているうちに看護士さんが来て、自分の部屋へ連れていったようだった。
かつて、自分の祖母も認知症を患い怪しい言動をしていた事を思い出し、懐かしさとともに寂しい気分になった。
自分より先に退院していったが、無事に生活できているのだろうか。
●40代・男性
自分の退院より少し前に入院してきた、珍しく俺より若い人。
所在なさげで不安そうな様子だったので、ある日の食事後に俺から話しかけた。
工事中の事故で脳に軽い損傷があり、リハビリ中なのだという。
俺も脳梗塞だった事を告げた上で、どのような症状だったか?現在までに何をしてきたか?色々と話す事で、本人もだいぶ緊張がほぐれたようだった。
初めての大病、入院。
俺も不安だったし、先行きに絶望感を感じていた時期もあった。
人と話す事で、多少なりとも前向きにリハビリへ取り組み、無事に社会復帰してくれればこちらとしても本望だ。
【BGM】踊るポンポコリン / B.B.クイーンズ
https://youtu.be/jdSpCP3epIE
▪️3-04 / HOMECOMING。
リハビリを続けて約1ヶ月半となる7月末。
各所のトレーナーが集まり、俺の退院可否及び退院時期の話し合いが持たれた。
理学・問題なし。
作業・問題なし。
言語・最終テストを(ほんの一部怪しかったらしいが)問題なし。
当初3ヶ月と言われていたリハビリを1ヶ月前倒して、8月中旬に退院出来る事になった。
地道なリハビリと自主トレの成果だ。
食事時に、ウンチクおじさんと工事の兄ちゃんにも伝えた。我が事のように喜んでくれた。
残るリハビリメニューも完遂し、いざ退院へ。
妹が手続きに付き添い、無事退院。
スタッフの
「もう戻ってくるなよ!」
に対して
」はい!ではまた来週!」
と返したのは、コロナワクチン接種の2回目を控えていたので間違いではない。
タクシーで帰宅し、荷物を受け取って妹は帰路へ。倒れた時から退院まで、唯一近くにいる親族として各種対応をしてくれた事に、感謝しつつ見送った。
帰宅したからには、まずは"日常"を取り戻さなければならない。
昼まで荒れ放題の庭の草刈りを行い、移動路を確保。その後は自宅のリグレッションチェックだ。
残念ながら、不在の間に停電となっていたようで冷蔵庫の中は散々だったし、家の中も梅雨〜梅雨明けをノーメンテで過ごしたため、だいぶ傷んでしまったように思う。
が、ともあれ一通りのチェックは終わり。普通の生活に戻れそうだ。
夕方は買い出しに。
なんとか前倒し退院できた自分へのご褒美に…と、寿司と刺身を購入。いずれも入院中は口にする事のなかったものだ。
夜、一人の退院祝い。残念ながら食が相当細くなっていたようで、寿司は完食したが刺身は少し残ってしまった。
久々の風呂に入り、少し早めの床へ。
空調は効きが悪い。
布団は薄っぺらい。
外からは虫の鳴き声がする。
深夜に巡回する足音も聴こえない。
我が家に戻って来れた感触をしみじみと味わいながら、105日前に中断した睡眠の続きを。
【BGM】犬の帰宅 / ムーンライダーズ
https://youtu.be/oU4s8KXxe3A
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