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かろうじて長唄を聴いたことがある

幼い記憶。祖父母を囲んだお祝いの会が催されました。お座敷に親戚一同の家族が並びます。芸事が好きな祖父母の影響からか、おもむろに親戚たちの余興が始まるのです。長唄や小唄、日本舞踊からカンツォーネまで、惜しみ無く披露します。

そこで初めて聞いたのが、長唄との出会いでした。叔父様と父が二人並んで唄っているのです。叔父の渋い唄声に比べて、父の調子外れはご愛敬。わたしは訳もわからず、お座敷をヨチヨチと歩き回っていたことをハッキリ覚えています。とにかく集まれば、唄うたい、お喋りにと、賑やかな親戚でした。わたしの、生演奏(ライブ)の原体験です。

学校にあがってからは、そうした親戚の集まりもなくなり、そんな幼い記憶も遠くに置き去られていました。それでもずっと心の片隅にあった、唄と三味線の丁々発止。かろうじて、長唄は聴いたことがあるのです。その手がかりだけで、どこまで探求できるのだろうと、無いよりはましです。いまは、にほんの音楽を紐とくことが、とても大事なことだという気がしています。

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