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「医療」と「暮らし」の境界線をめぐって:コロナ禍と地域

去年の9月からはじまった連載もお陰様で11話目になりました。
最初は書き続けられるかなぁとちょっぴり不安でしたが、楽しく書かせていただいています。もともと文章を書くことは得意ではなかったので、僕にとってはかなりのチャレンジでした。毎回サポートをいただいている編集者の渡辺さんには本当に感謝です。引き続き宜しくお願いします!

ということで、最新話の公開から1週間以上が経ちましたが、最新話の話をしたいと思います。

このnoteの音声ver.はこちら。

タイトルは『「医療」と「暮らし」の境界線をめぐって:コロナ禍と地域』です。2020年4月に出た緊急事態宣言の前後の話を書かせていただきました。文章的には結構真面目なというかすごく濃くて、ちょっと長くなっちゃったんですけど、リンク貼っておくので読んでもらえたら嬉しいです。

最近ね、自分なりにですが一丁前に読みやすさとかリズムとかを気にするようになりました笑。今回も長い文章だったのとちょっと報告的な要素があったので、読み返していて気になる部分がたくさんあったんですね。編集者である渡辺さんにどうですかねぇって話をしてみたら、最初よりは全然いいよって言ってくれてホッとしました。文章って本当に難しいですね。こればかりは書き続けないと良くならないと思うので、引き続き頑張ります。

さて、最初の緊急事態宣言が出てから4年が経って、もう随分前の出来事のように思えますが、みなさんどんな風に過ごしていましたか?

僕はというと、ちょうどこの頃に武蔵野台商店という京王電鉄さんと一緒にやってた武蔵野台駅ナカのカフェを閉店することになってしまったり、訪問看護や居宅介護支援の方では、コロナ感染者のご自宅に訪問をしなければいけない状況になったり、フラットスタンドをどうしていくかみたな話をしていて、日々の判断に追われていました。

府中市はというと、日本全国どこもそうだったと思うんですけど比較的対応が遅かったかなぁという印象がありました(当時は遅すぎる!なんて思っていたんだけど、そこは連載を見てもらえたらと思います)。特に情報の共有が遅かったですね。医療崩壊なんて言葉も当時は言われていて、テレビではあの病院の前にテントがあるみたいなシーンが多く見られたと思いますが、そんな中、僕らは訪問看護や居宅介護支援でご自宅への訪問を続けていました。

うちの訪問看護は医療依存度の高い方への訪問を多くさせてもらっているので、行かないとその人が生活できなくなってしまったり、場合によっては命に関わるケースもいるんですね。なので、訪問看護サービスを止めるわけにはいかなかったんです。

政府から緊急事態宣言が出る前ぐらいから東京都は自粛要請を出していて、リモートワークや不要不急の外出を避けてくださいみたいなことを言っていましたが、それによってもちろん感染予防につながっていたと思うのですが、いま振り返ってみると果してそれがよかったのかどうなのかなーって疑問に思うところです。

僕自身も医療や介護が必要な方に対してサービスを止めるわけにはいかないと思っていて、どうしたらいいのだろうかと毎日会社のスタッフと話をしていました。府中市はバタバタで在宅ケア領域に対してのサポートができない状況はわかっていたので、自分たちで動こうというのが僕らが出した答えだったんですね。

で、そこで「府中コロナ会議」というのを立ち上げて、在宅医療・福祉サービスを崩壊させないという目的を掲げました。コロナ感染予防マニュアルをつくったり、市民向けの感染予防パンフレットを市と一緒につくったり、感染防御物品の整理や受け入れ窓口をつくったり、一つの事業所が動けなくなった場合に他の事業所がサポートできるような横断的支援の仕組みを考えたり、そんなことをしてきました。

日々変わる対応を分単位といったら大袈裟かもしれないけど、そういうのをやっていたので今思うと苦しかったなぁと思います。

今回の最新話にも書いたんですけども、不要不急の外出の自粛とか緊急事態宣言が出てるのに府中市内を見てみると今まで通り人は生活しているし、肩を寄せ合って歩いている人もいるし、そんな状況だったんですね。

この状況を見て、医療の立場からするとすごく疑問に感じるところがあって、なんとか感染拡大を防ごうとシンクハピネスのblogで発信「してしまった」ことがあるんです。「してしまった」というのは今振り返ってみた時にこう言いきれます。医療の正しさを市民に押し付けてしまったという僕の中でも反省があってこのように表現しています。

どんなことかというと、科学的根拠のないものがたくさん言われていて、何が正しいのかわからないのにソーシャルディスタンスは○mだとか、アクリル板の設置が推奨されていたりとか、とにかく感染させないために当時できることはなんでもいいからやっておこうみたいな雰囲気があったと記憶しています。そして、それをしていない人は悪だみたいな空気も。

さらに僕は市長に直接メールを送ったんですね。今の状況だとヤバいから、市長からメッセージを出して欲しいって。SNSでも良いし、Youtubeで配信でも良いし、メディアに出て市民向けに発信して欲しいって伝えました。実際に行動を起こしてくれた市長には感謝していますが、あの僕の行動も正しかったのかどうかもちゃんと振り返らなければいけないと思っています。

医療の「正しさ」とその人の暮らしの「正しさ」というのがあって、シンクハピネスはそこを大切にしてやってきたんですが、あの時ばかりは医療に振り切りました。それが僕らにできることだったと思うので、そこは振り切ることを判断したんです。フラスタでは足りていなかったマスクや消毒液などの感染予防物品をSNSで呼びかけて集め、必要な人たちに届けるということもしていました。これはそれまでに「暮らし」の中での活動をしてきたことで、このような対応ができたのではないかと思っています。

「医療」と「暮らし」のバランスを取ることは当時すごく難しかったですね。この境界線を僕らはどう行き来するのかに悩まされたコロナ禍でした。

連載ではこんなことを書いていすので、みなさんぜひ読んで感想くださいね。

ということで今日はこの辺で。

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