なんでもない夏のおわり
年に数回、栃木にある友人の家に行く。都内から電車に揺られて2時間ほど。駅からさらに車で20分ほど走ったところに友人の家はある。友人とその父母、姉夫婦、姪っ子2人の住む家。それから2年前から家族になった柴犬。
家でくつろいだおしゃべりをして、日が傾きはじめる少し前になると犬の散歩に行く。友人の家でのいつもの生活の一部。
今回は友人と私と下の姪っ子と3人で、散歩にでた。今年はいつもより時期が少し遅かったからか田んぼの稲穂が青いまま頭を下げはじめている。あぜ道を歩いていると、小さいカエルがぴょこぴょこ跳ねて危うく踏みそうになる。犬はカエルなんで目に入らないかのように、くんくんと匂いを嗅ぎながら自由に歩き回る。
田んぼから見る空はとても広くて、いつ来てもその広さにしみじみしてしまう。
「ほんとにこの空の広さが気持ちよすぎる」
「それ毎回言うょね、もう毎日見てるからわかんないけど笑」
しばらく立ち止まって空に囲まれていることを楽しむ。わざわざ見上げなくても目の高さから空が広がっている。この日の空はわりと厚みのある雲が低い位置で重なってときおり雨を降らせていた。歩くとむし暑いけれども、もう秋がすぐそこまできているのを感じる。
その友人宅に行くとだいたいそんな感じ。いつも同じようなことをして、いつでもだいたい穏やかに過ごす。毎回空の広さをしみじみ感じて、毎回つっこまれる。でも昔はいなかった犬が家族になったり、小さかった姪っ子たちが部活に忙しくなったりしている。
友人と私も気がつけば10年ものつきあいになっていて、変わらないところと変わったところと、変わり続けているところとある。自分の望む望まないに関係なく緩やかに時間は流れていて、その流れの中で気がついたら変化していることもあって、お互いのいろんな時期を知っている。
いつでもそのときの目の前の相手をまるっと受け入れあう感じがちょうど心地いいんだなぁ。と感謝してみたり。(でもこれを読んだら「なーにカッコつけて!!」と軽やかに笑いそう)
時間は流れるし、いろいろあったりなかったりするし、考えすぎたり考えなさすぎたりするけど、「まぁなんとかなるし、なんとかするょねー。」と心が軽くなった夏のおわり。
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