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自分が嫌いだった…(注:過去形)

人生のほとんどを自分を好きになるためにもがいてきた。

でも、もうそろそろ終わりにしよう。
今年一年が世界の変化と共に自分の変化も大きい。
そう、ここ数日も気づきがあり「人間の性質なんて存在する物質の性質と同じであって良いも悪いもない」ということが腑に落ちた。

例えば磁石はプラスとマイナスの激しい両極の性質を帯びていて、その性質にあったものを引き付ける。なんて悪い性質なんだろうとはならない。
そういう物質としての性質を持っているというだけ。

例えば水は温度が低くなると凍る、高くなるとぐつぐつと湯気を出して沸騰する。また別の顔は気体にもなれて空に浮かぶことも出来る。そんな性質であるというだけで、誰に責められることもない。

自然の中の物質はすべてそう。そして生きている生物、昆虫や動物もそれぞれのユニークな性質を持っている。それを知ってただ受け入れるということしかしない。できない。それはそのものが持っている元々のもので、そこに存在の価値があるのだから、できないし、しない。

人間も自然の一部であって、自然界のものと同じく、一人一人が唯一無二のオリジナリティを持って生まれてきている。それなのに何故そこで苦しむの?そうだ。苦しむ必要はない。性質はそれが個人を識別する目印になっているだけだ。それが本当に腑に落ちた。

もう自分の性格がうんぬんとか
それで辛いとか……
そんなことはもういいかなと思ってる。

それよりも世界には奇跡と不思議、驚く感動であふれている。
宇宙の神秘も一生勉強し続けても尽きないほど面白いものでいっぱいだし、宇宙のみならず、人体の働きや生命の不思議や、歴史の辿ってきた道、多くの偉人や指導者の考え方。とにかく自分の殻に閉じこもっていては知れないようなすごいことで、この世界はいっぱいだ。

いくら時間があっても足りないのに、自分の心の扉を閉ざしている時間がもったいない。こういう形での自分の受け入れ方というのも、自分で言うのも変だけど面白いので綴っておこう。
世間で出回っているような、正当なやり方ではないけれど、ここでも個人個人で様々な自分に対する受け入れ方があっていいんだな、きっと。


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