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【10周年】 AKIND創業前の物語・その2

前回に続き、AKIND創業前の話を綴りたいと思います。今回は、東日本大震災の後、創業者二人で旅に出かけたブータン王国で出会ったAKINDの思想の原点について書いてみたいと思います。

引き続き、お付き合いいただければ。


しあわせの国で出会った「本質的な問い」

ブータン王国へ、二人旅に出かける

前回の記事で書いたように東日本大震災の支援のため「えほんバス」というプロジェクトを立ち上げた岩野と森江。だんだんと仕事は震災以前の状況に戻っていく中で、「このまま、今の仕事を続けていっても良いのかな?」という疑問が胸の中でモヤモヤしていました。

当時働いていた会社の上司が、ブータン王国で開催されていたGross National Happiness Conferenceに招待されたこともあり、東京のオフィスにブータンの人が来社され、色々と話をする機会もありました。そのうちの一人が「ブータンに来たかったらガイドなど手配するよ!」と声をかけてくれたこともあり、僕たち二人は、ノリで「ブータンいっちゃおう!」と、2011年9月にブータンへと旅立ちました。

ブータン王国の首都 ティンプー

タイ経由の飛行機でブータン王国に向かい、空港ではガイドの現地の人が迎えに来てくれていました。僕たちはガイドの男性を見つけたところ、ガイドの様子がおかしいことに気づきました。ガイドさんは、まだ遠くにいる僕たちを認識した様子だったのですが、首を傾げて、目を丸くしていました。近づいて行った森江くんに向かって、「あなた、ブータン人?日本人?」と。森江くんは、いろんな国で現地の人と間違われることが多く、ガイドさんは「日本人が2人来ると聞いていたのに、なぜ1人はブータン人なんだ?と不思議に思った」と話してくれました。 (笑)

ブータン国内の旅は、シンプルに言うとただただ寺院を巡るもの。あまり仏教についての知識もない僕たちは、宗教や神話についての話に耳を傾けながら、「Compassionってなんやねん」みたいな話をしていました。実は、二人で長期間を共に過ごすことはこれが初めてであり、ブータンの夜は早く終わるため、夜な夜なホテルの部屋で、たわいもないことも話し合っていました。


「競争」ではない「共生」という価値観

そんなブータン旅を通じて、僕たち二人の価値観が確認し合えたエピソードがあります。旅の道中、あくまでも観光なので、ガイドさんにいくつかのお土産屋さんに連れて行ってもらいました。とはいえ、よくある観光ガイドのようにお土産を買わせる様子もなく、とりあえず連れてきたという程度。

職業上、普段からさまざまな店舗を巡り、「面白い商品はないか? オリジナリティのあるものは? ユニークなディスプレイはあるかな?」などと目を配る癖があり、ブータンでも同じようなモードでいくつかのお店を見て回りました。しかし、どの店に入っても、売っているものが同じ。ブランディング魂が燻られ、現地の人に「もっと、特徴のある商品を売ったら、他の店よりも売れるのに、なぜやらないのか、勿体無い。」と言うような話をしました。

同年代で気が合ったガイドの男性と現地の人に間違われる森江くん

その質問に対する現地の人の答えは「なぜ、他の店より売れる必要があるの? 一緒にちょっとづつ売れば、みんなハッピーじゃないのか?」と言う素朴な答え。自分がどれだけ、経済資本主義や競争社会に毒されていたかということに気付かされました。競争しなくても、他に勝たなくても、ゆっくりじっくりやればいいじゃんという、競争社会ではないブータン王国のような価値観にこそ、本質的な人の幸せや豊かさがあるのだと気付かされました。


肌触り感のある「営み」と「風景」

旅の間、ガイドの男性との会話の中で、色々な話を聞くことができました。

「インドから軍隊が攻めてきた際に国王は果敢に馬に跨り戦いに挑み、軍隊を追い払った」という御伽噺のような話。そして、「王様はほら、あの丘の上に住んだいるんだよ」と指差した先には、少し大きめの家が丘の上に立っていました。それは、大きな壁で囲まれてもいなさそうだし、豪邸でもなさそうな建物。自国の象徴が物語と風景の中に、当たり前のように馴染んでいる肌触り感がリアリティあるなと感じました。

また、「しあわせの国って呼ばれているけど、実際に住んでいる人はどう思っているの?」と聞いたところ。「よく、わからないけど、自分の家族や身の回りの人のしあわせは大切にしているよ」と答えてくれました。道中では、経典を収めた円筒がくるくる回る仕組みで、これを回せば経典を読んだことになるという「マニ車」が村のあちこちにあり、みんな自然とそのマニ車を回す仕草が美しく、仏教を通じて、自然や世間とのつながりを日常的に感じている風景に感激しました。

街で見かけた日々の営み

東日本大震災を経験し、「本質的な社会の豊かさや、しあわせとは何か?」を見つけに、ブータン王国を旅をしました。現地の人たちとの会話・その営み・美しい風景が、「自分の身近な人をしあわせにすることが、本質的な社会の豊かさにつながる」という当たり前のことに気づきを与えてくれました。当時の僕は、地元を離れ、東京で何年も暮らし、大型プロジェクトを担当しながら、ストレスを消費で解消している日々を送り、両親とのコミュニケーションも希薄となり、地に根を張れていない生き方をしていました。この気づきが、神戸の地に根を下ろすAKINDを創業するきっかけにつながりました。


日本が導く「共生的な経済と社会」の可能性

少し、時間の軸を前に戻しますが、僕たちはブータン王国に向かう前、経由地バンコクで数日過ごしていました。そのバンコクで見た風景は、アジア的な価値観や生活文化が根底にあるけれども、欧米的な経済資本主義の流れに飲み込まれた結果、ツギハギだらけのよくわからない風景が出来上がってしまってたことに、とても違和感を感じていました。

一方、これまで話したような穏やかでゆったりとしたブータン王国でも、地元のパブに入れば小さなテレビでK-POPが放映され、建築や開発にはインド資本が入り、みんな道端で携帯をいじっている様子を見かけることがありました。このままだとブータン王国もバンコクのように、本来持っていた価値観や文化が、経済資本主義の波に飲まれ、豊かな営みや風景が消失してしまう可能性に懸念を持ちました。

そんな中、一つの橋が、僕たちの使命を認識するきっかけをくれました。ブータン王国では、車での移動が基本となるのですが、道があまり舗装をされていないので、ずーっとゴトゴト揺れる車内から外の景色を眺めていました。その時、突如、車の揺れが止まり、スーッと滑らかに車が走っていく瞬間に出会いました。「あれ、今の道は何?」と聞いたところ、現地のガイドが自慢げに「Made in Japan!」と教えてくれました。ブータンの中には、他国からの援助で多くの橋が建設されているが、どの橋もガタガタ。日本だけが真面目にジャパンクオリティの橋を丁寧に建ててくれたんだと、嬉しそうに話してくれました。

村で見かけた日々の営み

その経験を、夜に二人で振り返る中、現代のアジアには、アジアの価値観や文化に適した経済発展のためのロールモデルが存在しないので、欧米型の経済発展モデルを真似するしかない状態。その結果で、街の風景に違和感が生まれているような気がする。本来、日本に求められていたのはアジア的な価値観や文化に根付いた、欧米とは違うオルタナティブな経済発展モデルを実現し、アジアのロールモデルになることが期待されていたのかもしれない。

これまでの日本は、欧米型の経済発展モデルを数十年貫き、ここまで経済を大きくしてきたが、今、さまざまな課題が創出している。「そんな日本で、やるべきことはまだまだあるのでは?」「競争ではなく、共生を基本とした経済と社会のあり方が求められているのではないか?」そんな使命めいたものを、ブータン王国の穏やかな夜景を眺めながら、ベランダで熱く語り合っていました。

この夜の僕たち二人の会話から、僕たちは似たようなことを考えるやつだなとお互いに認識し合い、AKINDの思想の基盤になったのではないかと思います。


おわりに

AKINDの原点はブータン王国での旅にあると改めて、振り返ることができました。この度での気づきが起点となり、僕たちは、AKINDの創業に向かって歩みを進めていきました。次回は、「なぜ、AKINDという名前になったのか?三方よしにこだわったのか?」などについて、綴ってみたいと思います。


株式会社AKIND 代表取締役 岩野翼

<この記事を書いた人>
岩野 翼 | Tasuku Iwano
株式会社AKIND 代表取締役 CEO / 神戸在住 / 二児の父

英国のBrunel University ブランディング&デザイン戦略修士課程修了。2014年に「百年続く、三方よしの商いを共につくる」ことを目指し、株式会社AKINDを神戸の地にて創業。組織と地域に“前向きな変化を生み出す”ブランディングファームとして、対話型組織開発やデザイン思考のアプローチを組み合わせたブランドマネジメントを実践している。

主なプロジェクトは、Peach Aviation株式会社のブランドマネジメント、経済産業省のMVV策定、ANAグループのビジョン策定、道の駅FARM CIRCUSのブランド開発、都市ブランド戦略「食都神戸」の策定、神戸ウォーターフロントのエリアブランディングなど。