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【10周年】 AKIND創業前の物語・その1

一年ほど、記事を書けていなかったのですが、また少しづつ、書きためていきたいと思います。AKINDは、今年で10周年を迎えました。その際、創業からこれまでの出来事を振り返ったメッセージを社内で展開をしたのですが、みんなから「これをNOTEで書いてみては?」とアドバイスをもらったので、僕の振り返りに誰が興味を持ってくれるんだろうかと思いつつも、AKINDの物語を少しづつ紡いでみたいと思います。

カジュアルな内容なので、箸休め程度にお楽しみいただけたら、幸いです。



大きな出来事から生まれた小さなコラボ

リーマンショックで急遽始まった二人三脚

AKINDは、岩野と森江の二人で創業したブランディングファームです。僕たちが出会ったきっかけは、前職のブランド・コンサルティング会社 CIA Inc.で一緒に働いていたこと。僕はArt Directorと言う肩書きで、ブランディングのクリエイティブ面や企画を担当し、森江くんはProject Managerとして、扱いが難しい国内外のクリエイターや専門家とチームを組みながら、プロジェクトを推進する役割をになっていました。

2008年にリーマンショックが起こり、多くのプロジェクトが中断してしまうという危機に直面しました。勤めていた会社の状況も大変なことも察していたので、会社から副業の許可をもらい、僕たち二人は自分たちでゼロから仕事をつくることに挑戦することにしました。

とはいえ、特に明確な仕事の当てもなかったので「で、どーしよー」と頭を抱える。とりあえず、顔の広い森江くんのネットワークをつてに、クライアントとのやり取りに苦心していたデザイナーと出会い、デザイナーとクライアントの間に入り、打ち合わせやプロジェクト進行のファシリテーションを担うという仕事を生み出しました。デザイナーが力を発揮できるように、クライアントが理解できるロジックやステップを用意して、プロジェクトを成功させる。そんな仕事のスタイルは今のAKINDにも引き継がれてると思います。

そうこうしている間に、本業の会社にもプロジェクト案件が戻ってきたので、二人の副業コラボは一旦お休みとなりました。


東日本大震災で生まれたAKINDらしいアプローチ

2011年3月11日に起こった、東日本大震災。震災が起こったその時は、渋谷の古いビルの1階にあった会社のオフィスに僕たちはいました。高校生時代に阪神大震災を経験していた関西人の僕たちは、直ちに他のスタッフに声がけをして、近所の小学校の運動場に避難。僕たち二人がコミュニケーションのハブとなり、スタッフのみんなが無事に帰宅できたかを確認しあいました。

震災が少し落ち着き出した時期に、社内で被災者のためのプロジェクトを立ち上げようという話が上がりました。スタッフの一人から、「絵本をテーマに何かやってみたい」とアイデアが出て、本好きの森江くんが賛同。岩野も「やるなら被災地側のニーズをしっかりと捉えて、役にたつ取り組みにした方がいいよね」と三人でチームを結成。

個々のネットワークを活用して、奇跡的な被災地のNPO法人との接点が生まれました。そのNPOは、津波で被災した保育園や幼稚園の施設を支援した活動を行っていて、子供たちがふれあい楽しめる場を提供するため、全国から絵本の寄付を集っていました。当時、被災して窓ガラスも割れたままの体育館に全国から何万冊もの絵本が集まり、山積みの状態になっていましたが、この本を子供たちの元に届けう方法と資金がないという壁にぶつかっていました。

僕たちは、仙台の被災地に向かい、活動しているみなさんの想い、状況、課題に耳を傾けました。「NPOの皆さん自身がやろうとしていることを前に進められるように、現地で不足している仕組みづくりと資金調達を支援する」ことを決意し、東京に戻りました。そして、移動図書館用のバスに全国から集まった絵本を載せて、仮設住宅にいる子供たちに絵本を届け、被災地を巡る「えほんバス」プロジェクトを企画。

えほんバス:現地での様子

岩野が企画書を日・英で用意し、震災支援に関する寄付先を探していた外資系の団体や企業にアプローチをかけ、クレディスイスやイタリア大使館などにピッチングの機会をいただき、予算を確保。プロジェクトの肝である移動図書館は、森江くんが九州に1台の残っていた移動図書館用のバスに辿り着き、修理と塗装を行いました。

僕たち二人は阪神大震災を経験していたので、被災というものは長年続くことを知っていました。当時は、打ち上げ花火のような被災支援プロジェクトが乱立している状況でしたが、「えほんバス」では、何年も継続できる仕組みづくりにこだわりました。実際に、追加の資金調達も実現し、現地のNPOのみなさんが「えほんバス」プロジェクトを何年も継続してくれました。

この経験は、当事者目線で社会課題に向き合いながら、継続的な仕組みとして企画し、ゼロから予算を確保し、現場が自走できるようにフォローし、多くの人が関わりたくなるブランディングを共創するというAKINDらしいアプローチが生まれた、僕たちの原点とも言えるかもしれません。


おわりに

ここまで、お付き合いいただき、ありがとうございます。この後、僕たちはブータンを旅し、AKINDの創業を決断していきます。引き続き、AKINDの物語をお楽しみいただけたら。

株式会社AKIND 代表取締役 岩野翼

<この記事を書いた人>
岩野 翼 | Tasuku Iwano
株式会社AKIND 代表取締役 CEO / 神戸在住 / 二児の父

英国のBrunel University ブランディング&デザイン戦略修士課程修了。2014年に「百年続く、三方よしの商いを共につくる」ことを目指し、株式会社AKINDを神戸の地にて創業。組織と地域に“前向きな変化を生み出す”ブランディングファームとして、対話型組織開発やデザイン思考のアプローチを組み合わせたブランドマネジメントを実践している。

主なプロジェクトは、Peach Aviation株式会社のブランドマネジメント、経済産業省のMVV策定、ANAグループのビジョン策定、道の駅FARM CIRCUSのブランド開発、都市ブランド戦略「食都神戸」の策定、神戸ウォーターフロントのエリアブランディングなど。