自己肯定じゃなくて、人生肯定。
2017年5月。
NEWoMan1周年のプロモーションイベントプロデュース。
"誰しもが皆、無名だった"
今見返しても、本質的でいいメッセージだなと思う。
体感型のウィンドウディスプレイも当時話題になった。
今日、ふとこの写真を見返してほんとにそうだなって思った。
そもそも「みんな」って誰なん?
誰かとの比較とか、
誰かを羨んだりとか、
誰かのせいにしたりとか。
そんなことばかりしてたらいつまでたっても無名だ。
いや、むしろ無名でもよくて、しあわせのカタチは自分が決めるもので、誰かが決めるものじゃない。
勝手な思い込みの「みんな」に惑わされず、
自分に納得できる今なのか、
自分はどう思うのか、
自分はなにを幸せとするのか、
に目と耳と心を傾けることだと思う。
みんなと同じだから安心なんてことはないし、みんなと同じが幸せなんてことはないんだから。
みんなと同じじゃなくていいよ、全然。
でもね、自分を好きになるってそんな簡単じゃないし、「みんな」を全く気にしないなんて無理。
自己肯定感を高めるためにいろんなハウツーが語られているけど、正直わたしは、「自己肯定感を高める」って必死に自分探しして、自分を認めなきゃってエネルギーがしてあまり好きじゃない。
これまで自分が積み重ねてきた日々、生きてきた道を見つめて、これでよかったんだって肯定する「人生肯定」。
それだけで十分だと思ってる。
あなたの人生は「みんな」と絶対違うんだから。
人生を肯定できた時、人ははじめて当たり前の日常や、目の前の小さな幸せに感謝できる。でもそれは一回できてもまたいつのまにか忘れてしまう。
だから定期的に人生を見つめ直して、人生を愛する時間が必要なんだって最近改めて思うんだよね。
人だからできることは、感情を味わうこと。
自分を好きになれなくても、自分の人生を好きになれたら、自然とありのままを受け入れられるようになるし、「みんな」のこともそんなに気にならなくなる。
だから、私は「自己肯定感」を高めることよりも「人生肯定感」を高めることを勧めたい。
だって、みんなと同じことが幸せな時代は終わったんだから。
あなたの人生は、あなたのもの。
他の誰ともちがう、あなただけの。
(photo by Ayato Ozawa)
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