初の個展「365日後のあなたへ」を終えた直後の感情をそのまま置いておく。
個展の撤収を終え、逗子に戻ったのは深夜1時。
疲れ切ってるはずなのに余韻でなかなか眠れないのか、眠りたくないのか、ソファに座ってみんなからの感想コメントを読んでいた。
気づいたらそのまま眠ってしまっていて、 まだ薄暗い朝にぼんやり目が覚める。あついお風呂に入って、静かな海を散歩した。やっと少しずつ感情が解けていく感じがした。
2022年4月23日。
初の個展 365日後のあなたへ が無事終わった。
感情や感想はまだ整理できていない。
たくさんの「おめでとう」と「ありがとう」を受け取って、なんとも幸せな充足感はある。でもそれだけじゃない。やり切ったという達成感や、いいものができたという満足感とも違う。終わったという解放感とも違っている。
言葉にならないなにかを、私も感じている。だから今のそのままをただ綴っておこうと思う。
朝、凪な海を見ながらふと選んだ曲のメロディがとても心地よくて、タイトルを見たら今の自分にピッタリで驚いた。
音を聞きながら砂浜に寝そべって空を見上げると、温かい涙が頬を伝う。昨日の時間を、私を、リフレクションしながら、感情が馴染んでいくようだった。
人生肯定本の出版から1年。
この節目に、「人生肯定」を本ではなく、空間に込めと開催した。
そこに流れる空気と湧き上がる自分の心の声を感じてほしくて、メイン会場は携帯オフ。私語なく一人で鑑賞してもらうスタイルに。
私の365日に重ねて、自分との対話をする。問いかける。365日後の自分に想いを馳せる。
だからみんなのiphoneに写真は1枚も残っていない。でも、
記録に残ってなくても、 記憶に残るなにか。
言葉にならなくても、 心に残るなにか。
そんな「なにか」を味わってもらう時間になっていたらと願う。
ある人は、自分と重ねて涙が止まらなかったと言った。
ある人は、まるでデトックスしたように心が浄化されたと言った。
私をよく知る友人は「なんとも言えない」と書き残していった。
人それぞれ受け取り方が違うものを渡すのは、とても勇気がいることだったし、「私」という人間の365日を曝け出すのは怖かった。曝け出す必要がないこともあった。それでも人生って綺麗事ばかりじゃないし、逆に葛藤や挫折ばかりでもない。大半は何気ない毎日の積み重ねだったりする。だからせめてここにあるものは、言葉は推敲しても感情はその時のまま宿したつもり。
何を感じるかも、どう受け取るかも人それぞれ。空気も温度も、その時湧き上がる感情も、あの時、あの瞬間だけのものだった。
私が生まれた意味は、目に見えない空気や温度を言葉として伝えることなのかもしれない。人生の愛おしさと苦しさ、美しさを伝えること、その時の刹那的な感情をすくって届けることなのかもしれない。この個展は最初で最後のつもりでつくったけど、そんなことを、今ふと思っている。
真夏のような陽射しだった昨日から一変、しとしとと冷たい雨が降ってきた。
でも今日が雨でよかった。ゆっくりと特別だった昨日を日常に馴染ませていきたかったから。ノイズを含まず浄化してくれそうで安心した。
個展に込めたメッセージや、どんな1日だったかはまた落ち着いて書こう。今日はただただ凪のように過ごしていたい。
共に作ってくれた仲間、来てくれたみなさん、そしてこれまでの自分にありがとうの気持ちで。
photo:Ayato Ozawa
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