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白でも黒でもなく、グレーな朝。

朝5時。まだ街が全く起きてないこの時間にバックパックを背負って空港行きのバスを待っている。比較的安全といわれてはいるが、ニュージーランドに来て初めてさすがに一人で歩くのは怖いな、と感じた朝だった。

ヘッドフォンからはNujabesの曲が流れてる。

昨日で彼がこの世を去って10年。
渋谷スクランブルでは追悼映像が流れたと聞いた。

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私も昨日からずっと彼のどことなく切ないメロディを聴きながら胸がつっかえるような、何とも言えない気持ちに揺蕩う時間を過ごしている。

そんな夜だったからか中々寝付けず、珍しく1時間おきに目が覚め、結局3時間くらいしか眠れずに朝を迎えた。



先月、大切な友人がこの世を去った。


その1週間前にも、別の知人の悲報があった。


私は海外にいてどちらのお別れの会にも駆けつけられなかったんだけど、悲しみに暮れるというよりも、突然訪れた現実に「なんだかなぁ…」というやるせない気持ちで、彼女達の冥福を祈って一人で静かに黙祷を捧げた。

昨年の父との別れも悔いはないと言えど、未だにふと突然父との思い出や、看取った日の景色が蘇ってきて涙が出たりする。

明日は母の誕生日。一足早く誕生日メッセージを送ったら、父が愛用してた外車は燃費も使い勝手が悪くて一人暮らしには不向きだから、寂しい気持ちを胸に自分の誕生日に小型車に買い換える契約をするんだ、と返信があった。母のことを考えて、姉と私で勧めたんだけど、やっぱり現実になると切ない。

あぁ、またひとつ思い出になっていってしまう。

人との別れはこうしたうまく処理できない感情や、それでも生きていくという現実や、言葉にしちゃうと陳腐化しちゃう愛みたいなもので、なんだかやるせない。

日本から連絡をもらった前夜、亡くなった彼女にゆかりのあるレストランに似たお店で、ひとりご飯を食べながらそういえば彼女元気にしてるかな、とふと考えていた。そんな偶然もまたやるせなかった。

人生には、終わらないでほしいと願うほど幸せで満ちる日も、悲しみや悔しさで絶望する日も、こんな風にやるせなくて言葉にできない感情に付き合わなくちゃいけない日もある。

まとまらないし、まとめる必要もないような今のこの感情を静かに書き留めておきたいと思ったグレーな朝。

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