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3つは所属感を感じる場があると健康的な気がする

「地元」への憧れは半端ない。「地元のお祭り」というキーワードを聞くと激しく嫉妬する。

転々としてたからかと。ロサンゼルスで生まれ、2歳で帰国、物心ついた時には埼玉の東鷲宮におり、小6で再度アメリカ・イリノイ州へ引っ越し。高校卒業後はつくば、そして修士卒業後から今の街に来た。地元どこ?って聞かれてもよくわからないし、今の両親の家には住んだことがないから、いつも私が今の住んでいるところが自分にとっての一番の「地元」。

「地元感」がほしくて、憧れの「馴染みの店」がほしくて、いくつかの常連の店ができ早8年目。

そのうちの一つのロックバーが悲しいことに、今月末で閉店。通い始めたのは引っ越してすぐだから8年前?

ここでは私はいつもただのひとりの人間の「わたし」で、名前すら必要なく、それがものすごく居心地が良かった。家族とも、同僚とも違う、地域にあるコミュニティー。年齢もバラバラでみんな音楽とマスターが好きで集まって来る。誰も何も強要しないし、対等に、ただ良い音楽を聴いて楽しくだべる。しばらく行かなくても、行くと常にそこには居場所がある。

ここのマスターはコミュニティを作るのが本当にうまい(つくろうと思ってつくってないのかもだけど)。みんなマスターが大好き。マスターに会いに来て、そこで他の人たちとつながっていく。

そしてお店ではいろんなドラマが生まれる。
ものすごく意気投合したり。
とある常連の方がいつも来るのにこないからマスターが家まで様子を見に行ったり。
お客さん同士でバンドを組んだり。
(何を隠そう、わたしは元パートナーとはここで知り合った)(あと確か初対面の人とめっちゃ喧嘩して泣いた記憶もある...)

おかげさまでだいぶ「地元感」を感じており、この街の居心地はさいこうに良い。わたしはこの店にだいぶ救われて来たと思う。

明日でもう閉店だが、マスターを取り巻くコミュニティーはたぶんずっと続く。

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「家と仕事(or学校)と、それ以外に居場所があるのが良い」とよく聞くけれど、所属感を感じる場所は3つは欲しい、といつも思う。複数のコミュニティに所属感を感じられることは健康度をあげる。「なぜかよく分からないけど、でも居心地の良い空間」に人は救われる。複数あることで、「今日はここ」「明日はあそこ」使い分けられる。そして、一つがなくなってもあと二つある。

たぶん、みんないろんな「顔」がある。どれも自分だけれど、コミュニティによってすこし顔が変わったり。いくつかの所属コミュニティがあると、自分のことも分かったりする。わたしはこの店でいろんな自分に気がついた。

そして、わたしは基本一人でいるのが大好きだけど、だからといってずっと一人でいたいわけではない。でも強要はされたくないし義務はいや。わたしがわたしの気分やタイミングで行き来できる、そういうコミュニティが心地よい。

「所属」を義務付けられない方が「所属感」を感じたりする。

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もう一つのゆるい居場所・いつものカフェでは杖をついた素敵なレディが今日は話しかけてきてくださった。今日の天使認定。

※写真は荻窪銀座の道路に映してるライト。昨日はじめて気がついた。

#コミュニティ #居場所 #コラム

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