喜ばれる肉、嫌がられる肉、鹿の肉。
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喜ばれる肉、嫌がられる肉、鹿の肉。

中村安希

「お肉配り」をしていてつくづく思うのは、鹿肉って微妙な肉というか、価値の測りにくい肉だということ。人によって価値があったりなかったり、その振れ幅がものすごく大きい肉です。ある人にとっては、高タンパク低カロリーの希少な高級食材であり、ある人にとっては送られてくるだけで迷惑というほど無価値な(害にさえなる)肉です。こういうものを何百キロ、何百世帯という単位で「要りませんか〜?」と訊いて配っていくというのは、面白さがある反面、それなりに骨も心もポキポキ折れまくる経験で、日々いろんなことを考えさせられるわけです。

* もらって迷惑な肉

鹿肉要りませんか?って訊くと、たまに「やめて〜、送ってこないで〜!」といった拒絶反応が返ってくることがあります。地方に住んでいる、または田舎出身の人に多い反応ですが、え〜っとですね、私の感覚で言うとこの反応は割と普通。というのも私自身が三重県の出身で、親戚や母親の反応がまさにこんな感じだったから。田舎に住んでいる人間にとって、猪や鹿の肉というのは、「近所のおじさんや親戚のおじさんが、気まぐれで押し付けてくるちょっと迷惑な肉(毛や血や土にまみれた臭くて硬い、扱いにくい肉の塊)」程度の認識です。私は子どもながら獣は平気でしたしお肉が食べられるなら何だって嬉しかったので、「見るのも触るのも嫌!」っていう親戚の分まで肉をもらって食べていました。

鹿の解体を始める前の年、京都の田舎の茶畑で働いていた時にも同じ経験をしています。畑にも鹿や猪がたくさんくるので、休憩時間に農家さんと話していたら、近所(たぶん親戚かな)に猟師さんが数人いるらしく、毎年「猪肉要らんか?」と言ってくると。「いいなぁ〜猪肉」と私が言うと、「えっ、あんなもん食べるんか?!」と驚かれました。田舎に住む農家さんからしたら「ほんま勘弁して欲しい」と思うような「もらって困る肉」らしく、「それなら送ってあげるわ」と。結局、その翌年には自分の家の裏山で100頭近い獣が手に入ることになり、逆に「欲しかったら送ってあげるわ」と言う側になってしまいましたが…。田舎あるあるですが、鹿肉の価値ってそんなもんです。

* 鹿のサイコロステーキ:六切れ2700円

逆に都会に住んでいる人、都会出身の人にとっては、価値の分かれる肉です。野生獣の肉、天然物、というだけで急に価値が上がったり、都会のおしゃれなフレンチやイタリアンでは、上品で高級なお料理に姿を変えて提供されているようです。鹿の解体を始める前、イタリアレストランで食べた鹿のサイコロステーキが、六切れ(250gくらいかなぁ)で2700円くらいしたのを覚えています。ジビエという響きの特別感や栄養価の高いスーパーフードであること、それにもの珍しさも手伝って、その時は特に高いとも思わず食べた記憶があります。

実際に都会の友人たち、それもどちらかと言うと美食家だったり健康意識の高いような友人たちに「鹿肉要りませんか?」と訊くと、「え〜、すごーい!嬉しい!でも、そんな高価なものいただいちゃっていいの???」みたいな反応が返ってくることがあります。こちらが驚くようなオシャレな料理を作ってくれたり、最後まで大事に食べてくれたり、あるいは「友だちも呼んでみんなで食べたよー」とか「ご近所さんも喜んでた!」というような、ジビエをネタ化、イベント化してくれた人も何人かいました。送った側としてはこんな嬉しいことはないですが、ただ、そういう人は少数派で、ほとんどの人はどう反応したらいいか分からなくて戸惑っているというのが現状です。

* 価値の定まっていない肉

これがもし「近江牛要りませんか?」って話だったら分かりやすいです。牛肉は広く一般家庭にも普及していますから、どんな肉なのか、どうやって食べたらいいのかを誰もが知っています。それに商用に作られて流通している肉であるため、牛肉の中でも近江牛といったらどれくらいの価値があるか、数値(値段)で判断できる。でも鹿肉はそうじゃないんですね。部分的に流通もしていますが、大半は販売ルートにのることなく、仲間内で食べられるか廃棄・焼却処分されている。例えば滋賀県で獲れる鹿・猪肉の96%は流通しないので値段がつきません。つまり価値が数値化されず、肉の存在自体もあまり認知されていない。だから鹿肉は多くの人にとって身近なものではなく、そのために、一体どれほどの価値があるのか、有り難いのか迷惑なのか分からないとう微妙な肉になっているのだと思います。

* お金で需給調整ができない面倒くささ

こうやって見てくると、価値を数値化できるお金ってほんと便利ですね〜。文明がもたらした大発明!(笑)お金さえ介せば、欲しい人に欲しい時に欲しいだけ届けることができるし、肉の価値もはっきりと判ります。交易の最適化ってやつです。一方でお金を介さない肉は、数値による需給調整ができないので、それ以外の何かによって価値を割り出して需給バランスを調整していかなくてはならない。もちろん、鹿肉に見出される価値や需要は人それぞれ違うので、一人一人個別に見極めていかなくてはならないわけです。あ〜〜〜面倒くさいわぁ!!!って思いますが、その面倒くさい作業をずっとやり続けてきたのがこの1年半でした。

これが『鹿肉』でなかったら、こんなにも悩み考えることもなかったのに……と思います。喜ばれてるのか、嫌がられてるのかが分からない肉。こんなものを送り続けるって悲惨です。でもこれが栗田さんから与えられた宿題だと思ってますから。鹿肉の価値を割り出せる「値段以外の何か」を見つけてみせますよ。いつか、きっと。

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