安倍さんの人民葬
去る9/26、安倍さんの人民葬を行った。おれは企画者として、人民を代表して喪主をやった。
人民葬にこめた意図
この人民葬にこめた意図を述べておく。
今日9/27に「国葬」なるものが行われるらしい。同時期に多数の事件があり、どうしようもなく儀式それ自体が格落ちしてしまった状況下で、大して海外から要人が来ないにもかかわらず、「国葬」なるものが世論調査の示す意見を無視して行われることに、おれは強い違和感を覚えている。
一方でおれは、安倍さんをそれほど嫌いではない。氷河期世代やフェミニストなどの友人は安倍さんをかなり嫌っているし、その理由も十分にわかるが、おれはかの政治家に、少し親しみやすさを覚えていた。国政のことはあまりわからないので、政策の価値判断をすることもできない。ただ、安倍さんに付随する少しお茶目なイメージに、まんまと取り込まれている。
国葬というものに対する反感を覚えながらも、一方で安倍晋三という人間に対する薄っすらとした好感がある。この思いを昇華させるために、自ら「国葬」なるものに先んじて葬儀を執り行うことで、亡くなった者に対する自分の気持ちを社会にいいように使われてしまうのを避けられると考えた。
こんな方法もあるのだ、ということを多くの人民に知ってほしい。もう少し早く告知して早くやればよかったなと思う。
式次第
当日の参加者は5人。以下に軽くプロフィールを書く。
・千葉の心理学生。ノンポリ。
・東京の就職浪人。最近イベントをよくやっている。
・東京出身の会社員。キリスト者になりきれなかった。
・東京の学生。酒癖が悪い。
・京都のアナキスト。行動力がすごい。
通夜
葬儀屋のサイトで見た挨拶を軽くやって、葬儀がはじまる。参加者が持ってきた台を祭壇として、その上にろうそくを4つ、そして黒い紙製の三方の上に2L版の安倍さんの遺影を配置する。花を買ってくる者が誰もいないので、サバトのような絵面になってしまった。
セッティングとあいさつの後、献杯を行う。紙コップにぬるい缶ビールを注ぐ、その瞬間に強烈な葬式を感じた。そのせいか、誰も杯を触れさせることはなく、静かに始まる。ビールはどうしようもなくまずかった。すぐにホワイトホースをカルピスウォーターで割って飲んだ。
しばらく歓談が続く。山上氏の話や、「国葬」当日になされるデモや映画の話など。
告別式
歓談ののち、告別式を行った。
参列者挨拶。参列者ひとりひとりに故人の肖像を配り、挨拶ののち火をつけ、燃えるのを見届ける。
おれと故人の接点などないも同然だ。マスクもとっておかなかったので、燃やせるものなど故人の写真しかなかった。しかし、それが象徴的な荼毘になったと思う。
参加者はティーンエイジのほとんどを故人の総理大臣時代に過ごした者ばかりだった。そのため、小泉純一郎などと比較した故人の小粒さに触れる者が多かった。
挨拶しているとき、風と時間によってろうそくが一つずつ消えていく。告別式の終了とともにろうそくはすべて消えた。
A4コピー用紙は苦し気に燃え、熾火になって消える。その火の中に、故人の無念が見えたような気がしてしまう。熾火を踏み消す。
火葬
お別れを済ませ、火葬を行う。就職浪人氏が夏の間大量に余らせた設置式の花火を、アナキスト氏の提案で、故人の遺影の上で放つ。それが一通り終わったところで、遺影の下に花火を仕込み、発破した。故人は赤と緑の火花を散らしながら激しく燃えた。もくもくと花火の白い煙が上がり、夏の終わりを実感した。
終了後何人かは新宿へ精進落としに向かった。それで良いと思う。
小括
楽しかった。ただの路上飲みで終わらなくてよかった。
思い出を述べているうちに安倍さんが好きになってしまうという看過できない作用がある。葬式の威力を感じる。
葬送というハレのシチュエーションもあったのだろう。しかし形式によって気持ちが作られた部分が大きかった。通夜で献杯を行った後で故人の話が盛り上がったり、告別式にて一人ずつ安倍さんの写真を焼香していく際に思い出を述べたり、火葬の際に大量の花火で見送ったりと、形式的に遣ってやった心が少しずつ自分を感化していくのがわかった。「国葬」というのも、そういった変性を狙ってやっているのかもしれない。
参加者にはわりと安倍さんに対して好よりも悪の感情が強い者が多かった。(政治的主張や党派性というよりは、コロナ前から統一教会とのつながりを知っていたりなど)
だが、それでも少ししんみりしてしまった。
最後の写真を燃やしたあと、公園の樹木の間から一等星が見えた。
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