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生きていて一番後悔していること。


前回からだいぶ経ってしまいました。
祖母の納骨はまだ終わっていません。

・・・

叔母が亡くなる前夜。

私は中間テストの最中で、その日も遅くまで勉強していて、終わってやっと寝られるというところに、母の店を手伝っていた叔母が、2階に上がってきました。

疲れているだろうに、隣の部屋の電気をつけて、洗濯物を畳み始めた叔母。

わがままだった私は『眠れないから、あっちの部屋でやって』と叔母に言って、布団をかぶり寝てしまいました。

障害者ゆえ会話も上手ではなかったから、叔母は何も言わず電気を消して、自分の部屋へ行ったんだと思います。

それが、叔母との最期でした。

『おつかれさま』も『ありがとう』も言わず、ひどい言葉を投げつけて、そのまま叔母は逝ってしまった。

このことを思うととても胸が苦しいし、あの日の自分を殺したいとさえ思います。

叔母は私のことをきっと怒らなかったでしょう。
腹も立てなかったでしょう。
それが逆に辛い。

文句の1つも言ってくれてたら、叱ってくれていたら、救われていたのか。


後日、母と話すと、夜中3時くらいにお手洗いに起きた叔母と少し会話をしたと言っていました。

明け方、急逝したのだと思います。
心不全でした。


今になって思うことですが(違うかもしれないけれど)、叔母も私と同じ糖尿病だったのかもしれません。

亡くなる前数ヶ月で、体格がよかった叔母が急激に痩せたこと。
甘いものが大好きだったこと。
かつての私のように体格がよかったこと。
よく『心臓が痛い』と言っていたこと。

生前、祖父母が叔母を何度か病院に連れていこうとしたことがありました。
叔母は自分で問診票などを書けなかったし、医師と会話するのもきっと難しくて、病院に行くのをとても嫌がっていたし、祖父母も嫌がる叔母を無理やり連れていこうとはあまりしなかったように思います。
1度だけ大きい病院にかかって、腎臓がよくないと言われた・・・と聞いたことだけ覚えています。
当時は母の店も繁盛していて、大人はみな忙しくそれどころではなかった感じもあったし、今の時代ほど健康意識が高くなかったというのもあるでしょう。

今となっては知る術もないけれど、母より叔母に似ている私は、もしかしたら?と思うことがあります。

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