日々進化する常識、日々退化する常識

 身の回りにどれだけの常識が思いつきますか?

タイトルに記載している2つの常識について説明していきたいと思います。

まず、常識とは何か?  健全な一般人が共通に持っている、または持つべき普通の知識や、思慮分別。←思慮分別とは、物事に注意深く考えをめぐらし、判断する事。物事の道理を良く考え、深く思いを凝らして判断する事

先に、日々進化する常識とは、2020年現在では、なくてはならない存在となっているスマートフォンや、ノートパソコンなどといった電気製品は、一昔前では考えれなかった商品ではないでしょうか。約10年前にスマホを歩きながら、車を運転しながら操作している人は居なかったと思います。また、カフェや電車などで、パソコンを使って仕事をしている人も居なかったと思います。
でも、今ではこのような風景はごく当たり前のように、見かけるのではないでしょうか。
10年前では、有り得なかったことも今では、それが当たり前になっているのです。常識化しているのです。

次に、日々退化する常識とは、今やスポーツ界で減少している、体罰問題。この問題についても約10年前を境に、問題視されるようになったのではないでしょうか。10数年前までは、指導者が教え子に対して、手を挙げた指導を行っていました。一昔前では、このようなことは、当たり前だと思っていた人も多いのではないでしょうか。 
しかし、手を挙げた指導いわゆる体罰が、近年では、非常に厳しくなったのではないでしょうか。
まさにこれが退化する常識で、昔通用していた常識も今ではその常識は、間違った行為、非常識だということです。

最後に、今の日本は約10年周期で物事は、大きく変わってきています。今ある常識は、10年後の非常識になるかもしれません。また、10年後に新しい常識が生まれる可能性もあります。時代に逆を行く人は新しい物においていかれて
便利な物も使えなくなるでしょう。

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