脱ダブスタで生きてみる
「当たりの柔らかい言い方をする」
たとえば自分の恋人に「もうちょっと優しい言い方をして」と言われたら了承できる。
でも、別の誰かに言い寄られたとき、やんわり断っているときりがない。おまけに、恋人からは「ハッキリ断ればいいじゃないか」と言われてしまう。
使い分けるのが面倒。
「他人の言葉に耳傾ける」
いろんな人の意見を意見を聞いて、柔軟に取り入れることはできる。だがが、疲れる。
「他人を気にしてちゃだめだよ」というアドバイスをしたがる人もたまにいる。それはいいけど、だったらあなたをまず無視するよ。
いちいち吟味して取捨選択するの面倒。
「誰にでも優しくする」
万人等しく接するからには、交尾相手も選ばない。
しんどい人から順番に手を差し伸べよというのであれば、困窮度合いの高そうな、自分から見て気乗りのしない相手こそ優先すべきなのである。
汝の隣人を愛せよ。汝の敵を愛せよ。しかも無料で。
「人権に配慮する」
町内会だのPTAだの、ローカルな烏合の衆たる任意団体とかそれのお世話を無料でやってる役員とかいう対象に、何が何でも差別はするなと言い張る人がたまにいる。
会費は払わぬ、担務も嫌じゃ。
だけれども、そんな自分を仲間外れにするでない、もちろん我が子に対しても分け隔てなく振る舞え、会員と同等もしくはそれ以上に配慮してしかるべきとかいうのは、それほどおかしな主張ではない。
「自分を大事にする」
自分は他人に罵詈雑言を浴びせる自由があり、かつそれを言われて気にする他人はアホであるけれど、自分のことをくさされると見るや、誰に向けたか一文字たりとも書いてないエアリプですら強姦されたかのような当事者意識でひどいひどいと嘆き悲しむというのは、個人レベルに限局すれば極めて首尾一貫。
「対話の姿勢を忘れない」
要するに、自分を特別扱いしてもらうためにはありとあらゆる屁理屈をこねるのが人間である。
めんどくさいよね、でも、仕方がないね。
悟りの階段のぼる 君はまだシンデレラさ
いつの日か 誰かかがきっと 分かってくれると信じてるね
凡夫だったと 懐かしく思うときが来るのさ
ガラスの天井見上げる ガラスの心臓 シンデレラさ
踊り場で足を止めて 世間体 気にしてるね
凡夫だったと 懐かしく思うときが来るのさ
「いのちを大事にする」
画像は石川県白山市、県指定天然記念物、五十谷の大スギ。
樹齢千二百年を超えるとも言われ、苔むした太い幹と大蛇のようにうねって伸びる横枝は、怪異な中にも威風堂々、霊木として地元の素朴な信仰心を集めている。
それはいいけど、この大木の横枝を支えるために一体何本の華奢な若木が切り倒されているのだろうか。いや、数えればわかるんだけど。
以上、ご清聴ありがとうございました。