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あの夜のこと

ふと視線を感じて見上げたら、坂本龍一さんが眼光鋭く私をじっと見つめていた。あまりにもイメージで見かける坂本龍一氏そのままで、存在感、というか実在感が際立っていた。ちょうどテーブルを挟んで反対側に座っていた私と彼の間を遮るものはお互いの連れ合いだけで、私が見つめ返したのに気付くと少しバツが悪そうにされて、なんとなくこちらがあ、坂本さんだ、と気付いた雰囲気を察したようだったので視線を外した。そっちが先に見てきたんじゃん、と思ったけどけっこう良い夜だった。

雨が上がったばかりのある秋の夜、ウェストビレッジの小さなレストランでのその一瞬だけが、坂本氏と私の人生がすれ違った切片だったけれど、週末の訃報に触れて、あの夜ストリートに敷き詰められていたようなしっとりした黄金のイチョウの葉や、もしかしたら記憶のでっちあげかもしれないけど彼の黒縁の眼鏡や、自分が巻いていたマフラーの繊維とかを鮮明に思い出した。

彼の作品を熱心に聴き続けてきたファンという訳ではないけどな、と思いつつ、記憶や意識にすら残らないような、純朴な人生の瞬間瞬間を縁取るように、彼の作品が寄り添っていたことに驚く。きっとまさにこれこそが、Ars longa、芸術は永遠にひとの心の中に残るんだ。

今年の2月、久しぶりに4マイルを走るレースに出た。スタートを待つ間、繰り返し繰り返し聞いていたのは、2000年にリリースされたLack of Loveというアルバムに収められているArtificial Paradiseという曲で、惑星の軌道を廻りながら拡大してゆくような高揚感と好奇心に溢れるビートに励まされていた。そしてAirPodsを外すと、合衆国国歌が流れ、ドンっと号砲が鳴った。


日曜日、まだ肌寒いけど、桜を見に行こうとイギリス人の友人とセントラルパーク脇のベーカリーで待ち合わせた。少し待たせたことを詫びながら彼女と会うと、開口一番「サカモトが死んじゃった!桜を見るのにお似合いの日だね」と自然に言うのであんたいつから大和魂を手に入れたんじゃと思ったが、多分そういうのは坂本さんが作品を通じて、みんなと共有していた感性とか世界観だったのかもしれない。
それで彼女と私はセンパをてくてく歩いて、いろいろな毎日のゴタゴタを話したり、話さなかったりして、桜を見た。ひなたに植えられたソメイヨシノは、静かに咲いていた。


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