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give&take優しさの循環

モーニングルーティーンで
蘇って来た事

去年の夏
知人に誘われて旅行に行った

早くに妊娠・出産をしたわたしは
時間とお金
どちらも余裕がなく
楽しむということの中に
旅行という選択肢はなかった 

旅行=帰省

実家での時間は
子供達はそれなりに楽しんでいたと思う

やっと
子育てが落ち着き
自宅で一人のんびり日々を過ごしていたら

楽しむ達人である知人が
旅行行くけど
一緒にどうかと
声をかけてくれた

わたしは
企画に乗っかり参加する事に

観光スポットを巡り
BBQを楽しみ
久しぶりの海水浴まで楽しんだ
(泳ぐとか何年振りだろう、、、死海でなくても人は浮ける。脱力するだけだが、これがうまくいかない。)

たくさんの楽しかった記憶

そして
もう一つ
蘇った記憶は
企画してくれた知人から受け取った
優しさだった

子供の頃からそうだったのだが
人の輪ができてると
その中に入り込んでいけない

そこに入るくらいなら
一人でいる方が楽なので
そうしていたのだが

2日目の朝食時
すでに

"輪"

ができていて
入るのに気後れしたわたしは
一人ポツンと食事をしていた
その時間が寂しいと感じたわけでもなく
食事に集中してた

企画してくれた知人が
わたしに気付き
一緒に食事をしてくれた

その時
誰かと一緒だと
寂しくないなぁって
感情が湧いてきて
(いつもは一人だから、寂しいとかいう感情は皆無)

知人は
わたしが輪に入り込めない事を
なんとなく知っている
一人が好きな事も
もちろん知っている

ただ
その日は
一緒に食事するって事を選んでくれた

たくさんの人がいる中で
しかも
結構仲良い感じの空気感
そこでポツンとなるのは
やっぱり寂しい

その状況を
察してくれた知人の気配りと優しさ

一人だと気づけない事

その優しさが
わたしの中にまだが残っているのは
誰かにその優しさを
循環できてないからだと思う

give&take

受け取るだけではダメなのだ
受け取った優しさを
誰かに

惜しみなく
この記憶が消え去るくらいに

"give"

する事

そういえば
ヨガの先生も話してた

give.give.give…って
みんな
takeしがちなんだろう


give&takeで
いろんな事を循環させると
きっと
世界は平和だとおもう

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