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「自分を許してあげてもいいのでは」と言われましても

今年3月から、月に1回コーチングを受けている。前回のセッションも、足元を整理した上で、未来に向かう良い問いも設定することができた。沼に両足がハマっていたところ、ズボッと片足が抜けたような気持ちだった。

セッションの中でコーチに言ってもらった「サボっている自分を許してあげてもいいのでは」という言葉が気になっている。

9月は散々だった。自分の中の歯車がガコガコしていた。全体的に上手くいっていなかった上に体調も派手に崩した。正直、体に出るほど何か起きてますか?というかんじで、コーチに滔々と話しているうちに、そんな自分の状況を「サボっている気がして許せない」と表現していた。

「頑張る」「成果を出す」がデフォルトの国

私は、幼い頃から、「頑張る」「成果を出す」ことをしなければ、存在意義がないと思ってきた。仕事でも、本気でやらない意味が分からないし、決断しない意味が分からない。

成果を出す以外の様々が気にならないほど。働きやすさの文脈もそうだ。部署では働きやすい雰囲気づくりに敏感に取り組んでいるけれど、正直、成果が出るならなんでもいいのだ。だからこそ、なんでもやるのだ。(投げやりではなく、ポジティブに取り組んでいることは強調しておきたい)

そうであるから許せない。全力でやっていない、熱中していない自分が許せない。

ほかならぬ自分から距離を置くこと

1年のうち数回、私は旅に出る。

仕事モードをオフにするため。日常で起きる様々と距離を置くため。脳に空きスペースをつくるため。

旅に出る理由はいろいろある。いろいろあったはずだった。

しかし、よく考えると、ほかならぬ自分に息が詰まっていたのだと思う。旅に出て、いつもの自分と距離を置くことで、「人生において波があって当たり前だよね」とか「そういうときもあるよね」と捉えるようにしてきたのだと思う。そうやってバランスを取ってきたのだと思う。

日々の時間の中で、許せない自分を許すことはなかなか出来ることではないけれど、内省することで人に戻る。体が弱ることで人に戻る。旅に出ることで人に戻る。

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