「丁寧に生きる」って
丁寧に生きる、って聞いて、なにを想像しますか?
所作の美しさ
ミニマリストな生活
からだに優しい食事
質のいい衣服…
いろんな形の「丁寧さ」があるけれど、共通しているのは「意識」が途絶えることなく、その空間すべてに広がっていること。
ムラのない、流れ続ける意識。
本物の丁寧さには、空間と時間の中で流れ続ける意識がある。「こころが通っていること」と言い換えてもいいかもしれません。
インスタとかを眺めていると、こんな生活リアルにしてるの?って驚くような方々もたくさんいます。でも丁寧に生きるということは、決して「ばえる」生活をするっていうことではない。
表面的な見た目ではなくて、細やかな意識の流れと広がりを無意識のうちに感じとって、わたしたちは「はっ」とする。
丁寧に生きたい、という想いは、人間が本来の人間らしく生きていくために、きっと本能に組み込まれているのだと思うんです。
だから丁寧に生きている人に憧れたり羨ましくなったり、羨ましさ転じて反発してみたり、そうでない自分に気付いたときに、どうにも後ろめたい気分になったりしてしまう。
でも、後ろめたくなる必要も、反発する必要もない。
仕事、子育て、余裕がなくて、とてもじゃないけど今はムリ、という人は、全然できなくていい。
ただ、丁寧じゃないことを、意識的にやればいい。
私は丁寧さに憧れる、でも今はそれはできないので違うものを選びます、と意識的に選択すればいい。
そしたらそれはもう、丁寧な生き方になってしまうから。
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