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「ハムドリッラー」と「インシャアッラー」

この記事は、2016年2月にモロッコの田舎で生活している時に書きました。


アラビア語に、「アラー(神さま)」という言葉が、はいった表現が、たくさんあります。特に「ハムドリッラー(神さまのおかげで)」「インシャアッラー(神が望むなら)」というのは、モロッコでも、他のアラブの国でも、とてもよく耳にする表現です。

 「ハムドリッラー」の使い方

これは、直訳すると「神さまのおかげで」という意味です。日本語でなら、「おかげさまで」とか、「ああ、良かった」と言うようなときに、使います。

たとえば、モロッコでは、日々の挨拶でこれを頻繁に聞きます。

誰か人と会うたびに、

「ラバース?元気ですか?」
「ラバース。ハムドリッラー。元気です。おかげさまで。」
「ハムドリッラー。クルシー メジヤーン?それは良かった。すべて、順調ですか?」
「クルシー メジヤーン。ハムドリッラー。すべて順調です。おかげさまで。」
「ハムドリッラー。ママック、ババック、ラバース?よかった、よかった。ご両親も元気ですか?」
「ハムドリッラー。ラバース。おかげさまで、元気です。」
「兄弟は、・・・」
 ・・・(以下同様)

という挨拶が、人と出会うたびに繰り広げられます。

他に、例えば、
「子どもが転んだけれど、怪我しなかった。ハムドリッラー」
「空港到着が遅れたけれど、フライトに間に合いました。ハムドリッラー」
というように、使います。

大家さんの「ハムドリッラー」

「ハムドリッラー」の意味が、とても、腑に落ちた会話がありました。モロッコで借りていた部屋の大家さんとの会話です。年の頃は、50代前半ぐらいの女性。

出会ったばかりの頃です。まずは、わたしが自己紹介をして、父母はどこに住んでいて兄弟は何人で、と一通りの質問に答えた後、大家さんにも家族のことを聞きました。

大家さん「夫は、フランスとモロッコを行ったりきたりしているの。娘は5人で、一人は結婚してカサブランカに、一人はグールミンの大学に、一人は・・・」
わたし「息子さんは?」
大家さん「息子は、いないのよ。娘だけ。」

そこで、わたしは一瞬、「あら、悪いこと聞いてしまったかしら。」と焦りました。日本の田舎でもよくあるよう、お嫁さんの役割は後継の息子を残すこと、というような考え方が、モロッコでもよくあると聞いていたので。

すると、大家さんが心をこめて声でいいました。「ハムドリッラー。女の子はいいわよ。問題も起こさないし。お母さんによくしてくれるし。」わたしもつられて、心をこめて「ハムドリッラー。女の子、いいですよね!」

 「ハムドリッラー」って、こういう感じなんだ!子どもの性別は、人為的に選ぶことはできない。自然のはからい、神のご意志のままに。自分に与えられた状況に不満を抱かず、平和な心で感謝する。その時に出てくることばが「ハムドリッラー」

授かりものという考え方

そのあと、別の人と、こんな会話もありました。わたしと同じ歳(当時40代半ば)の独身の女性。まるで母のようにわたしを気遣ってくれ、色々興味をもって、わたしに質問します。「あきこ、もう結婚しないの?モロッコ人はどう?結婚して、モロッコにずっと住んだらいいわよ。結婚したら、子どもは何人ほしい?」

わたしが「えー、もう40代なかばで、子どもはむずかしいかも」と言ったら、おこられました。

「何を言っているの!そんなの、わからないでしょ。子どもはできる時にはできる、できない時にはできない。神さまの思し召しよ。年齢は関係ないのよ。」

確かに。

年代ごとの妊娠・出産率の統計、高齢出産の危険、そういう知識に触れた量は、わたしの方が多いかもしれない。でも、そうやって一般論や知識で自分のことをわかっているつもりになっている人と、彼女のような考え方では、どちらか生き物として賢いでしょう?

結局のところ、統計は統計、傾向でしかない。わたしにとって、彼女にとって、あるタイミングに何がおこるのか、それは、やはり神さまの思し召し次第で、年齢は関係ないのだと思います。

「インシャアッラー」を嫌わないで 

このような、「ハムドリッラー」に触れてから、「インシャアッラー(もし神さまが望むなら)」という言葉を考えると、今までとは違うように見えてくるかもしれません。

今までとは違うように、というのは、どういうことか?

中東・アラブ諸国で生活をしたことがある人、多かれ少なかれ、この「インシャアッラー」にイライラさせられたことがありませんか?

アラブ諸国と繋がりのある日本人の間では、「アラブのIBM」なんていうジョークがありました。IBMとは何かというと、

I = インシャアッラー(神が望むなら)
B=ボクラ(明日)
M=マーレイシュ(気にしない)

たいてい、何かの修理を頼んだ時、職場で期限の厳しい仕事をしている時、このイライラがおこります。

たとえば、こちらが「じゃあ、明日の10時に来てください」というと、返事は「インシャアッラー」

ええ?怪しい。。。と思っていると、案の定10時になっても、何時になってもこない。電話してみると、なんやかんや言い訳をして「ボクラ(明日)」。でも、明日になってもまだこない。こちらがイライラしているのに、のほほんとした顔で「マーレイシュ(気にしない)」

こんなことをたびたび経験すると「インシャアッラーっていうのは、責任逃れのために使う表現なのか?!」と、この表現が、嫌いになってしまいます。

もちろん、約束を守らないのは良くない。確かに人によっては「インシャアッラー」を、軽々しく安請け合いの時に使いすぎている人もいる。

でも「インシャアッラー」という考え方は、本来そういうことじゃないはず。子どもを授かった時「ハムドリッラー」と、神に感謝するのと同じような、平和で謙虚な心持ちで「インシャアッラー(もし神さまが望まれるのなら)」と言うのだと思います。

軽々しく約束をしてそれを守らない人に対し、イライラするのはともかくとして、「インシャアッラー」という表現自体に対してイライラするのは、お門違いだったんですね。


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