見出し画像

【Vol.10】ぐだぐだの同棲生活を続けている女:由佳

 同棲をするきっかけは、一体どういうものなのか。その昔は、結婚を前提としたものが主流だったと聞くが、現在は、どちらかの家の更新時期が来ただとか、なんとなく成り行きで、というものが多いだろう。

 そして、なんとなくの成り行きで始まった同棲生活は、往々にしてぐだぐだになりがちだ。

 今、ちえりは、そんな風にして男と暮らしている由佳の話を聞いている。


A story about her:由佳

 由佳は25歳で、現在の家に住んで一年が経つ。友人と共同で暮らしていたが、その友人との仲が上手くいかなくなり、当時知り合ったばかりだった現在の恋人と一緒に暮らすことにしたそうだ。

「その時は、幸せだったな。一緒に住めば一日中、好きな人とキスして過ごせると思ってた」

 由佳は、焼酎をロックで飲みながら、そう話す。

 由佳と恋人は、現在、ほとんど顔を合わすことがない。恋人は昼夜の区別なく働いていて、家では眠るだけ、たまの休日もほとんどパチンコをしているばかりだそうだ。

「毎日、わくわくしてられるようなことなんてそうないのは、もうわたしも25歳だしわかってるよ。相手が疲れてるのも、大変なのもわかってる。でもさ、それにいつまで付き合えばいいのかな、って思うとね」

 知らない間に、ぬかるみに足をとられて動けなくなっているような気分になる、と由佳は続けた。

 そういう時期もあるよ、彼が疲れてるならご飯でも作って待っていれば。そんな風にわたしは由佳に何度か言っていて、由佳もそれを実行してきた。けれど、ずっとそればかりをしていることに耐え切れず、「たまにはどこかに出かけたい」と由佳が言ったそうだ。

 その時、由佳は恋人にこう言われたという。

「わざわざ出かけるなんて面倒臭い。男は、平凡が好きなんだよ」

「好きって気持ちって、わたしは特別なことだと思ってた。でも、その特別な気持ちが、こんな風にいつの間にか平凡になっちゃうんだな、ってわたし、その時、思ったよ」

 由佳は、静かにそう話す。

 恋愛が始まったばかりの時。大抵の人々は、これから始まる全てが輝かしいものだと思っているだろう。今の気持ちは一瞬でいつかは全て消え去る、などと思っていたらとても恋愛など始められない。

 けれど、その輝かしさは、いつの間にか、日々に埋もれていってしまう。引っ越したばかりの部屋には何もなかったのに、いつの間にかものが増えて、当初の部屋の様子などもうわからなくなってしまうように。

「別にこれはこれでいいんだろうけど、ね」

 由佳は、そんな風に口ごもりながら言う。

「彼と一緒にいると人生ってこんなものかな、と思っちゃうんだよね」

 そんな風に彼のことを思うようになりたくはなかったのに。
 由佳は、そのように続けた。

 今の自分をどこか素晴らしい場所に連れて行ってくれるような、稀有な存在。恋の始まりの時にはいつも相手がそのように見えて、けれど、それはいつの間にか「こんなものかな」にすり替わる。

 こんなものだ、と自分を思いたくはない。そして、相手のことも、そんな風に思いたくはない。けれど、どうしても、そう思ってしまう。

 由佳がいるぬかるみとは、きっとそのようなものなのだろう。

 きっと、それは、わたしも一緒だ。「もうこれでいい」と思えれば、思考は停止し、何も考えないようになれるだろう。けれど、まだどこかに何か、輝かしいものがあると諦めきれない自分がいて、その小さな自分が、時々胸をちくちくと刺す。

「こんなものだ、と納得してやっていくのが大人になるってことなのかな」

 由佳はそう呟いて、焼酎のロックを飲み干した。

「まだ、わたしもわかんないよ」

 わたしは、チェイサーの水を飲みながら、そう返した。

 家にいて欲しいような、いて欲しくないような気持ちだな。そう言って、由佳は席を立つ。帰り道のコンビニエンスストアで、由佳は恋人の好物であるハーゲンダッツのアイスクリームを買って帰るという。

「一応、飲みに行ったらお土産は買うようにしてるんだ」

 そう言って、アイスクリームの味を抹茶にするかマカデミアンナッツにするかを思案している。

 今、ここにいない自分のことを思って、誰かが何かを考えてくれるということ。そのことも、由佳の恋人は平凡だと思えるのだろうか。そう考えながらも、わたしは、何も口に出さないでいた。

 部屋に帰り、電気を点けた。この電気のスイッチは、わたし以外、誰も触ったことがない。そう思うと、不思議な気持ちになった。冷凍庫を開けた。数ヶ月前になんとなく買ったアイスクリームが、ほとんど空の冷凍庫にぽつんとあった。

 ベッドに入ると、シーツはひやりと冷たかった。足先をもぞもぞさせながら、布団の中が暖まるのを待った。

 もともと冷たいシーツに一人で寝ることと、ベッドにいる誰かの背中を眺めることは、一体どちらが寂しいのだろうか。

 そう思いながら、瞳を閉じた。寝返りを打ったらまた、冷たいシーツの感触がした。


かつて、ちえりをやっていた2022年の晶子のつぶやき

※注:こちらは、2012年に出版したわたしの自伝的小説『腹黒い11人の女』の出版前に、ノンフィクション風コラムとしてWebマガジンで連載していたものです。執筆当時のわたしは27歳ですが、小説の主人公が23歳で、本に書ききれなかったエピソードを現在進行形で話している、という体で書かれているコラムなので、現在のわたしは23歳ではありません。

 小説版『腹黒い11人の女』はこちら。奄美大島では、名瀬と奄美空港の楠田書店さんで売っています。

 Amazonでは在庫切れ。再出版するか、とりあえずnoteで公開してみるか? いろいろ考え中です。

「わざわざ出かけるなんて面倒臭い。男は、平凡が好きなんだよ」

上記noteより。

 この発言は、彼女に振られた男友達の体験談をもとにしてます。

「やばいねー、それ言ったらやばい」

 男友達に彼女と別れた顛末を聞き、わたしは即こう言いました。

「別にこれはこれでいいんだろうけど、ね」

 由佳は、そんな風に口ごもりながら言う。

「彼と一緒にいると人生ってこんなものかな、と思っちゃうんだよね」

 そんな風に彼のことを思うようになりたくはなかったのに。 由佳は、そのように続けた。

上記noteより。

 男友達の話を聞いて、わたしだったらこう思うな、というところを書いたのが実はこの回。
 まあ、同棲生活がぐだぐだになるのはありがちな話なので、女友達の経験談も混ざってはいます。

 上記の男性の発言を聞いて、わたしだったらこう思う。

 そうか、彼と一緒にいることは、休日にずっとゲームをしている彼の後ろ姿を黙って見つめ続けて、おもむろに「飯は?」とか聞かれて、それでも上機嫌なふりをして、「はい、ご用意できております。今日は唐揚げだよ♡」とかエプロンつけて言わなきゃいけない人生を送ることになるんだ。

 男性陣に聞きたい。

 その人生、自分だったら、送りたい?

 好きな女が「この男と一緒にいると人生を『こんなもんかな』と諦めながら暮らしていくことになる」と思わせて、幸せ?

 まあ、あれだ。J-POPで言えば、JAY-WALKの『何も言えなくて……夏』ですね。

 先日、男友達とこの曲の話になりまして。

わたし「超名曲。男の未練集大成って感じ。20年以上前の曲だけど語り継がれているのわかるわー」

男友達「やばいな。『綺麗な指してたんだね、知らなかったよ』って」

わたし「やばいでしょ。あります、指とかずっとここにとしか言いようがない」

男友達「知らんかったのかい、としか言いようがない」

と、盛り上がりました。

 ちなみに別の音楽をやってる男友達ともこの曲の話になって、

男友達「なんつーかわかるんですよ。未練の曲って美しいじゃないですか。それわかってて、俺、今、この子好きなのかなって思ったりするんですよね」

わたし「ああ、いつか曲にする的な」

男友達「そう、ある種のネタ収集的な」

わたし「まあ、酷いんだけどね」

男友達「酷いっすね」

わたし「性だね」

男友達「性っすわー」

わたし「だけど、それ、呑まれちゃいけないよ。自分で自覚してないと沼に嵌まって抜けられなくなる。『今、自分はこれがやりたいんだ』って思ってないと引きずり込まれて、いろいろやばいよ。まあ、引きずり込まれるのも人生だけど、でも、あなたがやりたいこと、それじゃあないでしょう」

男友達「ああ」

 男友達は、一瞬、虚空を見つめてから言う。

男友達「うん、わかる。でも、俺、それまだやりたいっすね」

わたし「うん、決めてるならいいよ。新しい曲、楽しみにしてる」

 なんて話で盛り上がりました。

 未練をうまいことフィクションに変えて、世に出せるのが創作者のいいところで、まあ、それは同時に戯作者でもある。

「あの時は本気だった」って、酷い男がよく言う台詞だけど、でも、それって人生の本当でもあるんだよね。

 いつだって、今は今しかないからさ。

 約束って本当は瞬間しかなくて、でも、その瞬間を続けていきたいと思ったら、永遠になる。

 そう、永遠になるんだよ。

 上記のコラムは、「約束は瞬間だ、毎秒続けていかなきゃ意味がないということを忘れた男の話と、なんとかして瞬間の約束を守り続けたいと思ったが、そう思っているのは自分だけで、向こうは別にひとりで背中向けてゲームやって、自動的に出てくる唐揚げ食べたいだけだった、ということに気付いてしまった女の話」でもあります。

 余談で書いた男友達は二人とも、「自分の狡さを自覚している」からこういう話ができるわけで、「自分の狡さを自覚する」のが男女ともにいい男、いい女の始まりなのかもしれない、と思ったりします。

 ていうか、いい大人、だね。

 自分の書いたものを読み返すことって、本当にあまりないんだけど、今こうして再掲載を始めてとても楽しい。

 作家の頭の中ってどうなってるんですか? と聞かれることがよくあるんですが、実はわたしもそれを聞きたいんですよ。

 これは、たぶん、タイプにより異なる。

 ミステリーやSF作家、脚本家、官能小説家の方は、ある程度、セオリーやメソッドが決まっているジャンルなので、プロット(あらすじ)を作って、それに沿うように進めていくことが多いんじゃないかな。

 土地があって図面があって完成図があって、工程があって、みたいな。

 でも、わたしは、とりあえず書きたくなってばーっと書く。

 憧れている作家の方が、今も手書きで原稿用紙に書いている方で、いろいろ自分の文章に悩んだ時にわたしも手書きにしてみるべきかと試みたことがあるんだけど、手書きだと思考に手が追い付かないのと腱鞘炎になりそうだったので、これは無理だな、と思い、パソコンで書いてます。

 そして、小説の場合は始まりができたら、もう終わりもできてるの。
 その始まりと終わりの間には、音のない映画が流れていて、シーンが断片的に浮かんできて、その映像を文章にしていく作業。
 だから単行本単位の長文だと、浮かんでくるシーンをばらばらと書いてあとからつなげたりもします。やり方としては映画監督に近いのかな。

 で、こういう特に目的がない散文の場合は、その時、思い浮かんだことを書いてます。書いている、というより、喋っているというのに近い。そう、友達と話している感じだな。

 そういや、昔、mixiで見知らぬ方からわたしの文章を読んだ人に「隣で喋っているみたい」と言われたことが有り、それが嬉しかったのをよく覚えている。

 昔、友人が「わたしはセックスとおしゃべりだけで生きていく」と宣言して、その後、出会って二週間の人といきなり婚約して結婚して、まさにそのとおりの人生になってて、いろいろ最高だなって思った。

 「大丈夫です」「成り行きで」「適当に」

  これがわたしの口癖で、この言葉って一見投げやりに見えるけど、そう、わたしは人生、投げてナンボだと思っている。

 水面に投げ込んだ石やサンゴのかけらや流木や水晶が、どんな風に波紋を作るのかそれは誰も知らなくて、そもそも波紋に「こういう模様を描けよ」なんて注文はつけられないし、つけたくない。そもそも、形あるもの、決められたものを見たいわけじゃない。ていうか、水面にそれを求めても、ねえ。

 けれど、見たいの。誰もが持つ水面の、震えるような輝きと彩りを。

 毎回、以前のコラムについて話そうとしたら、全然違う話になってる『かつて、ちえりをやっていた2022年の晶子のつぶやき』。

 次はどこにドライブするのか、わたしも楽しみです。

 それじゃあ、またね!





作家/『ILAND identity』プロデューサー。2013年より奄美群島・加計呂麻島に在住。著書に『ろくでなし6TEEN』(小学館)、『腹黒い11人の女』(yours-store)。Web小説『こうげ帖』、『海の上に浮かぶ森のような島は』。