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スペイン滞在2024 11 Cariño

スペイン語と日本語は色々違う。
日本語の単語の方が、スペイン語に簡単に訳しにくいと思うけど、もちろんスペイン語から日本語に訳しにくい言葉だってある。
例えば、cariño カリーニョ。
辞書のスクリーンショットを載せてみる。

この言葉、よく使われるのはむしろ、ここから派生されたcariñoso( a) で、それだと、愛情が多い人みたいな意味になる。
でも日本語にすると、愛情が多い人って??
親切な人ってこと?みたくなるんだけど、イメージ的にcariñoso (a) の人は、基本的に明るくて親切で、人をよく抱きしめたり、お世話をしたりする、日本の田舎のおばちゃんみたいな感じだ。
チュースは、それ。

だけど、自分の長女にだけは、そうじゃなかった。
チュースには38歳になる、アスペルガーの診断を受けた長女ロサリアがいる。彼女のお母さんは家族性の精神疾患の一つ双極性障害を持っていて、ロサリアの父親違いのお姉さんたち2人とも、同じ診断を受け、服薬でコントロールされている。

ロサリアは、生まれる時に臍の緒が喉に絡まって窒息死しそうになるという、人生最初の瞬間でまず困難に会い、その後も、お母さんの不注意で再度の窒息事件があったこともあり、普通の子供より成長が遅かった。さらに、生後3ヶ月で、お母さんがロサリアをチュースに預けて出て行ってしまい、20歳そこそこのチュースが1人でロサリアを育てなければならないハメになった。1人とは言っても、チュースはエコ共同体で暮らしていたので、周囲の人に囲まれて育ったし、チュースの次女のお母さんエステルと一緒になってからは、普通の家族の中で育ったのだけど、中学をやっと卒業できたくらいで、高校には行けなかった。
でも、チュースのパン屋で手仕事はできたし、家もあるから、食べることには困らないで穏やかに暮らしていけるはずだったのに、彼女はやたらと反抗的でチュースの手を焼き、最終的に、チュースはロサリアから離れるという決断をして、旅に出たのである。
当初、チュースがロサリアに生活費を渡すという感じだったけど、ロサリアがある日突然、チュースの家の物を全部捨てるという、事件が起こってチュースが激怒し、チリにいながらにして、2人の関係がさらに悪化し、時々電話やメールでやりとりをしても、すぐに口論になって終わるということの繰り返し。
その後、アスペルガーの診断を貰って、政府から出る生活手当てをもらってぎりぎりの暮らしをしているのだけど、近年は、チュースがスペインに帰る前にロサリアがチュースの家を出ていき、顔を合わせないということを繰り返している。

今年もそう。ロサリアはチュースが来る前に出ていき、ヒホンの街で浮浪者のように暮らしてしまう。チュースも心が痛く心配も絶えないのだけど、一応、ロサリアは社会福祉協議会みたいな団体に相談していて、家を探しているというので、今回、その社会福祉協議会に話を聞きに行って来た。

私もついていった。びっくりしたのは、担当の人が、ロサリアの居場所を知っているのに教えてくれなかったこと。というのも、ロサリアは自分の父親を、暴力的な人物として説明しているからだ。もちろん、彼女にしてみたら、そうなのかもしれない。いつも高圧的に物を言うから。(チュースにしてみたら、ロサリアは自分が指図をしなければならない頭の足りない娘なのだ。)
担当者は言った。「彼女はもう38歳。精神疾患があったとしても、自分の事は自分で決める年齢なので、他者は仮に家族や、医者であっても、服薬することや、暮らし方について、何かを強制することはできません。決めるのは本人です。」
「お父さんは心配でしょうけど、お父さんはお父さんの人生を生きて下さい。彼女の人生はこちらでフォローするように努めますから。」

なるほど!そういう考え方なのか。
彼女はここでは1人の大人として認められていて、選択を尊重されるのだということが、私はすごいなあと思った。

で、その件をチュースの村の小人みたいなメルチェ(推定70歳 独身女性) に話した。メルチェは40年来のチュースの友達で、ロサリアが生まれた時のゴタゴタももちろん知っている。
メルチェは言った。
「ロサリアに必要なのはcariño だと思う。彼女には子供の頃から絶対的にCariño が足りてない。」
Cariño か。本当にそうだと思う。多分チュースはがんばってロサリアを育ててきたけど、彼がロサリアの為を思っていろんなことを口うるさく言ってきたことは、残念ながらロサリアの心には全く届いていないどころか、逆効果だった。
「大切に扱われる」ということと、自分のためを思われて色々指導されることは、全然違う。もちろん、指導されたかったら別だけど。親の仕事はたくさんあるけど、子供をcariño をもって愛情深く接することが結局一番大切なのかもと思う。特に、成長過程が一般的に求められるスピードに追いついていない子供の場合、親や先生の対応で、子供の自尊心は地に落ちてしまい、やる気がなくなったりして、元々はちょっとしかなかった、いわゆる普通の子との差がどんどん開いてしまったりする。

ロサリアに物心がついた時、チュースはエステルと共にパン屋を軌道に乗せるためにむちゃくちゃ忙しかった。そんな時、年齢相応の育ち方に遅れをとっていて、手のかかるロサリアに、cariñoを持って接する時間はなかったのかもしれない。
でもさ。
なんだか残念だなあとつくづく思うロサリアとチュースなのだった。


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