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【折り紙と息子とわたし12】手と紙の真剣勝負。あじさい折りができた!

初めてのZINE「今日もできることから」は子育てエッセイが大半です。
中でも感想をいただくことが多いのが、「裏側だって面白い」という、折り紙が登場するエピソード。わたしが好きな折り紙作品「あじさい折り」と、登園拒否気味だった小1息子の成長を重ねて綴ったものです。

その当時──およそ1年ほど前の話。息子がわりと軽々とあじさい折りを仕上げたので、わたしもそのノリで取り掛かかりましたが、甘かった。
ああでもないこうでもないと試行錯誤した結果、無用な折り目がたくさんついてしまい、ただのシワシワな紙と成り果ててしまったのです。最後には大人気なく匙を投げて、折り紙を一枚無駄にしてしまったのでした。

それ以来、あじさい折りに対する憧れはあれど、自分で折ることはしませんでした。だって難しい。折り紙がまた無駄になる。時間がない。などなど理由をつけて。

その一方で、年々、ある思いが増大していく感覚がありました。
「パソコンで何かできても、なんか虚しいんだよなあ」という思い。
私はパソコンでチラシを作ったり、紙面を作ったりしています。ZINE「今日もできることから」もパソコンで作りました。
だけど、紙に印刷して形になるまでは、ただのデータにすぎないのです。パソコン、ネットワークが壊れたり、悪天候で電気が届かなくなったりしたら、それで終わりなのです。
パソコンと電力がないと何も始まらないのも、なんだか虚しい。

「手に職」と言いますが、パソコンで何かできるというのは厳密には「手に職」ではない気がするのです。(あくまで持論ですので、気を悪くした人がいたらごめんなさい)

例えば美容師さん。ハサミとクシさえあれば、誰かの髪を整えてきれいにしてあげることができる。
例えば料理人さん。食材と鍋と熱源があれば、食事でみんなを笑顔にすることができる。
究極は、落語家さんや漫才師さん。道具もいらない、ただ話術だけで、人の心を明るく照らすことができる。

使う道具が少ない職業ほど、私は「かっこいいなあ」と敬意を抱いてしまうのです。
と、だいぶ話が飛躍しましたが、折り紙も紙一枚でできるエンターテインメントではないでしょうか。
だから、私は「あじさい折り」を自力で完成させたいと思ったのです。私の武器は私の「手」のみ。「紙」と向き合う真剣勝負です。

ピンクが私が完成させた「あじさい折り」。紫色が息子作。
よーく見ると、ピンク色はあちこちに迷いが感じられるし、細部が雑。

あじさい折りは、とにかく折り目が命。冒頭に縦、横、斜めの折り目をたくさんつけて、それを畳んで潰してひっくり返すと、花びらが現れるという流れです。一度きれいに畳んだ部分を、再度開いて別の形に整えるという工程があるのですが、それが至難の業。せっかくきれいに形にしたのに、開いてしまうという恐怖。恐怖と迷いが手元を狂わせるのでしょう、開いた部分がグチャグチャになって、「うがーーー!」となるのが前回の私でした。
しかし今回はそこを堪えて堪えて、なんとか形にすることができたのでした。


「やった、できたよ、お母さんにも、あじさいが折れたよ!」と息子に見せたら、「上手にできたね」と褒められました 笑。
でもまだまだなのです。エッジがとにかく甘い。直角が大切なのに、角丸になっている。重なり方が雑。裏面を見ても、甘さが際立っている。

だけど、とりあえず形にできたことを、誇りに思うことにしました。
また時間を見つけて「あじさい折り」に挑戦します。手と紙の真剣勝負を、私は続けていきます。

今日の作品:あじさい折り(創作者:藤本修三さん/「新世代 秀麗な折り紙(山口 真)」より)

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