【エッセイ】人生の〝秘宝〟
子どもがまだ幼かった頃、それは唐突にやってきた。ようやく夢の世界に入っていった子どもが平和に寝息を立てている姿を見て、「やだ、めっちゃ可愛い」と感動に震えたのだ。母性が開花した瞬間だったのだろうか。
「子どもの寝顔を見ると、疲れが吹き飛ぶ」
という言葉を耳にしたことはあったが、「ああ、すごい。本当に疲れがほぐれていく」と全身でその言葉の意味を噛み締めたものだ。そして、「みんな秘密にしていたんだな、子どもの寝顔がこんなに幸せなものだなんて」と心憎く思った。
私は高齢出産で、37歳でひとり目を、41歳でふたり目を生んだ。
だから、友人や親戚と子どもの話をする機会はふんだんにあったはず。なのに、ついぞ「子どもの寝顔って、本当に元気がもらえるよ」とは誰も教えてくれなかった。
当然と言えば当然である。子ども自慢の極致的発言だ。私だって、そんなことは言わないだろう。
同時に、こうも思った。
世界がガラリと変わるような体験をした人は、自分が味わった恍惚をそう簡単に言いふらさず、内に秘めておくのだろう。自分ひとりの秘宝として。
暮らしにも、仕事にも、子育てにも、きっとたくさんの〝秘宝〟が隠されている。
喜びや感動、発見、驚きという普遍的な秘宝。映えないけれど、受けないけれど、心の奥で大切にしまっておきたい個人的な秘宝。世の人々が示し合わせて、隠し通しているような甘美な秘宝。知っている秘宝の数だけ、人生が豊かになっていくのだろうし、その秘宝を見つけたくて、きっと私たちは日々もがいているのだ。
毎日はあっという間に過ぎていく。時には歩く速度を落とし、感性というアンテナを研ぎ澄ましていたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?