【49歳のつぶやき】キッチンで再会する新聞記事が、なぜか最高なんです。

私はキッチンの床下収納に、新聞紙を常備している。
唐揚げやフライなど、揚げ物をするときに使うためだ。

・揚げたてほやほやのフライを置く網と、バットの間に新聞紙を敷いて、バット本体が油まみれにならないようにする(洗い物を減らすため)。
・フライパンや配膳した皿に、うっすら残った油を拭き取る。

用途はこのぐらいしかないのだけど、「さて、今から揚げるぞ」というタイミングで床下収納から取り出した新聞に、その日の私にとってドンピシャな記事が載っていることがあるから面白い
「あらあら、私としたことが、目を通したはずなのに、気づいていなかったんですねえ」なんてほくそ笑みながら、料理のことは忘れて、つい読み耽ってしまう。

それは書評欄だったり、映画レビューだったり、タレントのエッセイだったり、識者の論争だったり、歴史の裏話だったり、気候変動問題の特集だったり・・・・・・色々なのだけど。

なんなんだろう、あの集中力、没入感。

普段、新聞を読むとき、あんなに集中しているだろうか。
「読もう」としたときは箸にも棒にも引っ掛からなかったのに、「さて料理をしよう」というときに、無性に「呼ばれてる」気がする記事って、なんなんだろう。

しかも、いったん読み出すと、内容がスルスル頭に入っていく。読み終えた後も、めちゃくちゃ満足度が高い。
不思議だなあ。料理をする時って、脳みそが活性化、研ぎ澄まされているのかもしれないなあ。

* * * * *

時々、「あっ!油を予熱していたんだ!」と我に帰って、料理に戻ることがある。(というか、これが正しい)
そういう時はキッチンの床に、読みたい記事が載っている紙面を広げっぱなしにしておく。

せっかく出会えた記事だもの。
一度、読む機会を逸したのに、再会できた記事だもの。
ここで新聞紙を畳んだら、もう二度と会えないような気がするから。

そんな広げっぱなしにしておいた新聞は、料理も食事も終わり、さあ残すは後片付けです、というタイミングに立ちながら読むのです。
我ながら、落ち着きがないなあと思うけど。

そうして読み終えた新聞紙は、なんとなくパソコンまわりに積んでいく、というか積まれていく(整理整頓苦手)。

先日、その「積んどいた新聞紙」を整理した。
しかし、これまた不思議なのだけど、「この紙面のどこに、気に入った記事があったんだろう」と首をかしげることがあるのです。

読んだ記憶はある。
でも、心が動かない。
数日前の私は、この記事に心を揺さぶられたんだよなあ、面白いとかタメになるとか、真似したいとか、感じたんだよなあ。

不思議だなあ。
やっぱり料理をしている時って、脳みそが普通じゃないのかもしれない。

* * * * *

キッチンに文庫本(とお洒落なスツール)を置いておいて、ちょっと手が空いたときとか、煮込み料理をしているときを読書タイムにする、というのもお洒落だし余裕があるし文化的だなあと思う。

でも、それはちょっと違うんだな。
「え? この忙しい(せわしい)タイミングで、この記事? 困っちゃうなー」っていうのが、なんか楽しいんです。

ちなみに、最近再会して「ああ、気づいてよかった」と熟読した記事は、朝日新聞の土曜書評欄、「気になる雑誌を読んでみた」。
「RICE」という雑誌の紹介であった。食をテーマにしている雑誌だけど、ただの「うまい店」や「味のこだわり」を紹介するものではなく、『環境や社会をも含めた大きな視野に立って、食の未来を考えていく』(掲載記事をそのままお借りしました)雑誌だそうだ。

11月4日付の紙面である。この号の「RICE」を読みたい。まだ間に合うだろうか。

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