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文化に個人が制限される時

こんにちは!かーなーりお久しぶりの更新です。今日はインスタには書ききれないであろう、私の心に触れる出来事があったので、こちらでシェアしたいと思います。

何があったのかというと、文化というものが人をこんなにも苦しめるものなのだと久しぶりに温度感を持って感じたのでした。

日本やアフリカ、アジアで仕事していた時には、割と頻繁に文化に苦しめられている・機会を奪われている人達、特に女性を見ていたので、常に心を痛めていたし、外国人として何ができるだろうなんていうことも考えていました。「私は女だから、xxできない」「私は女性だから〇〇であるべき」と、女性自身が考えていたり、型から外れた行動を取ると、男性のみならず周りの女性たちからも激しく批判されるということが日常的に起きていました。

しかし現場を離れ、北欧に暮らすようになってから、自分の行動が社会の規範にそぐわないからと言って批判されるということが身近で起きたことがなかったので、そういうことがあることをうっかり忘れかけていました。デンマークに来てからも勿論カルチャーショックはありましたが、北欧の文化は変化に柔軟で異質なものにも割とオープンなので、「こうあられねばならない」と決められる感覚はあまり感じません。

そして今日。もう10年近く会っていなかったインド人の友人と話しました。彼女が私のヒプノセラピーを受けたいと連絡をくれたので、オンラインで再会しました。私たちはお互いに仕事のために滞在していたエチオピアで知り合い、私よりも10歳くらい若い彼女は、知的だけれど冒険心旺盛で、困難にもクリエイティブに立ち向かうパワーの持ち主でした。けれども、久しぶりに顔を見た彼女は、なんだか疲れ切っていました。以前のエネルギッシュな彼女が、瞳の奥に時々見え隠れするのですが、全体的な印象がぐっと力ない感じなのです。

「もう私はエチオピアで会った時の私じゃないのよ。私はもう違う人になってしまったの。」なんて悲しい言葉だろうと思いました。なんだか途方に暮れているような印象を受けました。

彼女が話してくれたのは、自分の母国、そして特に保守的な北インドの社会というのは、社会の文化的規範から外れたものを許さないのだということ。発言一つ、表情一つとっても、社会から期待されているものと異なるものがあれば、それは強く批判され、家族や親戚まで巻き込まれることになるのです。私の友人は、それでも戦おうとしたそうです。会社の人間関係にある不条理を正そうとしたり、女性の権利のために声を上げたりしたそうです。その結果、彼女は生まれ故郷を追われ、疲れた状態で南インドまで移ることになったそうです。いわば戦いに敗れた状態です。そして彼女は自分の故郷に戻れないとも言っていました。戻ったら殺される、私を憎んでいる人が沢山いる、とも。

偶然にも私の投稿を読んでくれた別のインド女性が、似たような体験を綴ったメッセージを送ってくださって、これは宇宙が私に何かを伝えようとしているのではないかしら?などと考えずにはいられませんでした。

なぜかこういう不条理は昔から私の義憤を掻き立てます。何かしなければ、なんとかしなければ、と心がざわざわするのです。放っておいてはいけないと思うのです。けれども、何ができるでしょう?いちコーチである私にできることは?彼女と話してからずっと考えていますが、まだ答えは出ません。

何もしないという選択肢はないけれど、何をすればいいかが分からない。まさに国際協力の仕事を始めたときの自分に戻った感じです。(そうか、ちゃんと乗り越えていなかったから、こうやってまたチャレンジがやってきているのかもしれません。)文化というテーマに正解も不正解もなく、それでも古い価値観と新しい価値観は時にせめぎ合い、新たなものを生み出していきます。その過程で批判されて傷ついたり、ポテンシャルを生かすことができずに苦しむ人たちに対して、一個人である自分ができることは何か。個人対個人という関わりを通して自分の祖国でもない国が良くなることにどのように関わっていけるのか。コーチングという枠を越えて、自分が何をできるのか・したいのか、改めて考えてみようと思います。






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