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元駐妻が本帰国後に「まず」資格をとった理由

皆さんこんにちは。
FPサテライト株式会社所属ファイナンシャルプランナーの畑野あきこです。

私の仕事遍歴を振りかえったときに1つのターニングポイントとなっているのは、1級FP技能士の資格をとったことかなと思います。今回はなぜ当時その選択をしたのかを整理していきたいと思います。

駐妻を経て本帰国後、キャリアが断絶しているタイミングで、なぜ資格の勉強をすることを選んだのか。これからの働き方について考えている人に参考にしていただけましたら嬉しいです。

仕事遍歴

私は新卒で損害保険会社に入社し、6年間働いたのち結婚を機に退職しました。

夫が転勤族で、結婚の時点で海外の話もあったので、私が当時の会社に残るのは断念。その後の仕事をどうしようかと考えているうちに第1子を妊娠し、妊娠中に夫の米国駐在が決まりました。

ということで自分の仕事については一旦保留のまま駐妻生活に。最初こそこの海外生活をのちのキャリアに繋げなければ、と思うこともありましたが、子どもが小さかったこともあり、自分の仕事のことはあまり考えずに過ごしていました。

振りかえると、ビザ的に仕事をできないことや、周りの人達がみんな仕事をしていなかったこともあって、マイペースに過ごせていたのかなと思います。

消去法

本帰国して少しすると、上の子は幼稚園に、そして下の子もプレで週に2回幼稚園に通うことになりました。

まずなぜ保育園にしなかったかということについては、本帰国する時点でそこまで仕事をしたいという考えに至っていなかったということがあります。

本帰国の準備だけで手一杯で、断絶したキャリアを修復するための手立てを在米中に整えて保育園を探す、という発想にはならなかったです。

ということで幼稚園に通い始めた子どもたち。最初こそ久しぶりの友人に会ったりしていたものの、やっぱり日本の「周りの人みんな働いている」感じにあてられているうちに、何かしたいなぁという思いが湧いてきました。

とはいうものの、できることは限られていました。上の子も14時にはお迎えですし、下の子は週に2回しか幼稚園に行きません。
幼稚園は母親参加型で月に何度も園に行かなければならないうえに、夏休みには預かり保育がなくなる期間があるため、バイトですら難しい。

子どもの預け先を変えることを検討するにも、新しい環境で奮闘する子どもたちを見ているとなかなか現実的ではなく。

ということで消去法で、資格の勉強とかならできそう、という考えに至りました。

そもそも夫は引き続き転勤族なので、海外を含めていつまた辞令が出るか分かりません。場所を問わずに働くには、何か資格をとった方がいいかなぁというのは、結婚するときから考えていたことでした。

資格といっても、ピンからキリまでいろいろあります。どの資格にするか、これも基本的には消去法で決めました。

まずはなるべくならお金をかけたくない。できるなら独学で、受験料もそこまで高くないこと。となると、今から新しい分野に挑戦するのは難しそうです。

前職のときに2級FP技能士資格を結構苦労してとっていましたが、その次のステップであるAFP認定には至っていませんでした。

AFP→CFPのルートをこれから辿るにはどうも結構なお金と時間がかかりそうだということがわかり、受験資格さえあればすぐに合格の可能性もある1級FP技能士の資格を受験することに決めました。

やりたいか

基本的には消去法で決めた1級FP技能士の資格受験ですが、もちろんそれ自体にも興味はありました。

以前も記事にしましたが、住宅購入の際に不動産屋お抱えのFPに相談して、「なんだか楽しそうだな」と思ったのです。

その時点では、資格をとっても保険代理店でパートができるかなぁとぼんやりしたイメージでしたが、社会復帰の第一歩として悪くないかな、とは思っていました。

消去法に加えて「なんだか楽しそうだな」という割と軽めのモチベーションで勉強を始めたものの、待っていたのは壮絶な勉強生活!

某YouTuberを心底頼りにしながら、初回受験でなんとか合格できました。瞬間風速的には本当に大学受験を思い出すくらい大変でした。

できそうか

ということで「消去法×やりたいか」という基準で受験し、なんとか合格を果たしたのですが、最近この「できそうか」という基準も自分のなかにあったなと思い当たっています。

私自身わりと何かを決めるときに「やりたいか」ということを重視する傾向があるのですが、それに加えて主体的に「できそうだ」と思っているからこそそれを選んでいるということもあるなと。

私はFPの資格をとることを考えたときに、「これなら頑張ればいけるかな」と思っていました。あまり自覚的ではなかったですが、そこまで無謀ではないという感覚がありました。

自分が「できそうだ」と思うからこそ勉強を続けたし、結果的に合格もできたのだと思います。
最近いろいろな人のnoteを読んで、この「できそうだ」というのを認識することって意外と大事だなと感じます。

同じ出来事でも「やりたい」と思ってやってみたらできなかった、ということだと、なんだか夢が潰えて残念だねぇという話で終わってしまいます。

でも、これなら「できそうだ」と思ってやってみたけど「できなかった」と理解すると、「できそう」と「できなかった」の差分がなんだったのか、次どうやったらできるのか、と考えることができるなと。

私は1級FP技能士の資格を「できそうだ」と思って挑戦して合格できた。
私はSNSの集客を「できそうだ」と思ってやってみたけど「できなかった」。(今のところ!)
私はセミナー営業を「できそうだ」と思って今やっている。

この「できそうだ」を自覚することってなんかポジティブな感じがするし結構大事だなと、最近思っています。

まとめ

ということで、駐妻を経て本帰国後、キャリアが断絶しているタイミングで、なぜ資格の勉強をすることを選んだのか。

そこには消去法×やりたいか×できそうかという基準があったということを書きました。

どなたかが一歩を踏み出すきっかけとなることを願っています。
ではまた。

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