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【自己紹介】お金アレルギーの私がFPになるまで

皆さんこんにちは。
FPサテライト株式会社所属ファイナンシャルプランナーの畑野あきこです。

皆さん、お金は好きですか?
と聞かれて、嫌いだと答える人は少ないかもしれません。
私は、といえば、お金がずっと「苦手」でした。
ところがどういうわけか、今はファイナンシャルプランナーとして活動しています。
今日は「お金アレルギー」だった私が、ファイナンシャルプランナーになるまでの話をしたいと思います。


【幼少期】すべてはここに遡る

私が育ったのはごく普通の「一般家庭」でした。少なくともそう思って過ごしていました。

小さい時にお金に困るということはなかったと思います。取り立てて裕福でもありませんでしたが。
また親がお金の教育に熱心だったか?というと、あまり教えられた記憶はありません。

小学生半ばからお小遣い制になるも、結局はお小遣いで賄いきれない部分が出てきて、その度に親に要求して、都度足りない分をもらってました。

このせいにするのもなんですが、私にとってお金は「足りなかったら、親に言って、貰うもの」。決まった中でやりくりするという考えは全くありませんでした。

そうこれが、今後長い人生のお金との向き合い方に暗い影を落とすとも、その時は知る由もなく。

この考え方は大学生くらいになっても変わりませんでした。バイト熱心でもなかったので、いつも、お金がないなぁと思っていました。

付き合いだとかなんとか、色々あると親に言っては継ぎ足してもらっていました。とは言っても、親の金でブランド品を買いまくっていた、というわけではありません。

また奨学金も借りていたので、旅行の費用とかは奨学金から使ったりしていた記憶もあります。
とにかく、「一定の予算内でやりくりする」という経験をほとんどせずに大人になっていったのです。

【社会人生活】アンビバレントの体現

お金への漠然とした苦手意識を抱いたまま社会人になった私でしたが、なぜか就職先は損害保険会社という金融の世界に。

もともと要領のいい方ではないので就活は苦戦していました。「研修で組織の課題を解決する」みたいな会社に憧れて面接を受けていましたが、鳴かず飛ばず。
意気消沈する私を、どういうわけか損害保険会社が拾ってくれたのです。

入社後は、査定部門に配属されました。
保険金の支払額を計算して、間違いなく約款通りに支払う部門です。この支払業務を通して、保険好きになった話は以下の記事で書いています。

https://note.com/akikohatano_fp/n/na6912e316b6b?sub_rt=share_pw

お金が苦手な私が、保険金の支払いなんて、どうなったと思います?
実は、かなり好きでした。
計算ミスが原因の「誤払い」もほとんどしませんでした。
自分のお金について考えることは苦手だけれど、仕事としてお金の計算することは好きという、アンビバレントな状況がここからスタートします。

晴れて初任給、定額のお給料をもらうようになったものの、毎月の収支の勘定なんて全くせず。
調子に乗って湯水のように使っては、底を尽きて節約するなんてことを延々に繰り返していました。

特に困ったのは、入社4年目で転勤し、一人暮らしを始めた頃です。

一人暮らしの寂しさもあってか、飲み会が趣味と言っても良いような生活でした。あとゴルフ。下手すぎてやめろとまで言われていましたが、好きなので、土日連日コースに行ったりしていました。

当然貯金も貯まらず。
一度、本当にお金が足りていないことに気づき、大規模な節約生活に踏み切ったこともあります。

食費を日割りで算出して、予算内で買う!という王道な節約です。
最低限の予算で大量に作ったハヤシライスのようなものを冷凍し、毎晩それを米にかけて食べていたことを昨日のように思い出せます。
お腹も空くし、毎日同じメニューで飽きるし、切なかった。

「節約」と聞くとなんか嫌な気持ちになるのは、この時のハヤシライスを思い出すからかもしれません。
当然そんな節約生活続くはずもなく、その後も大して収支改善しませんでした。

おまけに奨学金返済もありましたし、気付けば結婚資金を貯めなければ?!なんて話にもなり、なんだか途方に暮れていました。

当時の仕事?聞きたいですか?資産運用のセミナー講師とかやってたんですよ。
外貨を持ってインフレに備えましょう!なんて人前で堂々と喋りながら、
投資に回せるお金なんて1円もない!という悲惨な状況でした。

それでもなんとか奨学金は返済し、結婚資金もいくらかは貯めて、結婚生活をスタートしたわけです。

【結婚後】他力本願が実現する

結婚後はどうなったか。

事情により結婚と共に退職し、稼ぎは夫一本です。おまけに結婚2年目からは夫がアメリカ駐在になり、家族で移り住みました。

その間のお金の管理は・・・勿論夫です。
夫は子どもの頃からしっかりとお金の教育を受けてきたようで、かなり堅実です。

アメリカでのクレジットカード生活も相まって、お小遣いとか生活費といった概念も(私の中から)なくなり、全てを夫に任せて、ある意味お金の不安から目を背けきって生活するようになりました。

毎月の食費だけでも勘定してほしいと夫に言われ、レシートだけは保管していました。が、もうとにかく計算するのが面倒で、レシートを半年分以上ため込み(ものすごい量でした)、挙句、計算せずに捨てました。
読まずに食べた、やぎのようです。メェー

それでも、この私がお金に向き合おうと思い切り、FPとして活動しようと考えたわけです。
ここまで読んでくださった方なら、それがどんなに大きな変化か、きっと分かってくださると思います。

きっかけは、住宅購入

きっかけは、アメリカから本帰国後、家を購入したことにありました。
家の購入の際、ライフプランシミュレーションをしてもらったのです。
夫の年収なんてそこで初めて知りました。
正直に言うと、貯金額も、です。
このご時世ですから住宅価格は高騰しており、希望してるようの家が買えるか不安でしたが、ライフプランシミュレーションの結果、なんとかなりそう、となり、色々ありましたが希望した形で購入することができました。

詳しくはこの記事に書いています。

ライフプランシミュレーションの手法を知ってはいました。
けれど、本当にそれが家計の指針となることを初めて体感したのです。

それで、自分がFP2級を持っていたことを思い出し、上位級であるFP1級に挑戦することを決めました。その後紆余曲折を経て、今に至るということです。

まとめ

いかがでしたか。今日はお金アレルギーと呼べるくらい、お金に苦手意識を持っていた私が、ファイナンシャルプランナーとして活動をするようになった経緯について書きました。

今でも、お金との向き合い方を間違えると、「アレルギー」のような嫌悪感が出てきそうになります。

一方で、同じようにお金に苦手意識を持っている方が、お金と程よく付き合っていく。このことのお手伝いは、私だから出来るのではないかと思っています。

ここまでお読みくださりありがとうございます。ではまた。

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