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共感力と観察眼と境界線

共感性が高く、
相手との境界が分かりにくい人は
感覚を閉じてしまいがち。

相手の表情や言葉など、目に見えるもの以外から
感じるものを受け取っている。
それが、当たり前のように自分の一部になっている感覚。
良い状態のときはなにも気にならない。
けれど、悪い状態のとき、身体に痛みが出現し感情が乱れる。
自分が急に変化する感じで怖いから
影響を受けたくないと閉じちゃう。
空間やヒト、モノによって
さっきまで、喜びでいっぱいだったのに
なんで急に??みたいに変化することもある。

身体にある感覚器のどこで感じているのか。
そのどれでもない感覚。
その人、もの、空間のを含むエネルギーを捉えているとしか言いようがない。それを第六感と呼ぶのかな?
難しいことは分かりません。
今度、麻美さんに聞いてみよう(笑)

対象が人であれば、私の場合は感情を受け取りやすい。
対人関係がとても苦手だと感じる。

相手が発する言葉とその捉えた感情が違いすぎる現実に
混乱とやるせなさを感じていた。
相手の状況をさらに分析して、
今その違和感を言うべきなのかを考え、
言わない方が良いと感じたら
話を相手に合わせる。

すると、何が起こるか。

言葉と自分が解離していき、
それをもう一人の自分が見ている。
解離していくのを感じながら話している。
なんてややこしいんだろう。

だからと言って、
本当のこと(あなたは言葉と意識の状態が違います)
を言ったらどうなるか。

相手にしてみれば、何も言ってないのに
勝手に決めつけられる、という
客観的に見れば最もな言い分で怒らせたり、
悲しませたりすることが小さいころからあまりにも多い。
※これは、やっぱり求めている人にしか
言うべきではないと今は判断している。
自分の安全とエゴで言うのは
相手に対して誠意がない。


それを避けるために合わせるんだけども、
相手も同じように
私が言葉から解離していると観ていると
両者で複雑化していることがある。
※この場合は、答えはないけど正直に話して
受け入れられなくても仕方ないと腹をくくる。

嫌でも受け取ってしまう、と思っていた。
「それは、あなたの勝手な妄想だ」と言われたら
そうです、というしかない。

だから、求められてからしか言わない。
そこにはオープンマインドの関係性があることが
前提だ。
相手が求めているかどうかも分かるから。
(そこがやっかいなんだけど、
求められていても、自分が言わない方が良いと
感じたときは言わなくてよいのだ
という選択肢をつい最近腑に落とせた)

結局は見えないものであり、
答えのないものであり、
自分にしか分からないものなのだから。

観えたり聴こえたりしている感じはなくて、
上から降ろすとかでもなくて、
ただ自分の中に在るものなんだけど
みんながそうではないことが衝撃。

観える人や聴こえる人とかの感覚は分からないし、
人それぞれなんだなあと
人間の多様性を感じる。


でも、以前はこうだった。

勝手になんでも受け取り違和感を感じるのは
自分の責任だと感じて、
何度も自分のマインドがおかしいんだ、
自分が醜いからそんなふうに感じるんだ、
と自分を責めて逃げた。

変に<鏡の法則>を表面的に理解して
自分の責め材料にしていたんだよね。

何でも吸収するため、
状態がよいはずなのに、急に怒りだす、
急に泣きたくなり号泣する、
と、ジェットコースターのような
荒波の精神状態の様相を見せてきた。
何度も他者から
不安定で闇が深いと言われてきた。

こんな自分は子供を愛情深く育てられない。
なんとかしないと、と発達を学び、
心理、精神世界、潜在意識にたどりついた。

肉体にもさんざんアプローチをしてきた、
整体、ピラティス、Bodyエネルギーワーク、
随意運動、発達教室で遊ぶ、、そしてイノチグラス。

どれも意味があった。
今のわたしがいるのは、それら全て必要であり、
これだと思って実践し、
経験することで自分の気づき、
自分の観察眼をふやしてきたと言える。

心理学、精神、潜在意識のことを学び、
ようやくたどりついた光がある。

それは、
相手はコントロールできないし、
分かってもらおうなんて
傲慢なんだということ。

相手のために言葉を飲み込もうが、
ストレートに伝えようが、
それを選択した自分がいるのだから。
であれば、受け入れたものは自分で調和させ、
放ったものはあとは相手のものだとするしかない。

それは、
自分勝手にいいでしょ、とやりたいように
やるのとまったく違うの。

わたしは自分勝手に言ったり、
書いたりして出す(放つ)ことは
決してないという自己信頼を積み重ねてきた。

自分自身が他者との関係で
ずいぶんと悩み苦しんだからこそ。
痛みが分かる。

十二分に分析して、それが例え
外側から見たらおかしい行動であっても、
私の中では、私を含めた相手や周り全体を
調和するための選択。
相手や社会に合わせるのではなく、
自分自身が、
自分と相手に、周りに
誠意をもてるかが大事なんだよ。
それが相手に伝わるかどうかは
相手のことだし相手にも相手の価値がある。

自分の感覚を疑っていたときは、、、
自分を否定して、
なんでも受け取る性質をやっかいだと思い、
一時は人から防御すべきだといわれ、
一生懸命防御しようとバリアを張るやり方や
なんやらかんやら学んで試したけれど、
余計に強まりばかりだった。

否定する分、
そのやっかいものを排除しようとするだけ、
そのやっかいものは、なにくそ~!と
エネルギーを吸収して大きくなり続けて
すごい存在感を増すのだから(笑)


潜在意識を学んでからは、
その絡み合う糸がほどけていくことが分かり、
そんな厄介な性質の自分、
他者に入ってこないでよ~怖いんだから~と
言っている弱い自分を
「しゃーない、これは何としようと、何ともできん」
と受け入れることによって、
その性質をもつ自分を切り分けることなく、
揺らいでもいい、自分の中にずっとある感覚、
観察眼を持つ素晴らしい自分がいるのだ
と思えるようになった。

すると、ずっと曖昧だった自分と相手との
境界線が分かるようになってきた。

ずっと不安定極まりないと思っていたものは、
大半は他者のものだと分かり、
自分はこんなに静かで冷静で
頼りがいがあるのかとも感じる。

過去の感情の分析は自分のものかどうかなんて、
今の私には分からないけれど、
きっと自分を信じられず
自分でない誰かになっていたんだろうと思う。

今、分かるのは性質はそのまま在り、
何も変わらない中に
自分の奥底にいる意識のようなものを
感じられるようになったということ。
それが、観察眼であり、
観ている意識が本質とかコアとか
いうものなのかと思う。

その意識がいつもずっとあったことを知っている。
私はその意識がそうだというままに、
きっと動いてきたのだ。
なんの理由もいらない。
私がそう感じたのがすべて。

大好きな壇珠さんとお話していて
気づいたことが多かった。

そして、こう言ってくれた。
それはみんなが望んでも
ほとんど持てない素晴らしい能力なんだと。
同じような性質をもちながら、
弱い自分を受け入れ歩まれている
壇珠さんの姿は私の希望。
そんな方とお話を共有できるなんて
世界は本当に感動だらけで温かいよ。

今の集合無意識は、
すさまじく痛みや悲しみを感じるけれど、
こんな時こそ自分への信頼を深める
絶好の機会だと思う。

私のように共感性が高く、なんでも受け取る人は、
受け取りたくないと防御する時があってもいい。

だけど、やってみてうまくいかなかったら、
受け取ってやる!
だって受け取っちゃうんだから、
受けたいだけ受けてやる!と思った方が
実は楽なんだということも知っておいてほしい。
壇珠さんがよくおっしゃってる。

そうっすよね、私やめろって言われても
やっちゃいますから。
と自分を認めたら
意外な感覚が分かってくる。
敏感な人はやさしい人。
どうかそんな人が堂々と
自分を認められますように。

今はこうやって表現するしかない私。
だからこそ、今できることを活かしきろう。



必要な人に届きますように。


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