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双子妊娠とお産の話

2020年、私は3度目の妊娠をして双子を出産した。多胎というハイリスク妊娠でいつ入院するかビクビクしながら過ごしたが、結局出産まで元気に過ごした。私の体は双子妊娠にも耐えられる丈夫な体だということが判明したのだった。

私のお腹に双子がやって来た。私の覚え書きのためにも双子妊娠とお産の話を書きたい。

3度目の妊娠は双子

2020年は2人目の育児休職からの復職を5月に予定していた。1月末、2人目の保育園も無事決まりホッとすると同時に感じる体の違和感。「むむ。これは…生理も遅れているし…妊娠?」

3人目は考えていなくもなかったけどこんなに早く妊娠するとは思わなかったのが本音。1人目も2人目もありがたいことにさほど苦労なく妊娠し、無事出産した。さすがに3度も幸運には恵まれないだろうと甘く見積もっていたが…本当にありがたい。何にか分からないが感謝である。

1度目の検査では分からなかった。2回目に病院に行って経腟エコーを終えようとした時に先生が気づく。
「あれ?2つあるね」
「えぇぇぇぇー!?」
診察室の外まで聞こえる大声で叫んでたと思う。

双子というだけでハイリスク

双子だと分かったその日に双子を育てる友達に連絡した。
すぐさま返事があった。
「病院決めた?」
え?病院?今のところで産めるんじゃないの?

双子といってもタイプがある。よくいう一卵性二卵性というのは産んでからの話らしい。
妊娠中は3つのタイプに分類される。
2つの胎盤、2つのお部屋の二絨毛膜二羊膜双胎、別名DD。
1つの胎盤、2つのお部屋の一絨毛膜二羊膜双胎、MD。
1つの胎盤、1つのお部屋の一絨毛膜一羊膜双胎、MM。
妊娠のリスク的にはDDが一番リスクが低く、MMがリスクが高い。
私の双子はDD。双胎妊娠のなかではリスクは低いけどそれでも双子だからハイリスク妊娠。
病院によっては双子が分かったら大きな病院に転院になるらしい。
私がかかった産婦人科はDDなら出産できる病院だった。ただ妊娠中に高血圧や糖尿病になれば転院になる。そして双子は低体重で生まれてくる可能性が高い。出産後NICUのある病院に赤ちゃんたちだけ搬送とか、NICUの空きによっては別々の病院に搬送とか、最悪すごく遠い病院に搬送とかもあり得る…と友達からアドバイスをもらい、悩んだ結果比較的近くにある総合病院に移ることにしたのだった。

双子だから?辛かったつわり時期

私は食べることが大好き。なのに食べることが辛いつわり時期は地獄だった。
1人目はなかった。今思うと奇跡だ。
2人目も辛くてもう妊娠したくないと思った…気がする。
2人目のつわりと大体同じだけど今回が一番辛かった気がするな。
常に口のなかが変な味がして今まで好んで食べてたものが全然美味しくない。何か食べたいのだけど何なら食べられるのか分からない。何が食べられるか気持ち悪くて考えるのも辛い。でもお腹が空くと胃のなかに何もないのにえづいてしまう。出るものないからえづくのがとても苦しい。自分は気持ち悪くても子供に何か食べさせなきゃと台所に立つ…気持ち悪い。寝ても覚めても何してても気持ち悪い。そして今回はよだれづわりというのか唾液が異常に出た。どうしても飲み込めない。5分に1回はペッと唾を出さないと気持ち悪い。汚いのだけど気持ち悪いのだから仕方ない。私がペッペッと唾を吐くもんだから子どもたちも真似して困った。
もっともっとひどいつわりの人もいる。けど辛い。つわりとお産ならつわりの方が100万倍辛い。もうつわりは二度とごめんだ。

7ヶ月なのに臨月に間違えられる

つわりが終わるとぐんぐん大きくなるお腹が苦しくてたまらなくなる。
動悸や息切れが激しい。立ってるだけでも苦しいし何なら座ってても苦しい。横になれば少しましだけどそれでも大きくなった子宮や赤ちゃんに内臓を圧迫される。何してても苦しくてお手上げ状態だ。
それでも生活しなくてはいけない。大きなお腹で洗濯干ししたり、ごはん作ったり、保育園の送り迎えしたり、子供とお風呂入ったり…。夫もコロナ禍で在宅勤務になったのでめちゃくちゃやってもらった。夫が在宅勤務でなかったら乗り越えられなかったと思う。夫にも感謝だけどあの大きいお腹でよくやったと思う、私。
ぐんぐん、ぐんぐんお腹は大きくなって、7ヶ月過ぎる頃になると「もうすぐですか?」と聞かれることもあった。お腹の大きさ的には臨月だよね。
とにかく苦しいし季節的に暑くて、いつだって頭は汗でびしょびしょでお風呂上がりのようだった。

妊娠後期はマイナートラブルも多い。
むくみ、頻尿、なんなら尿漏れ。だって大きくなった子宮に膀胱が押されてるだもん。しょうがないよ。くしゃみとかで出ちゃうの。吸水シートが手放せなかった。
お腹も子宮も常につっぱるような痛みもあって、「なんかもう出てきちゃいそうだよ」って思ってた。
妊婦さんって幸せそうだけど、いや幸せなんだけど体的には過酷だよねって思う。

双子は帝王切開?

双子だと出産は帝王切開だと考える人がほとんどじゃないかと思う。かくいう私も双子の出産方法は帝王切開だけだと思ってた。
けど経腟分娩も条件が揃えばできる。
第一子が頭位(頭が下)であること。赤ちゃんの体重がある程度ある(何g以上だったか忘れた)こと。など。
最初にかかっていた産婦人科では双子は帝王切開一択だったが、転院した大きな総合病院では経腟分娩にもトライできた。
なぜ“トライ”という表現なのかというと第一子を産んでから子宮にスペースができるため、第二子の体勢が横になってしまったりして経腟分娩が困難な状況になると1人下から産めても2人目は緊急帝王切開になる。2人目の心拍が下がってしまったりしても同様。そのリスクがあるから始めから帝王切開を選ぶ方もいる。
双子の場合順調にいけば37~38週で分娩になるが陣痛誘発剤を投与してお産に繋げる。ので上手く陣痛が来なかったらやっぱり帝王切開になる。
だからやっぱり経腟分娩はトライなのだ。

私はどうしたかというと、2人とも頭位だったら経腟分娩にトライしようと決めた。第一子が頭位ならトライできるのだけど、頭が下かそうじゃないかって、下から産まれたいかそうじゃないかの意思表示な気がして、2人がどうしたいかに任せようと思った。もちろん2人目帝王切開の可能性もあるのだけど、そうなったらそうなったでしょうがないと腹をくくった。それぞれの産まれたいように産まれてくればいいかなと思った。

神様のお告げ?「陣痛がくる」のメッセージが降りてくる

経腟分娩を決めてから、37か38週に誘発剤を使って産むんだなぁ、いつになるのかなぁと漠然と考えていた。出産のちょうど1ヶ月前くらい、お風呂で頭を洗っていると「陣痛がくる」っていう言葉が浮かんで動揺した。誘発剤を使って産むことになんの疑問もなかったけど…そうだよね、陣痛くることもあり得るよね。そっかぁ。私陣痛くるのかと妙に納得してしまった。

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2020.9.10 はち切れんばかりのお腹


この日に産むと決める

9/11に友達にたまたまテルミーという温熱療法をしてもらう機会があった。その友達は臨月の時にテルミーをしてもらい、次の日に出産したという。陣痛のツボのようなものがあるらしい。その日はツボは刺激しなかったのだけど9/17がその友達の誕生日で毎年無料ででテルミーをギフトしてるという。私もテルミーをしてもらって次の日9/18に出産しようと決めた。


最後の妊婦健診

9/17に最後の妊婦健診があった。9/23が予定経腟分娩の日で、朝入院して誘発剤を投与していざ出産という説明を受ける。だけど計画分娩で産むイメージがどうしてもできない。とても順調とお墨付きを頂き健診の最後に先生の内診を受ける。先生が内診の前に「23日(計画分娩の日)に産みたい?早まっても大丈夫?」と聞かれ「大丈夫です」と答える。内診はチョキのような形で子宮口の開き具合を指で確認する。直接子宮口を刺激されるのでそれが陣痛に繋がっていくことがある。先生が確認するとなんと3㎝開いていた。子宮口全開が10㎝だが子宮口が開いてきてるということはお産が始まる兆候といえる。

「いい感じです。もう明日産まれていてもおかしくないですね」

おぉ、やっぱり。もう産むんだな…

診察室を出る頃お腹の痛みに変化があった。それまでもお腹の張りと痛みはあったけど、なんかこのまま陣痛に繋がっちゃいそうな痛み。痛いぜ…と思いながら赤ちゃんの向きを見るためにレントゲンを撮り(双子経腟分娩に備えて)、入院の手続きなどの事務処理を済ませて帰路につく。

本当に陣痛がきた!

帰宅してから友達に訪問してもらいテルミーをしてもらう。お腹に触れると「宇宙だ!」と驚いた。不思議な感じだけど「そうか~宇宙なのか~」と受け容れることができる。テルミーをしてくれながら「なんかもうきちゃうね~」と言う。やっぱりくるんだ。今日かな。明日かな。そう思った。

まずいな~痛いな~と思い病院を出る前に早めに帰宅してほしいと夫に連絡していた。コロナでほとんどテレワークだったが、双子の出産後は夫も育児休職を取るため、最後に職場に出勤していた。夫も何かを感じ取ったのか「分かった。早めに帰る。」とすんなり合点した。

ここからは時系列で。

15時 友達が帰る。間隔は長いけど陣痛に繋がりそうなお腹の痛みがある。16時半 お迎えなんとか行けるかな…と思い上2人の保育園にいく。17時半 夫帰宅。18時 買ってきてもらったお弁当を食べて、夫の両親に連絡。上2人を迎えにきて預かってほしいと頼む。お産の時2人をどうするかと義両親含めシミュレーションしていたのでスムーズ。けど夫も義両親もいよいよかとテンパっていた。19時 夫が子供たちをお風呂に入れて、私が子供たちの荷物をまとめる。夫がお風呂に入りながら子供たちに「赤ちゃん産まれそうだからじぃじとばぁばのところへ行くよ」と説明する。20時 私もお風呂に入る。ちょっと痛みが強くなる。20時半 義両親が到着。 21時 子供たちと別れる。母はしばらくお別れかと思いしんみりしていたが子供たちは楽しそうに手を振っていた。家に戻ると夫と2人、静かな部屋で寂しさを覚える。双子の名前を考えることにする。22時 痛みが規則的に来るようになって間隔を計る。10分間隔。 23時 病院に連絡。陣痛タクシーを呼ぶ。 23時半 病院に到着。立ち会いができないので夫は待ち合いスペースで待機。私は分娩室へ向かった。

いざ、出産

コロナのため立ち会い出産ができなかった。といってもうちは夫が立ち会い出産を拒否していて(血が恐いため)、もともと予定はなかった。私は3回とも一人で産んでいる。立ち会って欲しいなという気持ちがなかった訳じゃないけど、3回やって、私の場合は一人が集中できるから結果良かったなと思っている。けど出産なんてそう滅多にない機会だから、希望している夫婦にとっては残念だと思う。

検尿して分娩室へ向かう。陣痛は規則的に来てるけど助産師さんとのやり取りもできてまだ余裕がある。分娩室に入って分娩服に着替える。分娩台に上がりPCR検査を受ける。マスクは着けたまま。コロナ禍の出産だなと感じる。
分娩台に上がったのが0時頃。ちょうど勤務交代の時間で助産師さんの担当が変わる。「0時に仕事終わってどうするのかな?今から帰るの?病院泊まるの?大変な仕事だな~。」なんて考える。
陣痛は5分から3分置きくらいになっていただろうか。まだまだいきみ逃しだなぁと思っていたけど「破水させますね~」と言われる。「え?まだじゃない?まだまだいきみ逃しできるよ?」と思うも口には出せず。破水させようと何かで膜を引っ掻けて引っ張っているけどぶ厚いらしく破れず。「やっぱりまだじゃないかなぁ。赤ちゃんまだって言ってるんじゃないかなぁ。」と思うけどやはり言えず。結局破水完了。するとぐんと強くなる痛み。過去2回は自然に破水して、先生にいきみ許可が出てから2回くらいいきんだら産まれた。一体こっからどうしたらいいんだ?とりあえずいきみ逃ししていたら違うらしく、「頑張って」と言われる。いきむのか、と思いいきむと「上手上手!いいよ!」と言われたので陣痛が来る度にいきむ。これがなかなか大変だった。たぶん1時間半くらいいきんでたんじゃないかな。赤ちゃんたちそれぞれにモニターをつけているのだけど、私がいきむと1番(先に出てくる方)だけじゃなく2番も心拍が下がる。「双子だから痛み分けしてるのかしら」なんて助産師さんが言うけどいきむと必ず2番の心拍も下がるのが不思議だった。いきめどいきめど「上手よ~頑張って~」と言われ、一体いつまでいきめばいいんだとなかばやけくそだったが、助産師さんたちの空気が変わり、「もうすぐ産まれそうよ!」というので渾身の力で2~3回いきむ。

助産師さん「産まれましたよ~!」

私「よかった…産まれた…でもまだいる…」

日付が変わって9月18日の2時9分、1人目の男の子が産まれた。しかしまだお産は終わっていない。かるく絶望を覚えた。

1人目が産まれるとあの壮絶な痛みは消えた。でも微かに陣痛っぽいのがある感じ。ほっとしてるのもつかの間、「破水させますね~」と助産師さんに言われる。だがしかし、またもやなかなか破れない。私の羊膜は相当丈夫なようだ。それでもなんとか破水するとすぐさま陣痛が来た。けど1番のより痛くない。どこでいきめばいいのかな?ここ?みたいな感じでなんとなくいきんでいたら産まれた。

2時21分、2人目の女の子が産まれた。

やっと安心できた。と同時に双子を産んだ達成感でめちゃくちゃテンションが上がった。「私すごい!!」を連発していた。よくぞ産んだと自画自賛である。1番が産まれてから12分後に産まれた2番は、首にへその緒が巻いていたため、1番の出産の時にもいきみと同時に心拍が下がっていたよう。でも無事産まれてきたので本当に良かった。

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お産直後 双子を抱いて


分娩台の上で食べるご褒美ケーキ

産まれてきてみたら1番は2625g、2番は2700gと2人とも普通の大きさだった。そして出てきた胎盤の大きいこと大きいこと。見た目2㎏くらいありそうだった。やっぱり思う。すごいよ私。そして今回は会陰が無傷だった!1人目も2人目も会陰切開していて、特に1人目の傷の痛さはトラウマだ。お産より痛くてしかも長く辛かった。それが今回はなし。飛び上がりたいくらい嬉しかった。産後のもろもろ処置を受けながら「いや~頑張った!」「私すごいですよね!」と助産師さんに自画自賛を続けていた。ふと夫のことを思い出す。「そういえば夫には連絡いってるんですかね?」「あ~誰も言ってないかも」夫は待合室で出産を知らずに1時間以上放置されていた(笑)分娩台から電話をかけて1時間前に産まれたことを告げる。「え、産まれたのに誰も教えてくれないの?」とびっくりしていた。仕方ない。深夜の出産だからあんまりスタッフがいないのだろうと慰めた。夫にコンビニでお菓子やらジュースやら差し入れをお願いして買ってきてもらう。出産のご褒美でコンビニのカップケーキも頼んでそれを1人、分娩台の上で食べた。めちゃくちゃ美味しかった。


双子の妊娠出産を終えて

長いようだった妊娠期間も終わりは来たし、本当に2人入ってるのかかなぁと思ってたけどちゃんと2人出てきた。双子じゃなくても妊娠出産自体が本当に神秘だけど、2人いるからか妊娠後期は自分自身が神々しくて…なんていうと笑われそうだけど、神格化してたんだよね。ほんと不思議。
今回はコロナ禍で今までの妊娠や出産とは違ったけど、今までで1番人との繋がりを感じた気がする。夫にも友だちにもたくさん支えてもらって乗り切れた。コロナ禍でありがたかったかも。
双子を産むことも育てることもみんなが出来ることではない。
私でいいのかな?と思うけど、選んで宿ってくれた子どもたちに、チャンスをくれた神様に感謝。

なんていうまとまらない締めくくり笑

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