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スーパーヒーロー

 パートナーが観たいというから、娘と観たオッペンハイマーをもう一回観ました。前回より深く理解できました。
 私が初めて知った正義はスーパージェッターや鉄腕アトムだった。正義というより正義の味方。悪い奴らをやっつけるスーパーヒーロー。
 幼稚園で何になりたいって聞かれると、男子はスーパーヒーロー、宇宙飛行士とか野球選手とか特別な存在に憧れて、女子はそんなヒーローのお嫁さんに憧れてた。
 少し大きくなってねずみ小僧、ルパン3世、犯罪者がスーパーヒーローになった。オッペンハイマーは原爆の父ですが、類まれな天才。アメリカ的にはヒーロー。ただこの映画は最近のコンプライアンスなのか、ヒーローの苦悩が前面に出ていたけれど。
 何が言いたいのかというと、大人になって知った正義は政治とそれによる社会が作るものだということ。戦争の人殺しは正義、盗んでも逃すのが正義、イリーガルの親と子供を引き離すのが悪だから国境解放は正義という解釈、それらは全部政治家の都合で作られた正義。
 政治家を選ぶのは国民。最近の子供はポケモンは知ってても、スーパーヒーローは知らないかもしれません。子供がなりたいのはYouTuberとか、短絡的にお金持ち、教育もレールに乗っかって良い大学良い就職がゴールという、ある意味夢のない現実的な選択が正しいという体制がずっと続いて、日本人はいつのまにか野望を排除してきたように思う。だから若い世代が「安定」だけに執着する。もちろんヒーローに憧れる子は今でもたくさんいると思う。でも身近であまり聞かなくなった気がする。
なんて、思う今日この頃です。
 そろそろスーパーヒーローの出現と、それを夢見ることを望む社会になって、やんちゃな少年少女が増えてくれないかなぁと思う。だって安定って進歩の対義語でもあるのだから。
 と、ポスト還暦の呟きです。

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