恐怖症にまつわる雑談

エピソードトーク

これは、恐怖症とはまた別の話として気楽に読んでもらいたい。と下書きを書いた当時には記している。でも読み返すとやっぱり恐怖症の分野と被る点があると思う。
公開するか悩んで放置していた下書きを見つけて、ああこんな気持ちだったのか。と思い起こす。

私に「こんな恐怖症を自覚している」「私は○○恐怖症だよ」と言ってくれた人たち、その後「やっぱりテキストには出来ない」「話すのをやっぱりやめたい」と伝えてくれた人たちがいる。
「そう思うのは自然だよな」と頷く。簡単に話せる度合いのものなら、「恐怖症」という単語は頭に浮かばないだろう。だから私のnoteに反応してくれた人たちは「恐怖症」を自覚・自認するほどの実感があるのだと思う。

インタビューに答えてくれた人たち、記事にできずとも連絡をくれたみなさんに「反応してくれてありがとう」と伝えたい。

さて、冒頭の下書きに話を戻す。
読み返すと勢いで書いた過去を思い出して恥ずかしくなる。でも手を加えるのは過去の自分の高揚感に蓋をするようで、誤字修正くらいでほとんどそのまま公開することにした。
これは数年前に書いたもので、いまの出来事ではない。
一昔前のブログのように気楽に読んでくれたら嬉しい。


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岡田将生のおかげで小田急線に乗れるようになった話


長い間小田急線が苦手だった。新宿にも小田原方面にも行くことができる便利な線なのに、理由は伏せるが、ひとりで乗ることが極端に苦手だった。高校生の頃、友人と出かけるときにはそこまで強烈な不安を感じることはなかったけれど、卒業してしまえば一人で利用する自信がなく、結果として縁遠い地域で活動するようになってしまった。同時に、”だからこそ”小田急線とは縁遠い場所に通い、住んでいる。とも言える。学生服を着なくなっても、お酒を飲むような歳になっても、その路線を避ける癖はずっと続いていた。

そして、今年ついに、数年ぶりに、この線にひとりで乗らなくてはならない時が来た。多少奇妙に思われようとも、現地集合を約束した友人に、「都心から一緒に乗って」と言えばよかったとすぐに後悔することになる。
スマートフォンを手に持ちながら、乗客がまばらな車内を端から端まで落ち着きなく見渡してしまう。ここが安全であるという確信が全く持てない居心地の悪さが、誰かや何かに強いられているのではなく、自分の胸の内から勝手に、強烈な悪臭を放つ何かが湧き出てくるようだった。ドロドロの田んぼのど真ん中に突っ立っているのではなく、自分の中身そのものが粘度の高い泥で出来ているような。
しかし私はそんな内面を悟られたくないので、何でもないようなふりをしてスマートフォンに視線を向ける。ホーム画面のまま操作しない自分に対して、思えば私はよくフリをしているな、と感じた。私にとって、生活とフリ(または演技)が密な距離にある。目的地の駅のホームから足早に地上に出る。本屋の看板が見え、商業施設が橋の先に見える。友人が到着するまでの間、私は優雅に待ち合わせているフリをした。普段は朝食をとらないのに、駅に隣接する喫茶店で珍しく朝食を食べていた。ただ何かをしていないと、不安で落ち着かなかった。

そんな憂鬱な経験もあり、わたしの乗りたくない路線No. 1は相変わらず小田急線だった。だがそんな、罪なき路線への一方的でぞんざいな扱いは突然終わることになる。ある俳優の熱愛報道によって。


 梅雨を前にした5月31日、岡田将生の熱愛報道が報じられた。自宅にテレビがないので、わたしはこのニュースをSNSの急上昇ワードから知ることになる。

記事を見た途端、ストンと厄が落ちた気がした。このニュースの舞台は、あの小田急線の車内だった。彼と、恋人らしき女性の写真と共に、文面には小田急線と含まれている。
熱愛報道という衝撃よりも、岡田将生が小田急線に乗ること自体に驚いて、力が抜けて、少しの間ぼうっとしてしまった。
岡田将生だって小田急線に乗るんだ。
誰だって、話相手のいないドアに向かって怒鳴るような人もいるし、手を繋いで密着して会話するカップルもいる。知らない乗客同士のトラブルだってあるし、仕事終わりでうんざりした表情の人もいれば、泣き叫ぶ子供を必死にあやす人もいる。それはまあ、公共交通機関なのだから、様々な利用者がいることはどの路線でも当たり前だけども、当たり前なんだけど、何年もそんなことは頭に浮かんでこなかった。
私の中では長らく、小田急線とその他の線の間に見えないラインが存在していたのだ。それは単なる個人の経験によるものであるはずなのに、小田急線それ自体がどこか危険な存在であると錯覚してしまっていた。


 6月2日、わたしはレンタルサイクルに乗って小田急線のある駅へ向かった。決して、「これから小田急線に乗るぞ」という意気込んだものではなく、「予定が空いたから」くらいの軽い心持ちで、単純作業のように淡々とペダルを踏んでいた。少々入り組んだ住宅地を過ぎて、駅の近くにある駐輪場で乗っていたものを返却する。そのまま難なく改札を抜け、少し待てば青いラインの入った電車が来た。扉が開いてすぐに目についた、座席の中央部分の空席に座る。しばらく前から気になっていた、多摩市にある施設へひとりで向かった。
窓の外の景色が変わってゆく。しばらく乗りっぱなしで陸続きの移動とはいえ、あまりの景色の変わりように驚いた。久しぶりに聞く名前の駅を、何ヵ所も通過する。そのたびに、このアナウンスを最後に聞いたのはいつぶりだろうと思い返し、そしてなにより、単純に嬉しさがこみ上げた。

私はいま、小田急線の車内にいる。







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