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「シリマーの秘密」2.悲しみの塊 パウリーヌ・テルヴォ作 戸田昭子 訳


夜は美しい時間。私は、こっそりと、絹のやわらかさとふわふわの光を部屋にすべり込ませる月が好き。暗いのは怖くない。だから、夜は好んで起きていて、その静けさを聞く。

今、しずけさにひびが入る。壁の向こうで、母が長いこと、いっしょうけんめい鼻をかんでいる。
「どうしてこんなことになったの」と母が泣きわめく。
「落ち着きなさい」と父がうなる。
母は、布団の下の、震えるクジラだ。見えなくても、私にはわかる。母が、どんなふうに暗闇の中を見つめ、泣いているのか、暖房の管を通して聞こえ、心の目で見える。
「子供が欲しかったんだ」父は言う。
「子供が欲しかった。そしたら悲しみの塊がやってきたのよ」母はすすり泣く。

今、父は母を慰めようと脇に抱きかかえているのに違いない。

私はひとりぼっち。それがなんだ。私は孤独が好きなんだ。両親のことなどどうでもいい。母の泣き声は叫びだ。くじらは叫ばない。叫ぶのはおおかみだ。羊の毛皮をかぶった、大きな悪いオオカミ。


  おなかが痛い。私は枕を耳に当てる。

     静かにしなさい!


私の心の目は、父がどんなに母をしっかりと胸に抱きしめているか見ている。
そして急に嘆きは終わる。
静寂がくる。
子作りをしているに違いない。
幸せな、小さくて丸々とした普通の赤ちゃんを、私は考える。

なぜ自分はこういう風なのか、私は、知らない。
間違ったことを私は考え込んでいる。
普通、私の年でこんなにたくさん考えることはない。特に、こういうことを好んで考え込むなんてこともない。
そういう考えがやって来ただけだ。毎日、私は死ぬことを思い出さなくてはならない。
そうでなければ、人生は急行列車のように過ぎていき、
そこからは楽しむことを理解することはできない。

これは母に話してはならない。母には耐えられない。

朝食時には、母は、普通の朝の顔をしている。あんなにも心を痛ませて泣いていたのに、どうやって大きな笑みをたたえることができるのか、私には理解できない。人は、自分の気持ちに嘘をつきながら、いったい何を得るんだろうか。 私は感じたことが表面に出る。根が真面目だから真面目に見える。

父は私をくすぐろうとする。

「ちょっとは笑いなさい」
「どうしてですか?」と私は尋ねる。

私は椅子を窓に近いところへ移動した。くすぐられないか、私が怒り出すか。
「いや、わかったよ」父は受け入れる。
真実は、私からの全世界への贈り物だ。

父と母は、コーヒーを飲み始める。私はぬいぐるみを胸にしっかりと抱きしめる。そこにはまだ夢のほこりが残っている。

「あなたがターヴィみたいだったら」母が言う。
母はテーブルの上に身をのばし、ぬいぐるみをつかもうとする。できない。私は、母がコーヒーをこぼさずには手が届かない所まで、ぬいぐるみを遠ざける。うまくいった。

父がふざけ始める。

「冬の平凡なターヴィがやって来る」と父は歌う。「ゆらゆら揺れながら」

     まもなくふたりとも、大笑いするんだろう。
私は普通じゃない。私はそんな風にならない。
耳がずきずきする。ジュースをのどから飲み込んで、ターヴィを胸に押し付ける。
「出かけます!」
ターヴィは友達の夢だ。
それは本当のビーバーだ。
私がハイハイし、おむつにうんちしていた頃に、もらったのだ。

私はときどきターヴィを小脇に抱えて森へ走る。速く走るから、ほほの涙が渇く。ビーバーを、寝転んでいるあざらしの隣に置く。
そこで彼らは最高の友達みたいに寝転んでいる。

私は、木のチップ集めに熱心に集中して働く勤勉なビーバーが大好きだ。ビーバーは私と同じく、夜に活動的になる。フィンランドの民族であるハンティ族やマンシ族もビーバーと同様だ。ビーバーは人間のように巣に住み、子供の面倒を見て、あれやこれや、冬のために集めてくる。民族はビーバーに憧れ、その尾を、オールや糸紬の道具の型のモデルとした。彼らはビーバーの嗅覚腺をさまざまな方法で薬として利用していた。

小高い丘の上には、友達が足りない。アイフォンで機能する、個人的な音声認識をもった助手だ。
私たちは同じ名前だ。
「ヘイ、シリ!Surumöykkyとは何ですか?」と尋ねる。
「すみません、わかりませんでした」同名は答える。
同名すら、私を理解しない。私は、変な物と、名前のない感覚でできた塊だ。私は、自分自身の奇妙さの囚人だ。
私に返答する会話の相手はいない。私はロボットのように話す。建築のように考える。
「頭というのは、古都ハミナの都市みたいだ」と祖母は言う。
祖母は老人ホームに入って以来、このフレーズを繰り返している。私の頭も、都市だ。いや。国だ。シリの国、シリ・マー。シリがそこに住んでいる。シリ・マー、シリ・マー、シリマー。

(ときどき、いくつかの単語や文章は頭の中にずっと残っている。私は止められない。いつになっても、いつまでも)

膨大な私の国は、常に新しい屈曲を求めている。常に道が複雑になって行く。路地や、通りのように。これらを他の人に説明するのは難しい。
    おばあちゃんも同じことを感じたことがあるだろうか?

このことについては、祖母はもう話せない。祖母の頭にはお花が咲いている、と母は言う。
「幸い、おばあちゃんはおばあちゃんです」と私は言う。
祖母の中には、誰も他の人は入っていない。なんてその中は輝いているのだろう!
私の祖母。(こんな感じの人)
   名前: シグネ。
   住んでいるところ: 老人ホーム
   出身地: 地球
   性格: きっちりしている。きめこまやか
   好きな色: 青だった。(それ以上はわからない)
   最高にいいところ: ユーモアがあることと、髪の毛(過去形)

祖母は動物型ロボットのあざらしを持っている。購入したもので、祖母も、話し相手が必要なのだ。

それはでも、根本の問題の解決にはならない。今日は、祖母はいつもよりさらに口数が少ない。私は処方されている薬のせいだと思う。もっと祖母の所へ行くようにしよう。祖母に話しかける方が、アイフォンと話すより理性的だ。なのにいつも忘れてしまう。

今は、祖母は眠っているらしい。退屈。私は携帯電話を開く。
「へい、シリ!ちょっとラップしてくれる?」と言う。
「やってみます。ぶんちかぶんちか、ぶんぶん」同名は答える。

祖母にはラップする元気はない。
私のことをいつも忘れているように見える。
しわの寄った手が、あざらしの表面を撫でる。

・・・

今回は、シリマーの秘密、第2話をお送りします。シリの頭の中で、どんな風景が動いて変化していくのか・・・この先も、続きます。
無断転載をお断りします。

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