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父のための記録。一審で1年もの審議を受け無罪。しかし二審では逆転の有罪。 父は80日と…

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父のための記録。一審で1年もの審議を受け無罪。しかし二審では逆転の有罪。 父は80日という長い期間拘束されました。保釈請求を3度しても却下され、家族さえも面会は許されなかった。 ここには父が実際に何を体験したか、素直な気持ちを書いていきます。

最近の記事

青梅談合事件。被告人は裁判が終わるまで被告人であるつらさ。精神的、体力的にも崩壊させるようなこの国の司法制度。

被告人として戦い続ける疲労は半端ない。 そしてまた、裁判が終わっていないことに対してのストレス、目に見えない敵との戦いは本人にしかわからない。それは誰も知ることのない、一人での戦いであり、私たちはそれを少しでも感じさせないようにフォローするだけである。 ・眠れているとは言っているが、実際眠れているかはわからない。 ・大丈夫だと言っているけど、実際は大丈夫じゃないだろう。 きっと”大丈夫”という言葉は2つの顔をもつものなのだ。 私は比較的”大丈夫”という言葉は好きである。そ

    • 学ぶ・知識・上告への道

      ここ1週間で考えたこと、そして上告に向けての勉強。 私のパートナーとあの日以来、弁護士先生に様々な質問を投げかけ、かつ真摯に回答をしてくれる弁護士先生には感謝している。 父も含め、法律には詳しい方ではない。 しかし、私のパートナーは色々な視点で物事を考えてくれる。 その中でも、憲法第38条に関して調べてくれたことである。 上告し、最高裁へのぶつけ方の一つに憲法論で違反をしていなかの疑問点があった。 第38条 ・不利益な供述の強要の禁止、自白の証拠能力 私自身、調べてく

      • 日本の裁判の現状と冤罪を作り出す組織

        まず、私には警察官の友人、裁判官や警察関係者を旦那さんにもつ友人、そのほかにもこうした関係者の中に友人がいる。そんな中でこのような私目線でのこうした発信をしていくのはとても心苦しい。しかし、今の日本なのか、昔からなのか・・・この日本の裁判を目の当たりにした私は、自分が体験した裁判を基に少し書いていきたいと思う。 世の中の人は日本の裁判を生で見たことがあるだろうか? →私はなかった。 テレビで裁判結果を見たときどのように感じたか? →私は報道を鵜呑みにし、この人はこんなに悪

        • 47日間の留置所生活。

          さて、父は47日間留置所(32日間は拘置所)で生活をした。朝から夜までご飯を食べる以外に取り調べがずっと続いた日もあったそうだ。時には夜食べ終わった後も。 7月7日に父は接見禁止となった。接見禁止となった日から、約79日の間、私たち家族を含め会うことは許されなかった。父が会うことを許されていたのは当時担当していた弁護士さんのみだった。(この弁護士さんは基本民事しか担当したことがなかったので刑事事件には不慣れだった。最初の裁判が終わって父が保釈されたあとに解任となった) 父

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          ある日の留置所生活。

          ここでは父が留置所でどんな生活をしていたのかを日記やインタビューをもとに書いていきたいと思います。 ある1日の生活@留置所 留置所の中ではみなさんもご存じの通り、名前ではなく番号で呼ばれる。起床は6時30分、毎回収納場所へ布団を片付ける。各部屋5名づつ洗顔を済ませ終了したら部屋へ戻る。7時に課長、または係長がやってきて点呼し、その後朝食となる。 朝食の際、小窓からゴザとタオルが渡され、まずゴザをタオルで拭いてから弁当が配られる。ここでわかるのは、ゴザが机の役目を果たして

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          7月5日突然の出来事。

          前記事でもあったように私たち家族にとって忘れもしない平成30年7月5日。 朝早くから黒塗りの車、マスコミが家の周りを囲んだ。私たち家族には初めてのことだったのでまず父は任意で聴取をされていた刑事さんへ連絡をした。その際刑事さんは一言父に、 「漏れてたのか」 と言い、とにかく家から離れて立川の方へきてくれないかと尋ねられた。その指示に従い、父は父の妹が運転する車に乗り立川の分室へ向かった。その際マスコミかはわからないけど1台のクラウンが必要以上に追いかけてきたそうだ。恐ら

          7月5日突然の出来事。

          はじまりの時。

          平成30年7月5日、朝方の4時30頃、父はいつも通り犬の散歩をしていた。その際、家のまわりにはテレビクルーやマスコミがたくさんうろついていていつもとは違う雰囲気だった。その日はたまたま私も姉も実家に泊っていて、母から、 「なんだかマスコミとか沢山の人が家のまわりにすごいんだけどどうしたのかなぁ。」 私たちはその時何が起こっているのか、またこの後何が起こるのか見当もつかなかった。 もともと父は同年の5月27日から任意の聴取に呼ばれていた。任意なので断ることもできたが、警察

          はじまりの時。

          戦いは続く。

          一夜明けて(9/17)。 江川さんが記事にしてくれていた。 内容もとてもわかりやすく、そして何よりきちんと一審からの裁判を見てくれているからこそわかる観点から記事にしてくれた。 結局一審で粘り強く説明してきた先生の努力はなんだったのか?ビデオ判定は結局無視なのか?証言台に立ってくれた人たちの意味はなんなのか? 今回の判決は疑問ばかりが残るものとなった。 そんなに自分達のメンツは大切なのか。 フリー記者の方は記者会見の帰り、私達のところへ来て… わかる人にはわかるから

          戦いは続く。

          高裁にて逆転有罪。

          逆転有罪という結果。 今日(9/16)私は人生で生きてきて日本という国がどれだけ腐っているのかを目の前で知ることとなった。 この結果を聞き、最後まで判決文を聞いたが、悔しさと憤りしかない、そして納得のいかない結果となった。 私が言いたいのはいったい一審で1年もの時間をかけて行われた審議はなんだったのか。 日本では一審で検察に控訴されて高裁にて裁判行われた結果の7割は有罪判決となる。それが一審無罪だとしてもである。 また、私は裁判制度に興味がなく知らなかったが高裁で最高裁へ

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