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僕と音楽泥棒が望んだもの——ヨルシカ3rdアルバム『盗作』レビュー


何かの発売日を待ち遠しく思ったのは、久しぶりだった。それは、小学生のような純真さで、おすわりをする飼い犬のような従順さで。あらゆるものの中止と延期が繰り返されて生活は干からびていた。渇望していた、何かを与えられること、期待すること、わくわくすること。これで、僕は満たされる。7月29日が来れば、ヨルシカの『盗作』が渇いた僕を潤してくれる。そう、思っていた。

7月29日はゆっくりと、それでいてあっという間に訪れた。全14曲、46分は長く、短い祭だった。でも、僕は全然満たされなかった。僕はひとつも潤いを感じることなく、渇いたままだった。なんでこんなにモヤモヤするのか、ぼくにはわからなかった。でも、音楽泥棒の男のことはわかるような気がしていた。僕は小説を読んでいない。だから、音楽泥棒の男のことは知らない。音楽泥棒のことは1ミリだってわかるはずないのに僕はあなたの理解者だって言いたくなってしまった。であるならば、音楽泥棒と僕は。    

同類なんじゃないか?

彼がどんな人間であるか、なんとなくその輪郭が見える。おぼろげだけれど確かにそこに存在していると感じる。楽曲に潜む感情がやけにリアルで、僕の心をぶちのめしてくるから。垣間見た彼の心は、僕の心のようで。彼の苦悩が僕の苦悩とリンクしていく。『盗作』が僕の叙事詩だと錯覚してしまうほどに。だって、僕だって、言葉を、美しいものを、夜を、なによりも「愛」を渇望している。誰かに見つけてほしい、僕は唯一無二だってこと。証明してほしい、僕は世界でひとりだけのかけがえのない存在であること。認めて欲しいんだ、僕が僕のままでいること。世界中の人に。どんな形だっていいんだ、なんでもいい、僕がここで息をしていることに気づいて、気にかけてくれたら。

音楽泥棒の男には、音楽を盗む才能があった。とても羨ましい。それで、誰かの目に止まることができたんだから。たった少しでも、誰かの記憶の片隅に存在できたんだ。でも、それでは足りなかったんだろう。とても哀れでかわいそうだ。そして、絶望的だ。

僕には何ひとつそんなものはない。人より少しだけ文章を書くのが嫌いじゃなくて、退屈な人生を楽しむコツを知っているだけだ。でも、そんなものは気休めにもならない。この世に埋もれることが前提の知恵袋だからだ。知恵袋ごときの才能しかなくて、もちろん器量なんかなくて、どうやって生き残れるんだろう。音楽を盗む才能は確かにこの世に生き残っているはずなのに、それでは満たされないんだ。そうだとしたら、僕らは。

もともと渇いた存在だったんだ

渇いて、干からびて、乾いたからなんだ。飢えて、餓えて、人でないものになっていく。誰からも理解されないのはきっと、そういうことなんだ。僕らは、満たされることなんてないのだ。僕らの価値観はそういうものなんだ。その価値観でさえ、どこかで見た何かの寄せ集めでしかない。モヤモヤして満たされなかったのはそういいうことか。

なんて絶望的な朝だ、僕はもう『盗作』のレビューを書き上げようとしている。これから、僕よりもおもしろくて、魅力的で、うまいレビューはたくさん生み出されるんだろう。いろんな人のレビューを読んで「盗作」できたらよかったのに。僕にはそんな文才さえないのだ。


せめてつまらないものでありますように。

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