見出し画像

「魔校舎の怪」前編

あらすじ
「全身が黒い布で覆われた大男の顔を見てしまうと魂を奪われる」という噂がある。小学五年生の夏野真弘は転校生の小林悟から旧校舎で噂の大男を見たという話を聞く。本当かどうか確かめるため、真弘は友達の白鳥陽介と共に旧校舎に向かうことになる。

 全身が黒い布で覆われた大男の顔を見てしまうと魂を奪われる。
 このような噂が、夏野真弘の通う小学校で流行っていた。

 放課後、夕日が差し込む教室。真弘は、幼馴染で親友の白鳥陽介と一緒に、明日なにをして遊ぶかを話し合っていた。
「公園でのかくれんぼも、川での釣りも飽きたしなぁ。マヒロ、なんか面白いこと知らね?」
 陽介は机の上に座り、足をブラブラさせる。つり上がった目は、教室の天井に向けられていた。
「家で、ゲームをして、過ごすとか」
 黒いパーカーのフードの紐をいじりながら、真弘はボソボソと呟いた。
「インドアすぎんだろ。やっぱ外で遊ばねぇと」
 教室の窓の外で、ドヴォルザークの『家路』のメロディとカラスの鳴き声が混じり合う。
「もう、帰らないと。おれの家、門限厳しいから」
「そうだなー。うちも姉ちゃん怒らせると怖いし」
 二人はランドセルを背負い、教室を出ようとした。
「ねぇ、君たち」
 後ろから急に声がして、ビクッと肩が跳ね上がった。
 振り向くと、少し髪の長い、メガネをかけた男の子が、オレンジ色の光に照らされて立っていた。猫背で、ほっそりと痩せた体は、今にも折れてしまいそうだ。
「さ、サトルぅ。ビビらせんなよ。つーか、どこに隠れていたんだよ」
「ずっと席で本を読んでいたんだけど」
 サトルと呼ばれた少年はメガネをクイっと上げる。脇には『世界のオカルト図鑑』と書かれた本が抱えられていた。
「マジ? ぜんっぜん気づかなかった。お前、存在感なさすぎなんだよ」
 小林悟は転校生だった。半年前、真弘のクラスである五年一組に転校してきた、オカルトが趣味の変なやつだ。席は最後列の窓側。休憩時間はずっとオカルト系の本を読んでいる。自分から話しかけることは滅多になく、ろくな返事もしないので、クラスメイトからは距離を置かれていた。
「で、俺たちに何か用?」
「君たち、明日ひまなんでしょ? 面白いところあるんだけど、行かない?」
「面白いところって、どこだよ?」
 陽介は腕を組みながら、足を軽く踏み鳴らした。
「全身が黒い布で覆われた大男の話、知ってるよね」
「ああ、あの都市伝説みたいなやつ?」
「あの噂、本当かも知れないよ」
 悟はニヤリと笑みを浮かべる。
「本当って、どういうこと?」
 真弘は眉をひそめた。
「昨日、旧校舎の前を通ったとき、変な視線を感じたんだ。なんとなく校舎の窓を見たら、全身が黒い布で覆われたやつが、僕をじーっと見ていたんだよ」
 旧校舎とは、町外れにある今は使われなくなった小学校の校舎のことだ。二十年前に廃校となった後、そのまま放置されて廃墟と化している。
「……それって誰かのイタズラじゃないの?」
「僕も最初はそう思っていたさ。でもそいつを見ていると、急に体が動かなくなってしまって……金縛りってやつ? ちょっとしたら体が動くようになってたんだけど、気づいたらそいつの姿はなかったんだよ」
 悟は声を少し低くして、語りかけるように話した。
「それ、絶対サトルの作り話だろ?」
 陽介は腕を組んだまま、こわばった表情を浮かべる。
「作り話じゃないよ。本当だよ!」
 悟が片手で机を叩き、大声を出した。
「そ、そんなに怒るなよ。というか、本当に見たのなら、なんで魂抜かれてないんだよ?」
 陽介の眉が八の字になる。
「うーん。それは僕が見たのが布で覆われた姿だったからじゃないかな? きっと、布の下にある素顔を見たら死んでしまうんだよ。どんな顔なのかなぁ。もしかしたら顔がなかったりして」
「か、顔がないとか、そんなの絶対あり得ないし」
 陽介が後ずさる。顔には冷や汗をかいていた。
 その反応を見た悟が、ぬるりと陽介に顔を近づけていく。
「あれ? 白鳥くん、もしかして怖いの?」
「こ、こわくねーよ! 俺はそーいうの信じない派なの!」
 陽介は少し涙目になり、声を震わせた。
「まぁ、無理にとは言わないけど。もし行かなかったら、君は臆病だって広めてあげるよ」
 口に手を当てクスクスと悟は笑った。
「てめぇっ!」
 陽介は拳を振り上げる。
「暴力は、ダメ」
 振り下ろされた陽介の腕を、真弘は両手で必死に押さえつけた。
 その様子を見た悟はニヤニヤ笑っている。
「で、行くの? 行かないの?」
 陽介はフーッとため息をつき、鋭い目つきで悟を睨みつけた。
「よぉし、そこまで言うのなら明日確かめに行こうぜ。なにもなかったらお菓子とジュースおごれよな!」
 陽介は啖呵を切る。威勢は良かったが、悟に向けられた人差し指はプルプルと震えていた。
「うん、いいよ。あ、夏野くんも一緒に来てよね。証人は多い方がいいから」
 悟が真弘の手を強く握った。温もりのない、ヒンヤリとした感覚。ゾクリとした。
「マヒロ、お願いだ。一緒に来てくれ」
 陽介は訴えるような目で真弘を見つめた。
「わかった……おれも行く」
「よっしゃー!」
 陽介は屈託のない笑顔でサムズアップをした。
「おい、お前たち」
「げっ、センセー」
 教室の外に、クラス担任の佐藤先生が眉間にシワを寄せながら立っていた。
「夏野、白鳥。いつまでいるんだ。もうすぐ暗くなる。親御さんたちが心配するから早く帰りなさい」
「は、はーい」
 真弘と陽介は口を揃えて返事をした。
「あと、明日は休みだけど、子供たちだけで変なところには行かないこと。最近物騒な事件も多いからな、気をつけるんだぞ。わかったか?」
「わ、わかってるって先生。ほら、マヒロ、サトル。早く帰ろうぜ!」
 陽介はランドセルのカブセをバタつかせながら、階段に向かって走り出した。
「あ、陽介……待ってよ」
 真弘も急いで陽介の後を追う。
「こらっ、廊下を走るな!」
 下駄箱に到着したとき、コロンとなにかが落ちたような音がした。同時に悟が「あっ!」と声を出した。
「それ……なに?」
 悟が拾い上げたものは、赤い宝石のようなものだった。宝石といっても形は歪であり、破片のようでもあった。
 手のひらに乗せた破片を、悟はニタニタしながらじっと見つめている。
「旧校舎の横にある雑木林で拾ったんだ」
 悟はそう呟くと、赤い破片をズボンのポケットにねじ込んだ。
「おーい、なにやってんだ。早く帰るぞー」
 校庭から陽介の大声が聞こえてくる。それを聞いた悟は無言でスニーカーに履き替え、走り出した。
「夏野くんもはやくおいでよ」
 悟はゆっくりと振り向いた。
「あ、うん。えっ?」
 メガネのレンズを通した悟の目が、真っ黒になっていた。白い部分はなく、全てが黒かった。
 真弘は全身が固まり、言葉を失った。
「どうしたの?」
「ひっ」
 いつの間にか、目の前に悟の顔面があった。
「え、あ……」
 悟の目は、元に戻っていた。
「気のせい?」
「今の夏野くんの表情、面白かったよ」
 悟は真顔で呟いた。
「そういや、真弘くんの家って神社なんだよね」
「え、うん」
 真弘の家は地元に古くからある神社だった。父は宮司で、兄があとを継ぐことになっている。悟には一度も話したことはないのに、なんで知っているのだろう。疑問が真弘の頭の中を渦巻いた。
「視えるの?」
「いや、おれには霊感はない」
「じゃあ、お祓いとか無理だよね」
「う、うん。そんなのできない。お父さんもできるかどうか知らない」
「そっかぁ」
 悟はズレたメガネを直しながら、頬を緩めた。
「そうだ、これ渡しておくね」
 真弘は薄汚れた紙切れを受け取る。紙には電話番号が書かれていた。
「それ、僕の携帯の番号。何かあったら電話して」
「あ、うん」
「明日はお昼の一時に公園で待ち合わせでいいかな」
「い、いいよ」
「じゃあ明日。絶対来てよね。絶対だよ」
 悟はそそくさと校門へ走っていった。
「おーい、マヒロ。サトルとなに話してたんだ?」
 頭の後ろで手を組んだ陽介が近づいてきた。
「明日、一時に公園で待ち合わせだって」
「けっ、勝手に決めやがって」
 陽介は悪い目つきで、校門の方に目をやった。
 悟の姿は、既になかった。
「ま、いいか。ん? どうしたマヒロ」
 真弘はうつむき、震えていた。胃がキリキリ痛む。さっき見せた悟の異様な目が、脳裏に焼きついて離れてくれない。
「具合でも悪いのか?」
 陽介は赤茶色の髪の毛を触りながら、顔をしかめた。
「いや、大丈夫。帰ろう」
 真弘は陽介の手をぎゅっと握りしめ、校門を出た。

 辺りはすでに薄暗くなってきており、街灯がポツポツと点灯し始めた。しばらく二人で歩いていると、陽介の家の前に赤みがかったロングヘアーの女の人が立っているのが見えた。
「げ、ねーちゃんだ」
 女の人が近づいてくる。陽介のお姉さんである白鳥美咲だった。背が高くて、スタイルがいい。陽介と髪の色がそっくりで、姉弟だということがよく分かる。
「ちょっと陽介、帰り遅すぎ! こんな時間まで何やってたの!」
「いや、ちょっと色々あって」
 とげとげしい声に、陽介の顔がひきつっている。
「真弘くんも、はやく帰らないと。お父さんとお母さんが心配してるよ?」
 美咲は真弘に目線を合わせるべく、しゃがみこみ、陽介に対する声とは真逆の優しい声で話しかけた。地元中学の制服からは甘く、いい香りがする。
 真弘は何故か緊張して声を出せず、ウンウンとうなずくことしかできなかった。
「じゃあな、明日遅れんなよ。ばいばーい!」
 陽介が、美咲に手を引っ張られながら家の中に入っていった。真弘はその光景をぼんやりと眺めていた。香水の香りが脳内から離れてくれない。
「あっ」
 ふと我に返った真弘は、駆け足で陽介の家から離れた。
 人気のない薄暗い道を一人で歩いていると、急に悟が持っていた赤い破片のことを思い出した。あの不気味な輝きが、真弘の脳裏を駆け巡る。
 急に背後から視線を感じた。
 真弘は立ち止まり、そろりと振り返る。
 誰もいない。
 切れかけの街灯と心臓の鼓動がシンクロした。
 怖くなった真弘は早足で歩いた。ゆるやかな坂道を進んでいくと、鳥居が見えた。
「やっと着いた」
 真弘はホッと胸を撫で下ろした。石段を一歩一歩登る。
 鳥居をくぐり抜けたとき、再び背後から視線を感じた。
 真弘は、サッと振り返る。
「何、あれ」
 黒いヒトガタの何かが、ゆらゆらと蠢いていた。それを見た真弘は全身に鳥肌が立った。
 黒いそれはその場から動かず、不規則に揺れている。次第にそれは、地面に溶けるように消えていった。
「おーい、真弘。どうしたんだ? はやくうちに入れよ。飯、できてるぞ」
 声がした方を見ると、黒いツンツン頭の少年が、両手をジャージのポケットに入れて立っていた。
「にいちゃん……」
 真弘は走り、兄の服の裾をギュウっと掴んだ。
「おい、どうしたんだよ。泣いているのか?」
「うう、うぅっ」
 頭を兄の服に押し込める。
「分かった分かった」
 真弘は兄に手を繋いでもらい、家の中に入っていった。

 その夜、真弘は夢を見た。真っ暗な空間で、ずっと走っている夢。走っても走っても、ずっと同じ景色。
 足を何かに掴まれ、倒れた。耳元で声が囁かれる。
『ハヤク、イッショニ』
 真弘は布団を投げ飛ばし、飛び起きた。パジャマがぐっしょり濡れている。はぁはぁと、荒い息を上げる。身を縮こませ、周りを見渡す。自分の部屋だった。
「変な、夢」
 部屋の窓を開け、外を眺める。ヒヤリとした風が頬をかすめた。月明かりに照らされた境内は静寂に包まれていた。
 深呼吸した真弘は窓を閉め、布団に頭から潜り込んだ。

 すっきりとした秋晴れの昼下がり。
 真弘は黒いパーカーのフードを深々とかぶり、小さな公園のベンチに座っていた。公園内はそれなりに賑わっていた。甲高い声をあげて砂場を走り回る子供たち。談笑するママ友。いつもの、変わらない風景だった。
「もう、三分前」
 真弘はスマホを確認した後、大きな欠伸をした。
「うおーっ」
 陽介が自転車を立ちながら漕ぎ、公園内に侵入してきた。
「やべー、ギリギリセーフ!」
 錆びたブレーキ音を響かせ、陽介は自転車から飛び降りた。赤い半袖Tシャツと黒いカーゴショートパンツが汗で湿っている。
「あれっ? サトルのやつ、まだきてねーの?」
 陽介は首に巻いたスポーツタオルで汗を拭きながら、周りをキョロキョロした。
「うん、まだ」
「なんだよ、アイツが待ち合わせ時間とか決めたのに、遅刻かよ。来たらからかってやろうぜ」
 陽介は二ヒヒと悪い笑みを浮かべた。
 時間の経過とともに、灰色の雲が増える。親子連れで賑わっていた公園内も、いつの間にか静かになっていった。
 三十分以上待っても、悟は現れなかった。
「遅すぎ!」
「なにか……あったのかな?」
 単に寝坊をしたのか、急に体調を崩したのか。はたまた身内に不幸があったのか。原因はいくつか考えられる。
「もうサトルに電話しようぜ……って俺、あいつの番号知らないんだったー!」
「……さっきから何度も電話してる。でも、繋がらない」
「携帯に繋がらないなら家に電話したらよくね?」
「いや……家の番号はわからない」
「そういや俺、あいつの家がどこにあるかも知らないわ」
 悟がどこに住んでいるのかは知らなかった。自分から口にすることもなかったし、転校前に住んでいた場所も聞いた記憶はない。
「あ〜もう、サトルなんか知らねー。俺たちだけで遊んで帰ろうぜ」
 陽介はビニール袋を開き、大量のお菓子を取り出した。うまい棒に、よっちゃんイカ。様々な駄菓子がベンチの上に並べられる。
「ふーっ、マヒロはなに持ってきたの?」
 陽介はココアシガレットを指に挟み、タバコを吸うような仕草をする。
「えぇと……懐中電灯とか絆創膏とか」
「準備いいな」
「陽介は、準備しなさすぎ」
 真弘がショルダーバッグの口を開いた瞬間、中から小さいものが、すごい速さで飛び出してきた。
「うわっ!」
 飛び出してきたのは一匹のリスだった。
 リスはすばしっこくベンチの周りを駆け回った後、真弘と陽介の間に陣取った。
「このリス、おでこにキズがある! カッケー!」
「クルミ……なんでここにいるの?」
 額にバッテンのあるリスの名前はクルミ。真弘の家がある神社の境内に、昔から棲みついているリスだった。見かけたら良いことが起こると、一部の参拝客の間では噂になっている。クルミという名前は真弘の兄がつけたもので、毛の色が胡桃っぽいからクルミという、単純な理由だった。
 クルミは滅多に人前には姿を見せない。だが、真弘の部屋にはよく入ってきていた。その度、こっそりとかぼちゃの種を食べさせていた。
 昨日も帰ると部屋の中にいて、かぼちゃの種を食べさせた。夕飯の後に部屋に戻ると姿を消していたので、窓から出ていったのだと思っていたが、ショルダーバッグに潜んでいたようだった。
「おいでー! こっちこっち!」
 陽介は目をキラキラさせ、クルミを手に乗せようと両手を差し出す。しかし、クルミは見向きもせず、ベンチから飛び降り公園内を駆け出した。
 真弘はペットボトルの水を飲みながら、陽介がクルミに翻弄されている様子を眺めていた。
 そのとき、急に着信音が鳴った。
 画面には小林悟の文字が表示されている。真弘はわずかに震える指で応答ボタンをタップし、電話に出た。
「もしもし……悟?」
 ザザ……という耳ざわりなノイズ音が耳の中に広がる。電波が悪いのだろうか。耳を澄ませていると、ノイズの音が次第に消え、悟の声が聞こえてきた。
『旧校舎で待ってる』
 その一言が聞こえた後、再びノイズの波が押し寄せてきた。
「誰から?」
 頭にクルミを乗せた陽介が、服についた砂埃を払いながら近づいてきた。
「悟から。あまり聞こえなかったけど、旧校舎で待ってるって……」
「はぁっ!?」
 不機嫌そうな声を出した陽介はスマホを奪い取った。
「おいサトル! 公園で待ち合わせって言ったのお前だろ! なんでお前だけ先に行ってんだよ、ふざけんなよ!」
 陽介は怒鳴り声をあげた後、しばらくスマホを耳にあてたまま動かなかった。
「……切れた」
 陽介はいぶかしげな表情を浮かべる。
「ちょっと掛け直してよ」
 何度かリダイヤルをしたが、『おかけになった電話は電波の届かない〜』という機械的な音声しか流れてこなかった。
「くっそアイツ、俺たちをバカにしてんのかよ」
「……どうする? 行く?」
「当たり前だろ、会って殴らないと俺の気がすまねえ」
「……暴力はダメ」
 真弘たちは旧校舎に向かうため、自転車に跨った。
「そういやコイツどうすんの?」
 陽介は頭の上で毛づくろいをしているクルミを指さす。
「一旦連れて帰ろう。連れて行って迷子にでもなったら、大変」
 真弘は手を伸ばした。その瞬間、クルミはフサフサの尻尾をギザギザに変化させ、「グウウー」という鳴き声を発する。
 困った表情をしていると、クルミは陽介の頭の上から飛び降り、真弘のパーカーのカンガルーポケットに潜り込んだ。
「そいつ、一緒に行きたいんじゃね?」
「そうなの……? 一緒に行きたいの?」
 クルミはポケットから飛び出し、真弘の顔に頭を押し付け、こすってきた。
「くすぐったい……」
「連れていってやろうぜ」
 陽介の眉尻が上がる。
「うん、分かった。行こうクルミ。はぐれないでね」
「マヒロもはぐれんなよー」
 自転車のペダルに足を乗せた陽介は、勢いよく公園を飛び出した。
「あ、待ってよ」
 真弘はクルミをパーカーのポケットに入れ、陽介の後を追う。
 見上げると、空は灰色の雲で覆われていた。

 町の中心部を外れ、山道に入った。途端に家の数は少なくなり、代わりに木々が多く見られるようになる。
「なぁ、マヒロ。マジでこの道で合ってるの?」
 上り坂の連続で息を切らせた陽介が言う。アプリのマップ表示では道は合っているが、こんなに遠いとは予想外だった。小学生の体力では、正直厳しい。
 ブオオッと大きな音が耳を横切る。
 一台の大型バイクが、真弘たちの横を颯爽と駆け抜けていった。
「カッケェなぁ。バイクに乗れたら、こんな、坂あっという間、なんだけどな」
 陽介は去り行くバイクの後ろ姿を見つめながら呟いた。
「ドラゴンになれば、翼で、あっという間」
「そんな、ファンタジーなこと、起こるかよ。ゲームのやりすぎ」
「……冗談」
「十六になったら一緒にバイクの免許取ろうぜ。そんでツーリングに行こうぜ」
「うん。一緒に走りに行こう」

 坂が終わり、なだらかな道を十分ほど進む。するとガードレール下の谷間に、朽ち果てた建物が見えてきた。屋根には穴がいくつも空いており、窓ガラスはほとんど割れているようだった。
「おっ、多分あれだな。どこから降りるんだろ」
「あそこから行けるみたい」
 ガードレールが途切れた箇所を真弘が指差す。文字が消え、矢印だけがうっすら残った木製の看板の先に、なだらかな土の斜面が見えた。
「よし、行くか」
 自転車を道端に止め、二人は斜面を下っていった。
 谷間の地面には落ち葉が散乱し、周囲の木々は風で揺れていた。ザーっという強めの風が耳を抜ける。その音は不気味な声のようにも聞こえた。
「ちょっと、待って」
 真弘は虫除けスプレーを全身に振りまいた。
「相変わらずだなー」
 陽介は少し呆れた表情で呟いた。
「嫌いなものは、嫌い」
 真弘は虫が大の苦手だった。幼稚園の頃、陽介がふざけてカブトムシを真弘の服に入れた際、周りがドン引きするほど暴れ回った過去がある。
 しばらく歩くと、石造りの柱が見えた。道の右端と左端に設置されたその柱には何か文字が彫られていて、かろうじて『小学校』とだけ読めた。おそらく校門だろう。それを通過したとき、空気が変わった気がした。
 急に陽介が転んだ。
「いってー!」
 陽介の膝の皮がめくれていた。
「大丈夫? 血が出てる」
「これぐらいヘーキだって」
 陽介はニカっと笑った。
「念の為。あげる」
 真弘はバッグから絆創膏を取り出し、陽介に手渡した。
「サンキュー。つーか、誰かに足を掴まれた気がしたんだけど、気のせいかな?」
 陽介は絆創膏を貼り終えるとケロッとした顔をして、先を進んだ。
 ふと、陽介が転んだ地面を見ると、黒い水たまりのようなものがあった。しかし、それはすぐに消え、茶色い土へと戻っていた。
 落ち葉を踏みしめながら歩いていると、目の前に旧校舎が姿を現した。荒れ方は想像以上で、校舎の周辺は真弘たちの背丈以上の雑草で覆われている。ひっそりと佇む校舎を見ていると、ザワザワと心が騒いだ。
「おーい、サトルー! どこにいるんだー?」
 陽介が叫ぶ。
 しかし、何度呼んでも返事はなかった。
「中にいるのか?」
 陽介は入口らしき場所の扉を開けようとした。しかし、押しても引いてもビクリともしなかった。最終的に扉を殴っていたが、力を入れすぎてしまったようで、拳を押さえうずくまっていた。
「ねえ、もう……帰ろうよ。ここ、すごく嫌な感じがする……」
「うーん、ぐるっと回って見つからなかったら帰るか。あー、むかつく!」
 二人は校舎の外周を右回りに歩いた。雑草をかき分け進んでいると、『お手洗い』と書かれた木の札がかけられた小屋が見えてきた。その小屋は校舎と渡り廊下で繋がっているようだった。
 陽介の様子がおかしい事に気づいたのはそのときだった。落ち着きなく、体を小刻みに震わせている。口をつむり、額からは汗が流れていた。
「ま、まひろぉ……」
「ど、どうしたの?」
「しょんべんしたくなった。もう我慢できない……」
 陽介は猛ダッシュで小屋へ向かったが、どうやっても扉を開けることはできず、小屋の陰で用を足していた。
 真弘はスマホを取り出し、画面を覗く。アンテナは一本だけ立っている。新しい着信履歴はない。
 真弘はスマホをポケットに入れ、ぼんやりと校舎を見上げた。
「ひっ」
 校舎の二階の壊れた窓には蜘蛛の巣がびっしり張り付いていた。肉眼でも見えるほどの大きな蜘蛛がうじゃうじゃと動き回っていた。
 青ざめた真弘はすぐに校舎の一階に視線をおとす。
「えっ?」
 廊下に誰かが立っていた。
「悟?」
 後ろ姿だったが、見覚えのある髪型と体型だったので、それが悟だとすぐに分かった。
「悟、いたんだ」
 真弘が校舎に近づこうとした瞬間、悟は背を向けたまま走り出し、教室の中に姿を消した。
 同時に、クルミがパーカーのポケットから飛び出し、悟の後を追うように、軽い身のこなしで窓から校舎の中へと入っていった。
 一瞬の出来事に、真弘は呆然と立ち尽くしていた。
 トントンと、真弘は誰かに肩を叩かれる感覚を覚えた。
「陽介?」
 振り向くと、小屋の影から出てくる陽介の姿が見えた。
「えっ?」
「おーい、お待たせ〜」
 陽介がスッキリとした表情で走ってきた。
「あれっ? あれっ?」
 真弘は周りをキョロキョロする。
「ん、どうした? 真弘もションベンか?」
「あ、いや。校舎に悟がいた。教室の中に入っていって、クルミが追いかけていった」
 真弘は浮かない顔でパーカーの紐をいじる。
「マジで? あんにゃろ。早く追いかけようぜ」
 二人は放置されていた木箱を踏み台にして、割れた窓から校舎内へとなだれ込んだ。

★後編はこちら

#創作大賞2024 #ホラー小説部門

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?