私がツイッターをやらない理由
情報拡散スピードが早く、クリエイターならやった方が良いとされるツイッター。ライターだったら書いた記事をシェアできるし、知名度アップにも繋がる。
実際にツイッターの拡散力をいかして、成功しているライターの方々もたくさんいる。その様子を見て「すごいな」と純粋に思う。
だが、私はツイッターはやらない。インスタやフェイスブックも今は全く更新していない。
そこで、なぜ私がツイッターをやらないかを以下にまとめてみた。
1.記事の主役は私ではない
私がライターを志したのは「魅力ある人や物事などを紹介して、その情報を必要としている人たちに届けたい」と思ったからだ。記事を読んだ人たちの心が一瞬でも温まればいいな、と思って執筆を続けている。同時に紹介した人や物事がより輝きを増し、発展することを願っている。
要は読み手はもちろん、紹介した人の心の灯火になるような記事を書きたいのだ。
あくまで私は記事の書き手であり、主役ではない。言うまでもなく、主役は記事で紹介している人や物事、場所である。それらの魅力を掘り下げて、わかりやすく紹介したいのだ。
だが、ツイッターで「この記事を執筆しました」とツイートしてしまうと、そこに「私」というunknown writerの自己顕示欲のようなものが、どうしても入ってしまう。それがたまらなく嫌だ。
私という媒介を通して、記事を執筆していることは間違いないのだが、いかに読み手に書き手の「私」を感じさせないかも大事なのではないかと思う。
それが私のスタンスなので、ツイッターはやらない。やる予定もない。
時代に逆行している? 確かにそうかもしれない。しかし、それでいいと思っている。私はライターであり、芸能人やYoutuber、インフルエンサーではないのだから。
2.尊敬している書き手はSNSを一切やっていない
私が尊敬する作家たちがSNSを一切やっていないのも理由のひとつだ。
見知らぬ誰かが言っていた。
「憧れの存在には自分がなりたい要素が含まれている」と・・・。
私は割とこの言葉を信じていて、尊敬する書き手たちがSNSに対してどのようなスタンスをとっているかを重視している。
それが、その人たちに近づく(仕事の内容という意味で)ための最短ルートだと思っているからだ。
業界の中では超有名人でもSNSを一切やっていない書き手は、意外とたくさんいる。著名だが顔写真をほとんどネットに公開していない人たちも多い。
ネット上で有名な書き手だけが全てではないのだ。
3.感情的になって変なツイートをする危険性がある
人間は完璧ではない。ときに感情的になって誤爆とも言えるツイートをしてしまうことがある。インスタグラムは画像をアップロードするまでに一手間がかかるし、フェイスブックはリアルの知り合いしか友達になっていないのもあり、さまざまな人たちへの忖度が働き、たとえ感情的になっても、誤爆するようなことはほとんどない。
アップする前に「冷静になれる時間」があるのだ。(それでも誤爆する人はいるけど)
だが、ツイッターは違う。文字を入力すれば簡単にツイートできてしまうため、わき上がる感情を抑えきれず、ツイートしてしまう危険性が高い。
私は怒ることもあるし、イライラが止まらない日もある、完璧とは程遠い人間なので、ツイッターをやって「良いことはないだろう」と思っている。
4.愚痴やネガティブな投稿が多い
ツイッターは登録していなくても、どんなツイートがあるのか見ることは可能だ。たまにツイッターでニュース情報などを検索すると、そこがネガティブなコメントで溢れていたりする。
匿名アカウントを愚痴専門にしている人も多いようで、見たくもない他人の愚痴投稿を見かけることも多い。
突然だが、TVで「●●は素晴らしい」という内容のCMを100回見たとしよう。何気なくぼーっと見ているだけでのCM。だが、いつの間にか「●●は素晴らしい」と脳にインプットされていることがないだろうか?
それこそがCMの宣伝効果であるが、ネットにも同じことが言えると思う。
愚痴や批判といったネガティブな投稿ばかりを目にしていると、いつの間にか自分もネガティブな人間になってしまう危険性があるのだ。
「批判人間や愚痴生産工場になりたくない」
それも私がツイッターをやらない理由のひとつである。
グダグダとツイッターをやらない理由を書いてしまったが、SNSに翻弄され、自己顕示欲が肥大化し、冷静な判断力を失うことは、ライターとして致命的だと思っている。
この先も可能な限り、物事をフラットな視点から見て、紹介した人や物事、場所の魅力がわかりやすく伝わる文章を書いていきたい。
生きていく中で疑問に感じたことをあらゆる角度から掘り下げて考察していこうと思います。独女の語る駄文。