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連載小説『エフェメラル』#8

第8話  意味と価値


 軌道エレベーターの出発から2時間以上が過ぎた。宇宙と地球との間に明確な境界線はなく、エレベーターは乗車している誰にも気づかれることなく地球の空に入り込んでいた。

――あと40分で地球駅に到着します。

 エマの船の寝室でうたた寝をしていたユーヒは、車内アナウンスの声で目を覚ました。寝室からリビングへと向かう。リビングでは、エマとレニーがコーヒーを飲んでいた。

「おはよう、エマ。もうすぐ着くんだって?」

「ああ。お前が寝てる間に、もう大気圏に入ってるぞ」

「そうか。ウトウトしてて、全然気がつかなかった」

「まあ、起きていてもいつ大気圏に入ったのかなんて分かんなかったけどな。コーヒー飲むか?」

「うん」

 エマはリビングに併設されているキッチンに入り、電動のミルでコーヒー豆を挽く。コーヒーの香ばしい匂いがリビングに流れる。ユーヒは目をこすり、手櫛で亜麻色の髪を整えながら3人掛けのソファーに座った。同じソファーに座っていたレニーがユーヒに話しかける。

「ユーヒさん、よく眠れましたか?」

 レニーの顔は軍人然としていかつかったが、体全体から発せられる柔らかな雰囲気から、ユーヒはレニーに対して威圧感を全く感じていなかった。

「はい。おかげさまで。レニーさんはどうですか? エマと話しましたか?」

「ええ。たくさん話しました。エマさんのお話は、どれも含蓄があって興味深い」

「はあ。含蓄、ですか。エマは私にそんな話をしてくれたことないんじゃないかな?」

 コーヒーを淹れたカップを持ったエマがリビングに戻ってきて、ユーヒの前にカップを置く。

「含蓄だなんて、そんなたいそうな話はしてないぞ。レニーがからかっているだけだ」

 ソファーに座ったエマは赤毛の髪をかき上げて言う。コーヒーを飲みながら二人のやり取りを見ていたユーヒは、エマがレニーを扱いにくそうにしている様子を可笑しく思った。

「エマ、ずいぶんレニーさんと気が合うじゃない」

「ユーヒ、大人をからかうな。会って間もないんだ。気が合うかどうかなんてわかりゃしない」

「そうかな? 私はエマと初めて話したときに、気が合いそうだって思ったよ」

「それは結果論だ。あたしは何度お前を船の外に追い出してやろうと思ったか。まあ、今ではお前のお喋りにもずいぶん慣れてしまったけどな」

「でしょう。もう、私のお喋りなしでは生きていけない体になってしまったようね、エマは」

「そうだな。じゃあ、もうそろそろ黙ってくれ」

「はい。すいません。あ、そういえばリンはどこに行ったの?」

「さあ。この船のどこかにはいることは確かだが。戻ってきてからのあいつは、これまで以上に無口になっちまったからな。近くにいても、気が付かないのかもしれん。ラジャンはずっと寝室で寝てるよ」

 ユーヒはカップに残っていたコーヒーを飲み干すと、ソファーから立ち上がってリビングを見渡すが、リンを見つけることができなかった。

「リンならおそらく、荷室にいると思いますよ」

 ユーヒに向かってレニーが言う。レニーの発言にエマが疑問を呈す。

「どうして居場所がわかるんだ?」

「味方の位置を把握することは、戦闘の基本ですからね」

「分かった。ちょっと行ってみる」

 そう言ってユーヒはリビングを出て行った。ユーヒが見えなくなるのを確認してエマがレニーに言う。

「レニー、リンの居場所なんて、適当に言ったんだろ?」

「いえ、勘ですよ。勘は良い方ですので、あながち間違いではないでしょう。では、話の続きを」

 エマはレニーの正面に座り直す。

「えっと、どこまでだったかな。リンの行動が怪しいって話だっけ?」

 エマはユーヒが来る前に話していた内容をレニーに確認する。

「さっきも言いましたが、あくまで仮説の段階です。今、その裏を取るために月でジルが調査をしています。こちらの杞憂であると思いたいですが、状況証拠はそれを許さないようです」

「でも、あたしはリンと長い時間一緒にいたけど、ユーヒを守るっていうことに関して、あいつの行動は一貫していたと思うけど」

「はい。しかし、ユーヒさんが検査中に襲われたあの事件を調査して分かったことがいくつかあります。最初の爆発が起こったとき、エマさんも現場にいたからお分かりかと思いますが、あのとき、リンの所在が不明だった。本来であれば、ジルがリンの所在を把握していなければならないのですが、ジルはユーヒさんの検査のために検査室にずっと入っていました。なので、リンの行動に空白が生じています」

 エマは当時の事を思い出す。確かに、あのときリンは施設にいる知り合いに会いに行くとかでエマたちと行動を別にしていた。爆発が起こったのはそのときだ。

「確かにな。でも、あたしとジルが検査室に向かった時、ラジャンに撃たれそうになったユーヒを助けたのはリンだ。それはあたしたちも現場で目撃している」

「そのとおりです。ジルから報告を受けています。ただ、それまで居場所が分からなかったリンが、爆発から僅かな時間でユーヒさんを助けに来たことに疑問を感じませんでしたか?」

「確かに、タイミングがあまりにも良すぎる気もするな。リンがラジャンをあの場所に案内したってことか?」

「いえ。リンと彼らには直接的な関りはないでしょう」

 エマはレニーの発言に困惑する。

「悪い。ちょっと、話を整理してくれないか」

「あの事件は、二つの事象、つまり『ラジャンたちの行動』と『爆発』を別々に考える必要があります。まず一つ目の『ラジャンたちの行動』についてですが、ラジャンたちをあの施設に送り込んだのはミジュ様ご本人だと推測されます」

「は?」 

 エマはますます混乱した。意図が分からない。なぜ、ミジュ本人が自分のプロジェクトの重要人物を襲わせようとしたのか。

「ミジュ様の計画は、おそらく、ラジャンをユーヒさんに引き合わせることです。ラジャンが持っていた銃は殺傷能力がありませんでした。ラジャン自身には知らされていなかったのでしょうが、そもそも、ユーヒさんを襲うという意図はなかったと考えられます。その計画においては、リンは部屋に現れたラジャンを捕らえる役割だったのでしょう」

「ラジャン自体も女王の計画の一部だってことか。どうしてそんな回りくどいことを……」

「敵勢力に対する偽装、だと思われます」

「でもそうなると、あの爆発はどう説明するんだ?」

「その爆発がもう一つの事象、ミジュ様に敵対する勢力によるものです。ユーヒ様を狙うと言うより、あの部屋で行われていた検査の妨害、もしくは機械自体の破壊が目的だったと考えます。結果、爆発と相まって、ラジャンたちがユーヒさんを襲ったという構図ができあがった」

「じゃあ、爆発はだれの仕業だ? まさか……」

「はい。爆発を引き起こしたのは、リンだと思われます。ジルの報告では、爆発は2回起こっています。あの場で2回目の爆発を起こせるのは、リン以外にはいない」

 レニーが調べた記録からは、ミジュの計画が外部に漏れた形跡は一切なかった。ラジャンをユーヒに引き合わせる計画は、外部はおろか、ミジュに最も近いレニーたち親衛隊にも分からなかったことだった。

「消去法で考えると、それを知っている者がいるとすれば、ミジュ様と唯一単独で接触しているリン以外に考えられないのです」

「でも、リンはユーヒを助け、ラジャンを殺さなかった」

「はい。その行動からも、リンがミジュ様の命令に忠実に従っていることが分かります。ただ、それと並行してミジュ様のプロジェクトを邪魔しようとしている。リンの中で、二つの行動規範はぶつかり合っているのです。それがあの事件を複雑にし、敵対する勢力が何者なのかを分かりにくくしています」

「じゃあ、あたしたちは、どう行動すべきだ?」

「まずは、この旅を続け、ミジュ様のプロジェクトの真の目的を明らかにします。それとジルの月での調査結果を合わせて、このプロジェクトで不利益を被る者、つまり敵が誰なのかを突き止めます。地球に着いたら、私が常にリンを監視しますので、エマさんも、気になる動きがあったらすぐに報告をお願いします」

 エマは黙って首を縦に振る。
 車内アナウンスが、地球駅の到着まで10分を告げた。


 エマとレニーがリビングで話している間、リビングを出たユーヒがエマの船の荷室に行くと、レニーが言ったとおり、リンは荷室の端に置いてある簡易ベンチに腰を下ろして本を読んでいた。

「また一人で過ごしているの? 何かお話しましょうよ」

 ユーヒが声をかけると、リンは本を閉じてユーヒの顔を見るが、言葉は発しない。

「前にも増して、無口になったね。質問すれば、答えてくれるかな?」

 リンは黙って頷く。

「月の地下に、カミラ財団の施設があってさ。そこにエマと行ってきた。そこで、ジルのお世話をしていたっていう人に会ったの。その人にあなたのことを尋ねたら、知らないって言ってた」

 ユーヒの話に、リンは表情一つ変えない。

「教えて、リン。あなたは何者なの?」

 リンはユーヒから目を背け、床をじっと見る。しばらく間があった後、口を開いた。

「それは、答えられない質問です」

「どうして? 誰かに口止めされているってこと?」

「…………」

「そう。じゃあ、質問を変えるね。あなたとジルが一緒に育ったって話はウソなの?」

「ジルにその記憶があるのであれば、それは事実なのではないでしょうか」

「あなたの記憶はどうなの?」

「その記憶は、あります。その記憶がウソかどうかは、自分では分かりません」

「そうか。まあ、私だって、自分の記憶が真実だっていう証明はできない」 
 
 記憶が捏造可能であれば、真実なんて、どんな形にでも改変ができてしまう。真実は正しいからそこにあるのではなく、正しいと信じたことだけが真実となる。それは真理だ。
 ユーヒは話題を変える。

「あのとき……フォボスの施設から月に向かう途中、強引にラジャンの発言を遮ったのは、私を守るためだったんでしょ?」

 リンは何も答えない。

「あのとき、ラジャンがラウラの名前を出したとき、私はものすごく動揺していた。リン、あなたは私が何者なのかを知っていたから、ラジャンの言葉を遮った。あなたは私の心が傷つかないように守ってくれたんだよね。私も薄々分かっていたの。自分が、その、ラジャンがラウラと呼んでいた人物に関係があるっていうことは。たぶん、施設での最後の検査で、情報としての記憶が私の中に流れ込んだんだと思う。あの後、治療から目が覚めるまでに、たくさんの夢を見た。行ったこともない地球の風景の中に、私はいた」

「あなたはユーヒで、他の誰でもない」

 リンはユーヒに聞こえるようにハッキリと言った。

「そうだね。リンは、ユーヒとしての私を守るように命令されているんだもんね。でも、あなた自身はどう思ってる? ユーヒとしての私は守るに値する人間だと思う?」

「人の価値について、自分は判断基準を持ちません」

「そうか。我ながら愚問だった」

 でも、とユーヒは続ける。

「私は孤児だから、自分の存在価値というか、誰かに役に立ってるって思いたいところがあって。だから、テティスから月に行くときや、こうして地球に来るときだって、施設を守るためだとか理由をつけて行動している。いつだって不安なんだ。自分の存在の意味とかを考えちゃう。自分がこの世界においてかけがえのない存在だとか、そんな大そうなことは考えないけど、誰か一人にでもそう思って欲しいって、そんなこと思ったりするんだ」 

「ユーヒを守ることが、今の自分の存在価値です。だから、ユーヒに価値がないとしたら、自分にも価値がないということになります」

「ゴメン。私は自覚が足りないな。リン、あなたが私を守ってくれる限り、私には存在価値があるって信じる。だから、これからも私を守って。お願い」

「はい」

 リンの返事に、ユーヒは強い意志を感じた。 

「ちょっと話が長くなったね。エマだったら今頃キレてるかな。その点、リンは永遠に話を聞いてくれそうね」

「永遠なんて、存在しません」

「もちろん、それは喩え。永遠に話すなんて無理。人生には限りがあるし」

 少しの沈黙の後、リンが言う。

「でも、可能な限り、自分はユーヒの話を聞きます。どんなに長くても、最後まで聞きます」

 リンの言葉を聞いて、ユーヒは微笑む。

「ありがとう。でも、私はもっとリンの話が聞きたい。少しずつでいいから、これから何度も話そう。約束ね」

 リンは小さく頷いた。
 


 ゆっくりとスピードを落とした軌道エレベーターは、予定時刻きっかりに地球駅に到着した。エマの船内にあるモニターにも外部の様子が映し出される。青く広い海が見える。モニターの隅には、目が痛くなるような緑が陽の光に照らされている。寒冷化が進んだ地球でも、赤道周辺は昔と変わらず、深い森が広がっている。船外の温度計は28℃、湿度は75%を表示していた。

「やっと着きましたね」

それまで寝室にいたラジャンは、到着の数分前に目を覚ましてリビングにやってきた。エマたちの中で、ただ一人の地球出身者であるラジャン。唯一の帰郷者。

「早くおうちに帰りたいか、ラジャン?」

 エマはラジャンをからかう。その声は明るく、エマ自身も久しぶりに地球に降り立つことに少し興奮しているようだった。

「もちろんです。自分の家に帰りたくない人間っているんですかね?」

 エマの言葉を前向きに解するラジャンはおそらく天性の楽観主義者なのだろう。
 それまでずっと荷室にいたリンも、ようやくリビングに顔を出した。ラジャンはリンの顔を見て露骨に嫌な顔をしたが、それ以上関係を悪くするような態度はとらなかった。

「レニーさん。ここからはエマの船で移動するんだよね?」

 ユーヒはレニーに確認する。

「はい。急ぎではありませんが、道中、何があるか分からないので、あまり寄り道せずに目的地のEー6に向かいましょう」

「よし、じゃあ早速準備だ」

 運転席に座ったエマは、船のエンジンをスタートさせる。月で装備した反重力推進システム。フッと浮いた船は、駅から海に延びる射出用カタパルトに出て、少しづつ加速を始める。

「目的地Eー6地区の首都ラーニ。まずは旧北エメリカ大陸を北上する。出発!」

 程よい加速でカタパルトを飛び出したエマの船は、海面を越え、深い森の上を通過する。飛行中の細かな揺れは、風によるものだとエマは説明する。宇宙航行と違い、振動や揺れが気になったユーヒだったが、一時間もすると慣れて気にならなくなっていた。
 
「ねえラジャン。地球って、Eー6地区にしか人が住んでいないんだよね」

 ユーヒがラジャンに聞く。

「はい。でも、噂ではEー6以外にも人が住んでいるって聞いたことがあります。物資を輸送するトラック運転手たちが見たとか見ないとか、それぐらいの話なので、信憑性には欠けると思っていますが」

 二人の話にエマが反応する。

「ああ、それな。あたしも聞いたことあるぞ。まあ、そんなの宇宙人がいるとかいないとかのレベルの話だ。『都市伝説』ならぬ『星伝説』だよ。時間もあるし、せっかくだから、あそこに着陸して地球の空気でも吸ってみるか」

 エマは進行方向に見える草原を指さす。

「良いね。せっかくの地球旅行。それぐらいの寄り道しないとね」

 ユーヒもエマの話に乗る。レニーも同意したところで着陸体勢に入る。
 水平方向のスピードがゼロになったことを確認したエマは、船を垂直方向に下降させる。ゴゴッとわずかに着陸の衝撃があったが、船は無事に着陸を果たした。
 エマは下船用のスロープを地面に向けて降ろし、船の扉を開ける。扉の目の前で待っていたユーヒに、湿気と草の匂いが絡まった風が当たる。外の空気はユーヒの想像よりもひんやりしていた。レニーが周辺を警戒しながら、先頭に立ってスロープを下る。安全を確認したレニーは、船内で待っていたユーヒたちに手を振って下船を促した。
 ユーヒは小走りでスロープを下る。緑色の絨毯のような草原がユーヒを迎える。初めての地球。その第一歩を、草がふんわりと受け止める。

「はじめまして、地球。これからよろしく!」

「仲良くやれよ」

 あとから降りてきたエマがユーヒに声をかける。

「ああ、やっぱり地球の重力は良いな。こう、身体がグッと締まる感じがする」

 ラジャンは久々のGを楽しんでいるようだ。船から最後に降りたリンが地上に降り立つ。全員が地上に足を踏み入れて数十分が経過したとき、エマは草原の奥の森から、鳥のような小さな影が数十羽ほど飛び立つのを見る。

「おい、あれはなんだ?」

 同じく、影に気がついたラジャンが声を出したのも束の間、その影は急激にスピードを上げてエマたちとの距離を詰めてきた。

「小型戦闘機だ! みんな、船に戻れ!」

 エマが声を荒げるが、数秒後には戦闘機はエマの船を包囲した。リンはユーヒの元に駆け寄る。戦闘機の数は、60近くあった。レニーは両腕を上げて降伏を示す。他の者もそれに従った。

「しかし、ずいぶん歓迎されたもんだな」

 エマが呟く。両手を挙げたまま一か所に集まる5人。そこに一台の戦闘機が着陸し、コクピットの中から人が出てきて、5人に近づく。その人物がヘルメットを脱ぐと、シルバーの長い髪が風にふわりと揺れる。エマと同じか、それよりも大きな身長の女が話しかける。

「ようこそ地球へ。歓迎いたしますよ。早速で悪いんだけど、お命とお荷物、どちらかを提供していただきましょうか? 選択権はあなたたちにあるから、さっさと選んでね」

「お前ら、何者だよ」

 エマが問う。女は目を細め、不敵な笑みを浮かべながらエマに歩み寄る。

「おやおや、ご存じない? 私たちは、海賊だよ」

 女はそう言って、エマの額に銃口を突き付けた。


つづく


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