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【59】商業的・集団的な面白さだけで満足?『面白いとは何か?面白く生きるには?』森博嗣

いかに面白く生きるかというのは誰もが当てはまる人生のテーマだと思います。人生のテーマというと大それた言い方ですが、少なくとも誰もが感じていることではないでしょうか

タイトルのとおり面白いとはどういう状態のことなのか、どういうときに発生するのか分類するところから始まります。後半では、面白く生きることについて筆者の思いが書いてありますが具体的なハウツーは出てきません

具体的な生き方のノウハウなどは出てこない。非常に抽象的な記述になっている。そうなる理由は、「面白さ」が曖昧であり、個人的であり、そもそも抽象的にしか把握できないものだからである。

本書の内容について述べたこの部分に詰まっているように感じました。私たちの身の回りには面白いものが溢れています。遊園地や映画などの娯楽産業だけでなく漫画やyoutubeなど手軽で場合によっては無料で楽しめるもので溢れかえっています。しかしながら、それらは言わば「作られた面白さ」であり、筆者が考えるところの「面白さ」ではありません

大事な点は、自己完結していることだ、と思っています。他者に見せたり、他者と競争したり、他者からの評価を受けたり、あるいは協力を仰いだり、ということをしない。それが、僕が考えている「面白さ」の基本です。

作られた面白さは商業的なものであり、面白がるように用意されたものとも言えます。それはルールが決められたゲームのなかで遊ぶことを意味しています

noteに置き換えて考えてみますと、noteというプラットフォームを使っている時点で自己完結ではありません。ある程度他者を気にして書いているわけですし、結果として評価も目に入ってくるからです

自己完結は難しくても、そちらに寄せるには、noteを書くというアウトプットのプロセスそのものを楽しむことだと思いました。その結果としてついてくる評価やコミュニケーションというものはあくまで付属的なものと位置付ける感じでしょうか

noteのコンセプト「つくる、つながる、とどける。」でも、「つくる」が最初で「つながる、とどける」が後から続く点では、ざっくり同じ方向性なのかもしれません

ただし商業的には「つくる」だけでは人が集まらないと思うので、「つながる、とどける」部分で参加者同士のコミュニケーションを活発にして、より長い時間をnoteに費やすように設計していると思いますが。。。

実は大勢で集まらないと楽しめない人たちというのは「一人の面白さ」から落ちこぼれた集団だったのである。だから、抜け駆けして本当の「面白さ」に手を出そうとする仲間を牽制し合って、集団の結束を維持していたのだ。

大勢で集まることが難しくなった今だからこそ認識されていることだと思います。大勢で楽しむことを否定するものではなく、一人の面白さを楽しめない人には生きにくい状況が今後も続くのではないかと感じました

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