[苦しかったときの話をしようか]

この本は、USJを経営の危機から救ったことで有名なマーケター森岡毅さんが書かれたものです。                              この本は、これから就職する娘さんに向けて、最強のマーケターとして、そして、娘を愛する父親として書いた本です。

ポイント                       ①サラリーマンは、どんな時に死にたくなるほど苦しくなるの→強烈な劣等感に襲われた時               ②それをどう乗り越えればいいのか           →弱点から離れる・変化し続ける

本から学んだこと 

人間は平等ではない。(親の財力、知力など)        平等ではないが、自分で選択して行動する自由がある。   サラリーマンが資本家に搾取される構造が現代の資本主義。 キャリアを選択する上では、世界を知ることは必須だが、それ以前の自己理解が最も重要である。            


50年前よりも20年前よりも、今はより多様な生き方を選べる社会になっている。画一的な日本企業しか選択肢がなかった時代や、転職市場がほとんどなかった時代や、女性に総合職の選択肢すらなかった時代もあった。さらに私の世代と比べても今の世代の方が明らかに選択肢は増えているし、職能はもちろん、業態、勤務形態、はたまた起業など、働き方の選択肢はこれからもっと多様化するだろう。本当は選ぶ必要がない方が、大多数にとってはむしろ楽だから好ましいことは知っている。しかし世界と繋がったこの時代ではもはやそんなことは許されない。多様な選択肢が更に多様化していくことも避けられない。したがって〝選べる人〟こそが、より有利にキャリアを構築する時代へもっと加速していくだろう。
我々は、〝クラゲ〟のような人生を送っていないか?世の中のうねりは、受動的に生きている大多数の人々をすぐに飲み込んでしまう。自分をちゃんともっていないと、誰もがすぐに世の中に影響されて流されてしまうのだ。自分では都度の課題に対処しながら一生懸命に動いているつもりでも、その人の真実はフワフワしながら潮に流されているだけだ。明確な意志を持っていないので、潮の流れの中で自由に泳ぐことができない。10年、15年経って、かつての知人が潮の中でも俊敏に動ける魚になっているのを目の当たりにしたとしたら、己のクラゲ人生に満足できるだろうか。
真理なのだが、判断に相乗的に負荷が増すので悩みによるストレスが強くなるのだ。 つまり、君の悩みの本質はオプションがわからないことではない。問題の本質は、君が世界のことをまだよく知らないことではなく、君が自分自身のことをよく知らないことだと気づけば、解決への扉が開くだろう。 問題の本質は外ではなく、君の内側にあるのだ。 やりたいことが見つからないのは、 自分の中に「軸」がない からだ。そして軸がないのは、君が就職のサイコロを振るこのタイミングまでに、自分自身を知るための努力を十分に行ってこなかったことに起因している。
その資本主義社会においては、大きく分けると2種類の人間しかいないことを知っておかねばならない。自分の 24 時間を使って稼ぐ人と、他人の 24 時間を使って稼ぐ人。前者を「サラリーマン」と呼び、後者を「資本家」と呼ぶ。資本主義とは文字通り、後者の資本家のためにルールが作られた社会であることを知っておかねばならない。わかりやすく言うと、 資本主義社会とは、サラリーマンを働かせて、資本家が儲ける構造のこと だと言える。サラリーマン側で人生を過ごした人と、資本家側で人生を過ごした人の、生涯年収の平均値を比較すると、桁数がいくつも違う結果になる。この極端な差には本当に驚くが、それが現実だ。
これこそがパースペクティブの差であり、その限界だ。人間は、自分が知っている世界の外を認識することができない。親がまじめなサラリーマンの子供は、その人生において、まじめなサラリーマンで一生過ごすことがパースペクティブになっている。だから、サラリーマンが働いて生み出した多額の価値を、その外で資本家たちが山分けしていることを意識できない。自分も向こう側の世界に行こうと思えば行けるのに、パースペクティブに無ければそのオプションを意識すらできないのだ。覚えておいた方が良い。 資本主義とは、無知であることと、愚かであることに、罰金を科す社会のことである。
2つの学びのもう1つは、 結果を出さないと誰も守れない ということだ。組織にとって都合の良い働きをしたとしても、結局はフィジークのように結果が悪ければ、誰も守ってくれないし、誰も守ることはできない。頑張って私を支えてくれた部下二人に報いるどころか、彼らのキャリアに悪い方の影響を与えてしまった。新しい上司は私よりも後から来たのに私をかばって会社を辞めた。私が動かしたすべての人たちを、私はリーダーとして守れなかったのだ。もしフィジークが私の個人商店であれば負債を抱えてとっくに倒産している。そして経営規模が大きくなると、全く同じ原理で被害はもっと大きくなる。なんだかんだ言っても、会社の業績が悪ければ給与カット、大量のリストラ、全員が失業、本当にロクなことにはならない。
ならばリーダーとして成さねばならないことは何か? それは、誰に嫌われようが、鬼と呼ばれようが、恨まれようが、何としても集団に結果を出させることである。自分の周囲の仕事のレベルを引き上げて、成功する確率を上げることに、達すべきラインを踏み越えることに、一切の妥協を許さない。そういう厳しい人にならねばならないということだ。
それこそが私にとってのCongruencyだ。周囲を、仲間たちを、勝利に連れて行ける人間でありたい、そうなりたいと、泣きたいような気持ちで切望していたフィジークでの寒い日々が、そのことを私の価値観の一番深いところで常に思い出させてくれる。チームを勝てる場所に連れて行って戦わせて、追い込んで、追い込んで、必ず勝たせたい、そして報いたいのだ! 己の情熱を傾ける仕事を選べる自由を手に入れねばならない! もっと過酷な状況でも結果を出せる人間にならねばならない! そのために必要なのは、職能(スキル)だ。自分が選んだマーケティングという職能で、もっと圧倒的な戦闘力を身につけなければならない。「自由を手に入れるために、フィジークでのこの悔しさは決して忘れない!」と心に刻んだ。


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